第33話 コンテスト〈後編〉
「それでは、最後に5番のペアーの方。
よろしくお願いします」
遂に僕たちの番号が呼ばれた。
完成した作品を乗せた
そして、その時を告げる美沙のアイコンタクトが視界に入る。僕はそれを頷きで返し、僕たちの「旅」が始まった――
※※※
旅する喫茶店へようこそ。
あなたはどんな旅をお望みですか?
――冒頭の僕の言葉を聞いた審査員たちは、今までのペアーのそれとは明らかに異なる雰囲気に、目の前の作品へ落としていた視線を僕に向ける。
僕らはいま旅の途中にいます。
一人きりで始まった不思議な不思議な旅。だけど、母が残してくれたほんの少しの勇気が、その旅を味わい深く、あったかく、そして面白いものにしてくれました。
人に出会って、触れて、助けられて、そして恋をして。みんなから
明日を
見ず知らずの僕らを支えてくれた大切なあの人。
もう絶対に出会えないと思っていた人との再会。
それでも動き続ける目の前の現実。
そして今日という最前線の時間。
その全てが、人生という旅の中で起こった出来事です。
――会場は静まり返り、ここにいる全ての人が僕の言葉に耳を傾ける。
僕らは思います。旅とは冒険であると。
何が起きるかわからないことへの不安。
何が起こるかわからないからこその楽しみ。
僕らはいろんな出会いと経験の中で、この二つが全く同じものであること知りました。違うのは、捉え方だけなのです。あなたはどこを歩んでいきたいですか?
不安を思う人生ですか?
それとも、楽しみを感じる人生ですか?
今、皆さんの目の前にある作品を『
二つの隣りあう
珈琲と和菓子という異なる二つのものが、和盆の上で作品という形で一つになる。運命の異なる二つの人生が、出会って絡み合って、そして新たな歴史を作っていく。
この作品は、まさに僕たち二人の姿そのものです。
いくつになっても僕らは旅をします。
生きている限り。大好きな愛する人のために。
新たな自分を目指して。
あなたの心が行きたがっている場所はどこですか?
記憶の中の懐かしい場所ですか?
それとも、見たことがない新しい場所ですか?
人は行きたい場所に行ける生き物です。
行きたい場所を隠さないでください。
勇気を持って思い描いてください。
きっとたどり着けるはずです。
そしてそこで出会った人や起きた出来事は、
忘れられない思い出として心に刻まれます。
そしていつかその旅の意味を知った時、幸せの意味に気がつくでしょう。
さあ、皆さま。もうすぐ出発です。
準備はできましたか?
それでは、いってらっしゃいませ――
「どうぞ、お召し上がりください」
※※※※※※※※ ※※※※※※※※
「いっくんのプレゼン、カッコよかったなー」
「んー、そうかな?」
「うん。バッチリだったよー。よくカンペなしであれだけ言えたねー。よっ!アドリブ名人」
「こっちの世界にきてから感じたままを言っただけだよ。まさに美沙の無茶振り通りじゃん。かなりオブラートに包んだ表現だったけどねー」
コンテストが終わり、僕たちは再び屋上で肩を並べて京都の街並みを見降ろしていた。夕暮れにはまだ早く、陽の光は更に高い位置から僕たちを見降ろしている。遠くに見える一筋の
「真田サンも田中サンも主催者の伊吹サンも、みーんな幸せそうな顔してたねー。どこ旅してたんだろうなー?」
そう言って遠くを見つめる美沙の髪が、風にたなびいている。
「さぁ―。でもいい顔してたから、よかったんじゃない?さすが、美沙の新作!」
僕は微笑みで返し、更に言葉を重ねた。
「今回の珈琲ってさ、僕がこっちにきた時に飲んだものと同じ力があるんだね、きっと――」
その言葉の後、暫く沈黙が続いた。
僕はその沈黙の意味をなんとなく感じていた。
この約1ヶ月の間、共に歩み続けてきた僕と美沙。この二人の生活がいつまでも続けばいいのにという本音と、いつか終わってしまうんじゃないかという不安。心の何処かで常に抱き続けてきた二つの想い。その二つの想いが、今は連理の枝のように一つに絡まり合っている。
「なぁ美沙……」
「ほんとは知ってるんだろ?」
「……」
「僕がこっちの世界にやってきた意味を」
「……」
