第33話 コンテスト〈後編〉

「それでは、最後に5番のペアーの方。

よろしくお願いします」



遂に僕たちの番号が呼ばれた。

完成した作品を乗せた和盆わぼんを、美沙が審査員の前に一つずつゆっくりと運ぶ。そしていた珈琲豆を急須きゅうすにひとさじ移した後、静かに置くようにお湯を注いだ。やはり審査員毎に珈琲とお湯の分量を微妙に変えているようだ。僕は、先程の打ち合わせの通り、美沙からの合図を待っていた。


そして、を告げる美沙のアイコンタクトが視界に入る。僕はそれを頷きで返し、僕たちの「旅」が始まった――



※※※



旅する喫茶店へようこそ。

あなたはどんな旅をお望みですか?



――冒頭の僕の言葉を聞いた審査員たちは、今までのペアーのそれとは明らかに異なる雰囲気に、目の前の作品へ落としていた視線を僕に向ける。



僕らはいま旅の途中にいます。

一人きりで始まった不思議な不思議な旅。だけど、母が残してくれたほんの少しの勇気が、その旅を味わい深く、あったかく、そして面白いものにしてくれました。


人に出会って、触れて、助けられて、そして恋をして。みんなからさずかった一つ一つの経験が、今の僕たちを彩っています。


明日をうれい途方にくれたあの日。

見ず知らずの僕らを支えてくれた大切なあの人。

もう絶対に出会えないと思っていた人との再会。

それでも動き続ける目の前の現実。

そして今日という最前線の時間。

その全てが、人生という旅の中で起こった出来事です。



――会場は静まり返り、ここにいる全ての人が僕の言葉に耳を傾ける。



僕らは思います。旅とは冒険であると。

何が起きるかわからないことへの不安。

何が起こるかわからないからこその楽しみ。

僕らはいろんな出会いと経験の中で、この二つが全く同じものであること知りました。違うのは、捉え方だけなのです。あなたはどこを歩んでいきたいですか?


不安を思う人生ですか?

それとも、楽しみを感じる人生ですか?


今、皆さんの目の前にある作品を『連理れんりえだ』と名付けました。

二つの隣りあう大木たいぼくが途中で絡み合い、そして一つに重なり合って空へと伸びていくさまをそう呼ぶのだそうです。


珈琲と和菓子という異なる二つのものが、和盆の上で作品という形で一つになる。運命の異なる二つの人生が、出会って絡み合って、そして新たな歴史を作っていく。


この作品は、まさに僕たち二人の姿そのものです。


いくつになっても僕らは旅をします。

生きている限り。大好きな愛する人のために。

新たな自分を目指して。


あなたの心が行きたがっている場所はどこですか?

記憶の中の懐かしい場所ですか?

それとも、見たことがない新しい場所ですか?


人は行きたい場所に行ける生き物です。

行きたい場所を隠さないでください。

勇気を持って思い描いてください。

きっとたどり着けるはずです。


そしてそこで出会った人や起きた出来事は、

忘れられない思い出として心に刻まれます。

そしていつかその旅の意味を知った時、幸せの意味に気がつくでしょう。


さあ、皆さま。もうすぐ出発です。

準備はできましたか?


それでは、いってらっしゃいませ――



「どうぞ、お召し上がりください」




※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「いっくんのプレゼン、カッコよかったなー」


「んー、そうかな?」


「うん。バッチリだったよー。よくカンペなしであれだけ言えたねー。よっ!アドリブ名人」


「こっちの世界にきてから感じたままを言っただけだよ。まさに美沙の無茶振り通りじゃん。かなりオブラートに包んだ表現だったけどねー」



コンテストが終わり、僕たちは再び屋上で肩を並べて京都の街並みを見降ろしていた。夕暮れにはまだ早く、陽の光は更に高い位置から僕たちを見降ろしている。遠くに見える一筋の背高せだかいビルが、相も変わらず京都の街に個性を主張していた。



「真田サンも田中サンも主催者の伊吹サンも、みーんな幸せそうな顔してたねー。どこ旅してたんだろうなー?」


そう言って遠くを見つめる美沙の髪が、風にたなびいている。


「さぁ―。でもいい顔してたから、よかったんじゃない?さすが、美沙の新作!」


僕は微笑みで返し、更に言葉を重ねた。


「今回の珈琲ってさ、僕がこっちにきた時に飲んだものと同じ力があるんだね、きっと――」



その言葉の後、暫く沈黙が続いた。

僕はその沈黙の意味をなんとなく感じていた。

この約1ヶ月の間、共に歩み続けてきた僕と美沙。この二人の生活がいつまでも続けばいいのにという本音と、いつか終わってしまうんじゃないかという不安。心の何処かで常に抱き続けてきた二つの想い。その二つの想いが、今はのように一つに絡まり合っている。



