第12話 前兆。

「いっくん、これに一緒に出ようよ!」



美沙が作った夕飯の肉じゃがを箸で拾い上げようとしていた僕に、突然一枚のチラシを差し出す。僕は出汁だしが染みて今にも崩れそうな馬鈴薯じゃがいもを器用に口に運びながら、その概要を目で追った。



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[第一回 3時のスイーツコンテスト]


君たちが創る3時のスイーツが世界を救う!

高校生ペアー出場者募集中。


1994年8月21日 京都文化ホールにて

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「これって、例のスイーツコンテストだよね?」


「例の?」


「ほら、喫茶北風にもそのポスター貼ってたじゃん」


「ん?そうだっけ?」



美沙はどうも一つのことに集中すると周りが見えなくなるようだ。おそらく、その時々ときどきにおいて、興味があるものとないものでスパッと切り替わる思考の持ち主なのだろう。取捨選択の天才少女ここに現る!とでも言ったところか。



美沙が宇治橋商店街の井上藤二郎堂本店で働き始めてはや3日が過ぎた。聞かずとも、毎日嬉しそうに隅から隅まで丁寧に報告をくれるので、概ね状況は把握している。

但し、全て美沙視点なので、どんな脚色きゃくしょくがされているのか少々不安でもあるが。

彼女曰く、店長の井上さんもこの企画者の一人とのことであった。



「そうだね。バイト休めるようなら出ても面白いかな」



僕は取り敢えず、そう結論を先送りにして話題を変える。



「ところでさ、北野さんのところってもう詳細決まったの?」


「うん。毎週火曜日に行くことになったよ。夏休みの間は10時から16時までの6時間ね。そのあとは成り行きかな」


「ふーん。平日だし暇かもしれないな」


「いんや。それがね、結構平日でもご近所のおじいちゃんとか近くのサラリーマンの人たちがモーニングやランチを食べにくるんだってー」


「へー、そうなんだ。そりゃ頑張りがいがあってよかったな」


「うん。働くからには一生懸命やらなきゃね」



涼子さんのあの手紙に書かれた美沙といま目の前にいる彼女を比べる限りでは、きっといい方向に変化している。そう思えた。

そしてその変化に、少なからず『僕』が影響していることを想像すると、自然と嬉しさぶくみの笑みが浮かんでくる。



「なに?いっくん?ニヤニヤして」


「ううん。なんでもないよ」


「あ、わかった!私の天使のようなウエイトレス姿を妄想してたんでしょ?エッチ!」


「まぁ、そんなところかな」と適当に答えて、何だか嬉しそうな美沙にさらに言葉を向ける。


「明日、8月21日に休みもらえるか聞いてみるよ」


「うん!」ととびきりの笑顔。



また一つ。

こっちの世界の楽しみができそうな予感がして、僕はちょっぴりワクワクしていた。



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水曜日以外の二人の朝の行動は、ほぼ同じことの繰り返しである。

僕は朝5時過ぎに起床し、軽く朝食を済ませ出勤する。もちろん美沙が起きないように物音に注意を払う。

美沙は7時くらいに起きて11時出勤。火曜日は喫茶北風への出勤となるので家を出るのが2時間ほど早くなるが、概ね変わりないだろうとのことだ。


早朝5時40分。

家から母の実家までの10分程度の道程みちのりをゆったり歩きながら、この一週間がふと頭をよぎる。今日は僕がこの世界にきてちょうど一週間後の日曜日だ。

途方に暮れて彷徨さまよいながらも必死にもがいていたのが嘘のようである。もし一週間前の自分に会えるとしたら。

『君の運命は大丈夫だから、自信を持って前に進め』とアドバイスを送って不安を払拭してあげたくなる。


未来が見えないから人は不安になる。

だけど、だからこそ必死になって結果を求める。

人が人らしく生きるためには、あまり自分の運命を知らない方がいいのかも知れない。



(やっぱ、あまりぐちゃぐちゃと言わない方がいいのかな......)



運命を回避させてあげたい人たちへのアドバイス。

どの距離感と熱量を持って伝えてあげるべきか。

「らしく生きる」という根本的なことを考えながら迷っていた。




「おはようございます!」



まだ眠そうな従業員の人たちに、僕の元気な声が届き、今日という一日が始まった。



今日は休日ということもあり、平等院表参道は観光客であふれかえっていた。それに伴い店の売り上げも上々である。今日は人手が足りないとのことで、僕も店の方に立っていた。


まだ商品の製造にはたずさわらせてもらえない僕ではあるが、美味しそうに試食する人たちの笑顔を見ると素直に嬉しくなる。



商品を売って、笑顔とお金をもらう。



先日祖父が言ってた「正しい商売には、二つの笑顔と二つの感謝が付いてくる」という意味を肌で感じた気がした。



(美沙も、こうやって喜ばれてるのかな......)



忙しいほど、時間は短く感じる。

今日は、まさにその通りの一日となった。



「賢太朗君、もう今日はあがってもいいわよー。あとはやっておくから」



パートの森野さんの声で今日の仕事は終了となる。

帰り際、祖父に例のスイーツコンテストの話を切り出した。



「岡さん、8月21日の日曜日、おやすみいただけませんか?」と一枚のチラシと共に概要を説明すると、無言のままで食い入るように目を落とした。

そしてしばらくの沈黙の後、ようやく口を開く。



「もちろんいいぞ」

「出るからには一番を取ってこい!」



いつもよりも力強い口調で、祖父にしては珍しくさらに言葉を続けた。



「そうや。次はお前にうちの和菓子作り教えたるよ。そのメニューで優勝、かっさらってこいや!」



思わぬ提案に一瞬動揺してしまうが、この有り難い展開を素直に受け入れることにした。



「ありがとうございます!頑張りますのでよろしくお願いします」と深々と一礼して帰宅しようとした時、祖母に声をかけられる。


「賢太朗君」


「はい、お疲れ様です。どうかしましたか?」


「明日だけどね、予報見るとやっぱり台風が午後から直撃しそうなのよー。たぶんお客さんもほとんど来ないと思うし明日は臨時休業にすることにしたの」



最近あまりテレビと縁のない生活を送っていたので、すっかり忘れていたが、確かに少し前に耳にしていた情報である。



「わかりました。明日は家で待機してますので、何かあれば言ってください。直ぐに駆けつけますので」


「ありがとうね。いつも助かってるわよ。ね、お父さん!」


「お、おう......」



背中を見て覚えろという昔気質むかしかたぎな祖父の褒め下手をからかうように、祖母が可愛らしい笑みを浮かべていた。


それだけで僕には充分だった。

何だか祖父から褒められた気がして嬉しかった。



(台風かぁ...... 今回のは速度が遅くて結構デカイって、ばあちゃん言ってたよな。アパート壊れないといいんだけど......)



僕は、ろくでもない想像をしながらも、それでも明るい未来の予感を抱き、家路を急いだ。



(コンテストも仕事も、楽しみだな......)


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