「――で、悩んでるんでしょ?」
僕は美沙の心色を気遣って微笑みを向けた。
「さっき僕さ、みんなの前で喋ってて思ったんだ。
どんな旅にも意味があるんだなーって」
「そしてどんな旅も、
――いつかは終わるんだなーって」
夏色の濃青のキャンバスの上を入道雲が上へ上へと成長していく。そして、名残惜しそうな顔をした太陽が姿を隠す。
「いいこと思いついた!」という僕の声に、
「んー?」と美沙がようやく小さく返す。
「もしも2020年に帰らなきゃいけない運命だとしたら……」
「――美沙も一緒に行こうよ!」
美沙は屋上の手すりにダラリと寄りかかり、京都の街並みを眺めたまま、静かに僕の波を聞いていた。
彼女が今、何を考えているのか。
――どうしたいのか
その答えが聞きたくて堪らなかった。
「新作、夏休み最後の日に一緒に飲も!」
「ねっ」
(――そうだな。僕と美沙はどこまでいっても、
僕と美沙、だな)
「あー、カルピスソーダが飲みてーなー!」
京都の街に向かって思いっきり叫んだ。
「そうだそうだ!のみてー!」
と美沙が負けじと。
「いや、僕の方が、飲みてー!」
「あははっ、私の方が、飲みたーい!」
「僕の方に決まってる!」
「絶対に……、私の方だからね!」
「僕に…… 決まってる…… 決まってる……」
甘くて刺激的な夏の味。
記憶と味覚の繋がりを信じて。
夏の終わりの京都の街に、晴れのち涙色の想いが代わり番こで響く。
優しく、優しく。
切なく、切なく。
※※※※※※※※
結局僕たちの作品は最優秀賞を逃した。
それでも不思議と悔しさは湧いてこなかった。
美沙と二人で挑んだことが、彼女と一緒に楽しめたことが
60分間の競技終了直前に美沙から耳打ちされたプレゼン作戦は、とてもシンプルなものだった。
――いっくんの『旅』を、ありのままに語って。
僕たちがロビーに降りてきたとき。
涼子さんの姿はもうなかった。僕たちの結果を想ってか、それとも次の仕事の都合なのか。今となってはそれすらわからない。
そろそろ帰ろうと出口に向かう僕たちに、突然背後から少し息を切らした声が駆けつけてくる。
「キミたちー、ちょっといいかなー?」
「あ、腕立て伏せの白バラおじさんだ!」
と美沙が
「こら!美沙。田中サンだろ!」
「あははっ、真田だけどねー。もう少しカッコいい覚え方にして欲しかったけど、まぁいいや」
『あれから君たちをあっちこっちと探したよ』と付け加えながら、名前の間違いを苦笑う僕と美沙に言葉を続けた。
「本当にありがとう!」
「それだけはどうしても言いたくて。色々と大人な事情があって、最優秀賞は無理だったけど」
「僕の中では、間違いなくイットウショウだった。ほんとありがとう!」
それを聞いた僕は「会えましたか?」とシンプルに一言だけ尋ねた。
「うん。どうしても言いたかった一言を伝えることができた気がするんだ――」
「それは良かったですね。もうそれ以上言葉は要りません。そっと胸にしまっておいてください。僕たちはそれだけで嬉しいですから」
「もう、飲めないのかな?」と更に続ける。
「ハイ!今日限りです。もう作るつもりはありませんので!」と美沙は笑顔で言い切った。
※※※※※※※※
仲良く並んで歩く鴨川沿いの遊歩道。
コンテストからの帰り道。
絶え間なく流れる川水が、僕たちの今へ追いついては、未来へと流れていく。
「変わらないものって、なんだろうな」
ふと漏らした僕の呟きに「そんなもの、ないんじゃないかな――」と美沙が未来を真っ直ぐに見つめながら呟き返す。
「まぁ、それでいいんだろうな」
「いんや、それがいいんでしょ!」
僕は美沙を見て微笑む。
美沙は「いいこと言ったでしょ?」とでも言いたげな自慢顔を見せる。
(たぶん、僕らはずっと繋がっている。
これからも、ずっと。どんな形であっても――)
そんな気がして僕は走り出した。
「美沙、あそこまで競争な。負けたら今日の晩飯当番!」
「あー、いっくん、セコイー。待ってよー」
それでも、繋いだその手は離れないままだった。
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