第19話 二つの心。

「どう?みてみて、かわいいでしょー!」



そう言いながら少し照れくさそうに寝室から姿を現した美沙を見た僕は、その変化に一瞬言葉を失った。濃紺の生地に薄桃色に咲き乱れる大小の花。

それをそっとさりげなく支える黄色い帯。

綺麗に編みあげられた後ろ髪から見える白いうなじに、桜の花びらをモチーフにしたかんざしえる。



「もしかして一人で?」


「このくらいできなきゃ。これでも京都人よ!」



そう笑顔を向ける目の前の美沙は、今までの少々子供染みた雰囲気を微塵も感じさせてくれない。



(こうも変わるもの...なのか......)



僕たちは一旦帰宅していた。

折角せっかくの花火大会なのに箪笥たんすの浴衣がかわいそう、という美沙の意見を採用して。


人にも自分にも見た目のこだわりをほとんど押しつけない僕は、(浴衣は着付けが大変で面倒くさくて、当然女の子は嫌がっているもんだ)と思い込んでいたが、実はそうでもないらしい。

もちろん美沙にも「大変だしそのまま行こうよ」と勘違いな優しさを向けてしまった訳で。

当然「いっくんは何にもわかってない!」と速攻で却下された。

目の前の美沙を見るとそんな僕もすぐに洗脳され、人の見た目が与える印象が如何に重要かを思い知らされる。せめて、こんな時にしかできない特別感は大切にしようと思った。


華麗に変身した美沙を横に、宇治の人波を流れ歩く。カランコロンと鳴る草履裏の音を間近で意識すると、やはり僕もそれに合う姿をしたくなるものである。



(来年も、並んで歩きたいな。今度は見習って)



宇治川花火大会には毎年20万人が押し寄せると祖母から聞いていた。もちろんそのまま何も策を練らないと人の流れでモミクチャにされる。

だがそこは流石の地元民美沙である。

人が少なくて適度な大きさの花火が観れるスポットを知らない筈もなかった。


とは言え、そんな場所には出店すらないのが現状で、それでも少しお祭り気分を味わいたいというわがまま心理により、敢えて人が多いところに挑戦しながらスポットへ歩く。



「りんご飴食べたい!」


「口の中が真っ赤になるぞ。食紅ガッツリだし」



和菓子作りで仕入れた知識で美沙を安全なところへ誘導してみるが ――



「わかってない!雰囲気よ、雰囲気!」



――と、また怒られる。


そういえば、ディズニーランドを想像しても本能的に(中の人、絶対に暑いだろうな...)と察してしまっていた気がする。

完全に汚染された理系脳の僕は、女の子を喜ばせるにはまだまだ訓練が必要だと猛省もうせいした。



もう味わうことができないだろうと思っていた宇治川花火大会の雰囲気をしばらく堪能しつつ、ゆっくりと目的地に向かう。


メイン通りから少し川上にある小高い丘。

そこが美沙が知る絶景スポットだった。





やがて花火開始のアナウンスが響く。

少し遠い宇治橋の上を行き交う人々の流れを、時の流れになぞらえてみる。


過去、現在、そして未来 ――


今の僕は何処どこら辺にいるのだろうか。

ほとんどの人はここは現在の世界。

僕からすればここは当然過去の世界。

もしかするとここが未来の人もいるのではないか。

この世界にいると、時間という概念そのものに疑問を感じてしまう。


そんな思考を、いきなりの光とそれに遅れての轟音が遮り、まだほんのりと明るむ空に大小の輪が咲き乱れ始める。

今の目に映る光はやがて消え、新たな光が生まれ重なる。まるで命のリレーのようだ。



「ねえいっくん」


「ん?」


「今日の断った話だけど...

もし依頼受けたら、大切なものを失うんだって...」


「 ――夢で?」


「うん...」



美沙の心が何かを伝えたがっている。そう感じた。

だからそっと黙り込み、花火が咲く音に重なるであろう次の言葉を待つ。



「私ね、自分が誰だか、わからないの」


「うん。僕もおんなじだ」


「本当のお母さんじゃ、ないんだ」


「―― 涼子さん?」


「うん......」



流石に衝撃的な告白だった。

きっと何でもない日常であれば、自分都合なをとっていただろう。

それでも今は、目の前で咲き乱れる色とりどりの鮮やかな大輪たちが、不思議と僕の心を落ち着かせてくれる。



「みんな、色鮮やかな欲望の色!」

と美沙が微笑む。


「欲望の.....」


「うん。私ね、夢で未来が見えたり本音が見えたり不思議な力があるでしょ?」


「それ目当てにいっぱい大人が集まってきたの。小さい時だったから、喜んでくれたことが嬉しくて。いっぱい伝えた... いろんな色の欲望に」


「そうなんだ」


「でもね、お母さんだけは違ったの。私を守ろうとしてくれてた。いっぱい教えてくれたよ。あんまり人に見せたらダメとか、いつかあなたを守ってくれる人が現れるとか ――」



僕は、涼子さんから貰った手紙を思い出していた。この事には一切何も触れられていなかった。本当の母のような心しかなかったように思える。



「本当に感謝してるの。だからお母さんにはこれからは自由に生きて欲しい。幸せになってもらいたいんだ」


「そう...だったんだ......」



だから必要以上に強がっていたのだろう。

あの時、はたから見れば二人は希薄な関係に思えた。でも、それでも其処そこにはちゃんと美沙なりの愛が存在していた。



「この気持ち。ちゃんと伝えよ?」



僕のその言葉に「うん」と一言。

とても素直で、綺麗で、穏やかな波だった。



(今度は、伝わったかな...)



三度目の正直。

目の前からなくなって初めてわかる大切な人への想い。美沙の心に届いたらいいな、と。



そして僕はこの時ようやく決心がついた。

1994年の母と向き合う決心――



「ねえ、一つ聞いてもいい?」と美沙の声。


「うん、いいよ」


「もしね、元いた世界に帰ったとして ――」


「うん」と僕の相槌あいづち


「どうなってると思う?変わっていてほしい?

それとも、そのままがいい?」



( ――帰ったとして)



僕はこのことから逃げている。

美沙を守ると誓った事はきっと結果的に建前であって、本当は好きだから今を一緒にいたいだけという単純な願望。

このくらいの嘘は自分でも見抜ける。


それでも仮定としてなら、素直に口にできることが一つだけある。



「美沙も母さんも、幸せであってほしい ――」



一輪ずつゆったりとした間隔で打ち上がる花火のタイミングを眺めながら、次の花火が打ち上がる前にそう伝えた。



「だったらいいね!」

と美沙のとびきりの笑顔。



「強くなりたい。好きな人を守れるくらいに。

そんな自分になりたいんだ ――」



初めて口にした。

そう、きっとこれが僕の本心だろう。



「花火ってね、お盆に帰ってきた魂を鎮める力があるって知ってた?」と言う美沙に、


「ううん。でも何となく ――」



(わかる気がする ――)とそっと答える。



この日、二人並んで観るフィナーレは、はかなくも鮮やかで、新たな始まりを予感させるものであった。



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