第13話 急接近。

『ここで台風関連のニュースをお伝えします。大型で非常に強い台風19号は、勢力を維持したまま北北西に進路をゆっくりと変えながら日本列島を横断中で ―― 』



「やっぱり台風直撃なんだねー」という美沙の呟きに「 ――だろうな」と軽い相槌あいづちを返しさらに続ける。


「今日涼子さんから昼間に電話があったよ。やっぱり新幹線動かないから、帰京は明日にするって」


「やっぱりね。お母さん、チョー雨女だし」



(雨女も『チョー』がつくと、自在に台風を呼べるようになるのか!?)と思わずつっこんでしまった。



テレビが伝える進路予想図では、あと1時間程でここも暴風圏内に入る。


それでも今日、美沙は朝からバイトに出かけていた。『できる限り店を開ける』という方針だそうだ。従業員の身の安全よりも売り上げを優先するそのブラックな姿勢に疑問を抱くが、社会全体の風潮がまだまだ未熟であるこの世界では仕方がないのかもしれない。


ちなみに僕は朝から留守番役を引き受けていたので、主夫しゅふとしてせっせと家の掃除洗濯家事をこなした。全くもってグッジョブである。

それでも時間を持て余していたため、美沙の勉強スケジュールを立てたり、美沙がいた小説を読んだり、テレビをみて今夜の対策を練ったりと、振り返ると時間を持て余しながらも案外忙しい一日であった気がする。


現在は、と言うと、僕が作った渾身のクリームシチューを二人で堪能しているところであった。

この世界にきて2度目の手料理だ。



「このクリームシチュー、めっちゃ美味しい!」


「そう?ありがとう」と軽く微笑む。

これぞ主夫の喜びだ。


「ねえいっくん」


「ん?」


「台風って何だかワクワクしない?」


「そう言えば、子供の頃はワクワクしてたな」


「でしょー!」



ワクワク経験者としては、今もなおそうである美沙の気持ちもよくわかる。

住んでるところを予想円、特に暴風圏内をあらわす赤い丸印が直撃する進路予想図を見ると、口では「ヤバイぞ...」なんて言うものの、心のどっかで「おー、くるぞー!」と浮かれた自分が今もいるのだ。

まさしく人がホラー映画やお化け屋敷のような怖いものが好きという感情と近い現象なのであろう。


とは言え2020年を生きていた僕は、幾度か大雨による桂川の氾濫危機を経験していた手前、美沙のワクワクには素直に同意しきれないところもあった。

雨にしろ地震にしろ、自然災害はいとも簡単に人命を亡きものにしてしまう。

人の力には限界があるのだ。



「今夜は何もなきゃいいんだけど...」



不安志向な僕の呟きに、美沙が元気に反応してくれた。


「大丈夫、いっくんがいるから!」



(それって完全に美沙視点じゃん...。まあいいんだけど...)