「なぁ美沙……」

「ほんとは知ってるんだろ?」


「……」


「僕がこっちの世界にやってきた意味を」


「……」


「――で、悩んでるんでしょ?」

僕は美沙の心色を気遣って微笑みを向けた。


「さっき僕さ、みんなの前で喋ってて思ったんだ。

どんな旅にも意味があるんだなーって」


「そしてどんな旅も、

――いつかは終わるんだなーって」



夏色の濃青のキャンバスの上を入道雲が上へ上へと成長していく。そして、名残惜しそうな顔をした太陽が姿を隠す。途端とたん、やわらかさを纏った優しい風が二人の間を通り過ぎた。



「いいこと思いついた!」という僕の声に、

「んー?」と美沙がようやく小さく返す。


「もしも2020年に帰らなきゃいけない運命だとしたら……」


「――美沙も一緒に行こうよ!」



美沙は屋上の手すりにダラリと寄りかかり、京都の街並みを眺めたまま、静かに僕の波を聞いていた。

彼女が今、何を考えているのか。


――どうしたいのか


その答えが聞きたくて堪らなかった。



「新作、夏休み最後の日に一緒に飲も!」



ようやく返ってきた少女のような屈託のない笑顔。明るいその表情の下に潜む美沙の心を探っていた僕に、更に言葉が届く。


「ねっ」


(――そうだな。僕と美沙はどこまでいっても、

、だな)



「あー、カルピスソーダが飲みてーなー!」

京都の街に向かって思いっきり叫んだ。


「そうだそうだ!のみてー!」

と美沙が負けじと。


「いや、僕の方が、飲みてー!」


「あははっ、私の方が、飲みたーい!」


「僕の方に決まってる!」


「絶対に……、私の方だからね!」


「僕に…… 決まってる…… 決まってる……」



甘くて刺激的な夏の味。

記憶と味覚の繋がりを信じて。

夏の終わりの京都の街に、晴れのち涙色の想いが代わり番こで響く。


優しく、優しく。

切なく、切なく。



※※※※※※※※



結局僕たちの作品は最優秀賞を逃した。

それでも不思議と悔しさは湧いてこなかった。

美沙と二人で挑んだことが、彼女と一緒に楽しめたことが只々ただただ嬉しかった。


60分間の競技終了直前に美沙から耳打ちされたプレゼン作戦は、とてもシンプルなものだった。



――いっくんの『旅』を、ありのままに語って。



僕たちがロビーに降りてきたとき。

涼子さんの姿はもうなかった。僕たちの結果を想ってか、それとも次の仕事の都合なのか。今となってはそれすらわからない。

そろそろ帰ろうと出口に向かう僕たちに、突然背後から少し息を切らした声が駆けつけてくる。



「キミたちー、ちょっといいかなー?」


「あ、腕立て伏せの白バラおじさんだ!」

と美沙がはしゃいだ。


「こら!美沙。田中サンだろ!」


「あははっ、真田だけどねー。もう少しカッコいい覚え方にして欲しかったけど、まぁいいや」

『あれから君たちをあっちこっちと探したよ』と付け加えながら、名前の間違いを苦笑う僕と美沙に言葉を続けた。


「本当にありがとう!」

「それだけはどうしても言いたくて。色々と大人な事情があって、最優秀賞は無理だったけど」

「僕の中では、間違いなくイットウショウだった。ほんとありがとう!」


それを聞いた僕は「会えましたか?」とシンプルに一言だけ尋ねた。


「うん。どうしても言いたかった一言を伝えることができた気がするんだ――」


「それは良かったですね。もうそれ以上言葉は要りません。そっと胸にしまっておいてください。僕たちはそれだけで嬉しいですから」


「もう、飲めないのかな?」と更に続ける。


「ハイ!今日限りです。もう作るつもりはありませんので!」と美沙は笑顔で言い切った。



※※※※※※※※



仲良く並んで歩く鴨川沿いの遊歩道。

コンテストからの帰り道。

絶え間なく流れる川水が、僕たちの今へ追いついては、未来へと流れていく。


「変わらないものって、なんだろうな」


ふと漏らした僕の呟きに「そんなもの、ないんじゃないかな――」と美沙が未来を真っ直ぐに見つめながら呟き返す。


「まぁ、それでいいんだろうな」


「いんや、それいいんでしょ!」


僕は美沙を見て微笑む。

美沙は「いいこと言ったでしょ?」とでも言いたげな自慢顔を見せる。



(たぶん、僕らはずっと繋がっている。

これからも、ずっと。どんな形であっても――)



そんな気がして僕は走り出した。



「美沙、あそこまで競争な。負けたら今日の晩飯当番!」


「あー、いっくん、セコイー。待ってよー」



それでも、繋いだその手は離れないままだった。



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