第18話 ――たり、たり。
「いらっしゃい、トモちゃん。遅かったね」
「ちょっと電車が遅れてちゃって――」
彼女はマスターにそう言い訳をしつつ、美沙の正面のカウンター席についた。僕の横の横の席である。
彼女に向けて微笑みだけで挨拶を交わす美沙の雰囲気からすると、どうも二人は顔見知りのようだ。
僕は一人アウェイ感を抱きながらも、彼女の正体を探ってみることにした。これから訪れるであろう孤独なひとときへの対抗措置、つまりは単なる暇つぶしである。
――見た目は40代後半
――化粧は濃厚で、香りは甘い系
――スタイルは細めで、髪は黒の長め
――性格は雰囲気からしておそらくバリカタ
――顔の好みはノーコメント
事実と推測を混じえた情報を一旦整理すると、まるである食べ物のオーダーのようになってしまった訳で。そんな頭の中を駆け巡る妄想、いや、暴走に気がつくことなく、彼女は美沙へ微笑みを向ける。
「早速だけど例の話、どう?」
(ん?例の話――?)
(この人誰だ?サッパリわからん......)
「まぁまぁトモちゃん、そんないきなり急がなくても。まずはゆっくりと落ち着いて水でも飲んで――」という北野さんの言葉に、笑みを浮かべながら「それもそうね――」と一旦落ち着いてみせる。
僕は興味がないフリをしつつカウンター内に視線を向けると、珍しく神妙な
「ん?どした?」と僕。
「――ううん、何でもないの......」
と、少し
こんな美沙は珍しい。いや、初めて見た気がする。
竹を割ったような、ゼロかヒャクか、イエスかノーか、というくらいハッキリと意思を示すのが彼女の通常運転の姿なのだが。
明らかに今の姿は、何かしらに気を
(ん?待てよ、もしかして......、ま、まさか、さっきの僕のニヤケヅラが心理的負担に......)
と、マンガイチにも無いであろう影響を思い浮かべて遊んでいたとき、右から不意に声が飛んでくる。
「もしかしてキミ、美沙ちゃんと同居中の例のいとこ君?」
「あ、はい。城之内賢太朗ですが――」
「私は、三井智子。よろしくね!」
(みつい...... あ、以前美沙が話していた名刺の――、えっと......なんだっけ?確か取材受けるんだっけな)
「聞いてるかもしれないけど――、ずっと彼女を口説いてるの。雑誌の取材なんだけどね。『女子高生美人バリスタ、京都嵐山に現る!』ってね」
「―― 今日は
確かあの夜、美沙は嬉しそうに話してくれた。
その前向きな記憶の中の彼女からすると、おそらくその依頼を受けるものだと思っていた。
それなのに。
目の前の美沙はその時とは全く異なっている。今日までの間で何か心境の変化でもあったのだろうか。
そんな事が思考を
「ともさん、やっぱり......やめておきます」
「ん?どうして?急に恥ずかしくなっちゃったとか?怖くなったとか?―― 」
「いえ......なんとなく...です」
「ん?まぁ――」と一旦
「仕方ないけど、じゃあ、また気が変わったらいつでも声かけてね。
彼女は少し残念そうな仕草を見せながらもこの話題を早々に切り上げ、
横で静かに聞いていた部外者の僕も、彼女のその話術についつい引き込まれてしまった。
物事を伝える
この時、食レポさえもまともにできない僕との差を感じて一人密かに落ち込んでいたことは、誰も知らない。
「あ、もうこんな時間!私、次があるの――
じゃあ美沙ちゃん、また気が変わったらいつでも会社に方に電話ちょうだいね!」
そう言い残し慌ただしく会計を済ませ、店を後にする。ふと時計を見やるともうすぐ15時半を回るところであった。
それからしばらく、スイーツコンテストの裏話や、ここ嵐山に喫茶店を開いた理由、井上さんとの出会い、珈琲へのこだわり、北野さんのプライベート、僕のアルバイト先のことなどの何気ない日常会話で盛り上がる。
宇治に住んでいる北野さんの2つ下の弟、
(北野
※※※※※※※※ ※※※※※※※※
京都特有の殺人的劣悪環境から隔離されたバスの車内は、非常に快適な空間だった。
美沙は車窓を流れる景色をずっと無言で眺めていた。きっと彼女の意識は、ここではないどこかにあるのだろう。
そんな彼女を知っていながらも、僕は声を向ける。
「美沙、さっき何で断ったの?」
「ん――?」
「答えたくなかったら、別にいいんだけど...」
「ちょっと夢......でね――」
(夢――)
「そっか...... じゃあ、よかったと思う。それで」
僕はその少なめの会話に潜む気持ちを感じ、ただただ彼女の判断を尊重した。
おそらく『やってみたい』と思う気持ちはどこかにあったのだろう。既に三井さんに前向きな返事をしてしまった後、だったのかもしれない。今日のあの表情の原因を改めて想像する。
バスの中ではこれ以上、僕たちが言葉をかわすことがなかった――
しかも浴衣姿のカップルが多いこと多いこと。
「今日って何かあったっけ?平日なのに」
「んー、今日は8月10日でしょ――。
...... あ!わかった。花火大会だ!」と美沙の弾んだ声。
既にバス内モードから通常運転に切り替わった彼女の様子に、僕はホッとした笑みを浮かべながらも続けて尋ねる。
「花火大会?どこの?」
「ほら、宇治川の花火大会じゃん」
(宇治川花火大会...... おー!そうか、この時代はまだやってたんだ。懐かしいなぁ――)
子供の頃、毎年家族で見に行った事を思い出す。
確か僕が小学校の5年生くらいの時に、安全性の確保ができないとかの理由で無くなってしまったのだが。本当は財政難だったんじゃないか?とも。
「ねぇ、いっくん。行こうよ!!」
と、僕に指を絡めながらの誘惑の微笑み。
「そうだな。せっかくだしな!」
とワクワクした少年のような声の僕。
戸惑ったり、考え込んだり、ハイテンションになったり。まるでジェットコースターのような今日1日の美沙の心。
僕は、美沙の中で渦巻いている何かが気になりつつも、一旦すべて忘れてこの後の花火大会を楽しむことを決めた。
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