それでも『美味しい美味しい』と言って食べてくれる美沙を見ていると、こんなっぽけな僕の勇気でも、もう少しだけ頑張れそうな気がした。

僕は主夫向きな性格かもしれないと最近ふと思う。

もっと言えば、将来育メンになる自信は大いにある!だ。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



時計の針が午後9時を回ったところで、心配していたそれは起きてしまった。


突然、『パチッ』という小さな電気音と共に、全ての部屋の灯りが消える。

雰囲気だけでも日常にと、つけっぱなしにしていたテレビの雑音が消え、それに隠れていたものたちが一斉に姿を現わした。


バチバチと窓に激しく打ち付ける雨粒。

風圧でガタガタと揺れ続ける扉。

常時吹きつける風で軋むアパート。



やはり非日常は、ここまできていたことを認識した。



「美沙 ――、大丈夫か?」と和室から心配を向ける。


「うん。でも真っ暗で怖いよー。いっくん、助けにきてー」と不安そうな声が木霊こだまする。



僕は懐中電灯片手に洗面所に続く引き戸をゆっくりと開け、その向こう側にいる美沙のシルエットに言葉を向ける。



おぼれてないか?」


「うん」


「懐中電灯つけたままでここに置いとくから気をつけてあがってな」


「うん、ありがと」



僕が引き戸を閉めて洗面所を後にしようとした時、少し弱々しい美沙からの声が耳に届いた。



「そこにいてて。お願い...」


「怖いのか?」


「うん、ちょっとだけ...」


「じゃあ、ここにいるから」



僕はキッチンと洗面所を仕切る扉のレールの上に腰を下ろし、それでも黙ったままで美沙を待った。

外の世界から少し遠いせいか、不思議と雨の音は聞こえてこない。浴室から漏れ聞こえるシャワーの音がやけに耳を刺激した。



やがてシャワーの音も止み、再びの静寂。

僅かに遠くの方で風が揺らす振動が伝わってくる。



「ねえいっくん」


「なんだい?」


「......」



何か言いたげな素振そぶりの美沙を心配し、

「どうかしたかい?」とそっと手を差し伸べた時だった。




「私ね、いっくんのことが好き」




突然の美沙の告白だった。

僕はあまりにも急な出来事に頭が真っ白になり、次に返す言葉を探し続けた。

唐突すぎて、それが本気なのか冗談なのか、笑顔なのか真剣なのか、それすらも把握しかねて混乱していた。そんな僕の沈黙を嫌うかのように、再び美沙の声が静かに響く。



「いっくんが好き......」



先程と同じ内容。

まるで僕の返事を催促しているようなリピート。

次にくる僕の返し。つまりそれは美沙の想いに対する責任を意味した。僕の思考は同じところを行ったり来たり。納得という着地点を探してしばらくウロついていた。


そして、やっとの思いで辿たどり着いた一つの言葉。




「 ―― ありがとう」




美沙が待っていた言葉かどうかわからない。

それでも今の僕が言える精一杯の言葉だった

好きという感情と大切に思うという感情。

その2つがイコールであれば、どれほど簡単だっただろう。でもきっとそれは違うはず。

そう直感が伝えてくる。



「もう出る?」


「うん」


「じゃあ、ここに懐中電灯置いとくから」


「ありがとう」



その短い言葉たちがつむぐ会話に潜む感情たち。僕はそれを探り続けていた。

美沙の感情。そして、自分自身の感情も。


そしてようやく一人和室で答えを出す。

今は少しまだその言葉の意味と実際の感情に『距離』があるかもしれない。それでも。やがてくる未来がその形になるのであれば、今はそれでいいと思った。



(――僕も美沙が好きだ )



美沙は僕に掛け替えのない未来をくれた。

それに応えたい自分がいる。

彼女の笑顔にき寄せられる自分もいる。

その笑顔を守りたいと何度も感じた。

愛おしいと思った。



(じゃあ、答えは一つしかないじゃん...)



僕が、美沙の未来を幸せに導く。




※※※※※※※※



しばらして彼女は、自らの首にかけたバスタオルで濡れた髪を丁寧に拭きつつ和室にやってきた。突然の告白がまるでなかったかのように。おそらく何かの空気感を察知してのことだろう。



「まだまだ続きそうね。雨」


「停電だし、髪、乾かせないな」


「うん、そうだね」


「なぁ美沙」


「なあに?」


「僕も......だ」


うつむいたまま小さく呟く僕の心を見透かしたかのように、美沙が背中を押してくれる。


「わかんない。ちゃんと言って」


「僕が美沙の未来を幸せに導くよ」


「知ってる。だから?」


「美沙が好きです......」


「聞こえない!」


「僕は、あなたを愛してます」


「うん!知ってる!」



最後はいつもの微笑みを浮かべた美沙の声。

僕はいつの日かに美沙が口にした寝言を思い出していた。



『わたしを...... 一人にしないで...... 』



そして僕はあの時、こう言った。



『僕がいるじゃん』



暗くてほとんど見えない美沙の表情。

それでも、ほほに触れた僕の両手に伝わる、嬉し涙色の笑顔。



「僕がいるじゃん」



僕の想いを、素直で穏やかな言霊ことばに乗せて、

美沙の心にそっとよみがえらせた。



―― 優しい口づけとともに。



この日僕は、恋をした。

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