第32話 コンテスト〈中編〉

ぱっちぱっちーさせてよー

マジっぽい恋はいやよー



ヘンテコな歌詞混じりの鼻歌が隣から聞こえてくる。音源は当然彼女である。

今は一人分の生豆きまめを入れた小さな金網ザル片手に、コンロで直火焙煎中のようだ。豆がだんだんと見馴れた珈琲色に変化していきパチパチパチッとぜる音が聞こえてくる。

実はこれで3回目だ。

詳しくは聞いてないが、おそらく審査員毎に焙煎具合を変えているのだろう。1回目よりも2回目、2回目よりも今の3回目の色が濃いように思えた。美沙は焙煎具合を確かめるために、漆黒の豆を一粒口に入れて噛み砕く。


「うん、いい溶け具合!シュワっと、シュワっとー」と、すこぶるご機嫌な様子だ。



――それにしてもいい香りだな



僕は、美沙の指示通りの羊羹を目指して手元を動かすも、その香りに全意識を吸い取られてしまいそうになる。いわゆるこれはだ。



「なぁ美沙――」


「ん?なぁに?」


「帰ったら僕にも作ってな。それ」


「ん――、だーめ!これは特別なの!」


「えー、ケッチいなぁー。いいじゃん」



すんなりとOKしてくれると軽く考えていたので、その答えの意外性にちょっと引っかかりつつも、それから暫く僕は抹茶羊羹作りに、美沙は珈琲の仕込みとヘンテコな鼻歌に専念する。残り時間はマラソンで例えると30km辺りを通過中といったところだ。


先程、彼女からの急なオーダーが入ったで、僕は想定外のテンテコマイに見舞われていた。羊羹にまぶす抹茶入りの秘伝の粉の調合は、特にキッチンスタジアム状態だった。なにせ事前に編み出した自慢のレシピ通りに作れるのはたった1つだけになってしまったのだから。腕立て伏せの真田サンと旦那と喧嘩中の田中サンのものは、美沙の指示を羅針盤として再度レシピから作り直し状態である。まさかの本番中での試作開発。通常はあり得ない。「間に合うのか!?」という不安も一瞬脳裏をよぎるも、「もうどうにでもなってしまえ!」という諦めにも似た気持ちの方が強かった。

何はともあれ、念のためにとグレードの違うお抹茶3種類と、和三盆に加えて甜菜糖と黒糖も用意していたことは、我ながらグッジョブである。これでかなり味に幅を持たせることが可能となり、美沙の無茶振りにもなんとか応えることができそうだった。



※※※※※※※※



「終了まであと5分でーす」


マイク越しのスタッフのイケボが会場の響く。

先程冷蔵庫から取り出した僕の抹茶羊羹は現在盛り付け段階にきている。

食する人の心に宿るびを演出するには、勿論その見た目の美しさも重要なのだ。


審査員毎にレシピを変えた秘伝の抹茶粉。

事前にまぶしておくと水分が移り黒っぽく変色してしまう事に気付いた僕は、実食直前に好みの量を振りかけてもらうように食べ方自体を変更することにした。その状況に応じてどんどん方向修正していく自分。直感力が覚醒した気分でなんだかとても心地よい。ランニングハイならぬ、クッキングハイである。これもきっと、未だ鼻歌混じりの隣の人にすっかり影響を受けてしまった結果なのだろうが、すんなりとそれを認めたくない僕は、


(急な方向転換にも耐えうる鈍感力をこの短時間で身につけた、と言えばちょっとカッコよすぎか)


なんて妄想して気を紛らせた。



「でーきたっ!」


一人妄想中の僕の耳に、美沙の明るい声が届いた。残り時間を3分残して無事に作業を終えたようだ。三豆三様の美沙の作品がキッチン台に並んでいる。炒り具合も挽き具合も香り自体もそれぞれが全く異なっていた。僕も美沙に続き、無茶振りな要望にしっかりと応えた形で作業を終えた。



「ねえ、いっくん。一つお願いがあるんだけど」


「んー?なに?」


「このあと作品の説明するでしょー」

「でね――」



美沙は僕の耳元で、まさに今思いついたかのようなプレゼンテーションのアイデアをコソコソとささやいた。



「え!?それって……」


「うん。いっくんに全部任せるから!」


(そんなこと急に言われても……なぁ)


「大丈夫、いっくんならできる!」

と、いつものような満面の笑み。


それでも不安を隠しきれない顔を向けていたのだろうか。美沙はさらに背中を押す。


「台本はいっくんの頭の中に既にあるでしょー?

それを素直に表現するだけじゃん」


「ねっ、大丈夫!」


突拍子とっぴょうしもない彼女の要求に戸惑い続ける僕に、遂に容赦のない豪速球が投げ込まれた。


「今やらなきゃダメなの!」


美沙の強い語気。

終了間近の慌ただしい部屋の中に、人知れず響いて消えていった。



『いっくん、会わなきゃダメ!』



以前、母に会うべきかを迷っていた僕の背中を力強く押してくれた美沙の言葉がふとよみがえる。きっと今回も僕を最善の結果に導いてくれようとしている美沙の意志がひしひしと心に伝わる。



「うん、わかった」


(でもみんなの前でうまく話せるかな……)


「大丈夫!ありのままのいっくんの今の気持ちを言葉に込めるの」



それでも僕は、もうすぐ始まる近未来を想像して一気に鼓動が早まった。



※※※※※※※※



「時間でーす。終了してください」



既に聴き慣れてしまったスタッフのイケボが、記念すべき第一回スイーツコンテストの終了を告げる。

キッチン台には、各ペアーの渾身の作品たちが並んでいる。探究心をまとった僕の鼻腔が其処彼処そこかしこから漂ってくる甘い香りを先程から捉え続けていた。狭き門を乗り越えたライバルたちの作品とあって、どれも食べてしまうのがモッタイナイ程の完成度だ。そう簡単には最優秀賞は取れそうにない予感が僕の心に浮かんでいた。



「それでは、一番のペアーから順番に実食を開始しますので、呼ばれたペアーは作品を審査員席まで運んでください」



このままいけば、僕たちはの出番は一番最後の5番目となる。目の前でライバルたちの作品の実食が次々に進んでいく。作品のテーマやこだわりポイントを堂々と披露する彼らの姿を見ると、やはりもうすぐやってくるを思い浮かべて、不安と緊張に襲われた。


ふと隣にいる美沙を見やると、彼女はちょうど開会式の再現中だった。



寝てるのか、

それとも、起きてるのか――



今の僕には、どちらでもよかった。

隣に彼女がいるだけで。

その姿が僕の心を落ち着かさせくれた。


「サンキューな」


その小さな呟きに、やっぱり波が返ってくる。


「ねっ」


僕と美沙の旅が、今始まろうとしていた――

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