第28話 連理の涙。

「いっくん、どう? 似合うでしょ? かわいいでしょ?ステキでしょ?――」



早速、胸元に小さく光るネックレスを嬉しそうに自慢してくる美沙に向けて、「うん。喜んでもらえて嬉しいよ」と照れ気味な微笑みで返す。

自分の手で稼いだお金が、目の前の人の幸せを願う品に変わり、そして相手からのとして僕の心に返ってくる。祖父が教えてくれた気持ちのいいお金の使い方の意味を、早速味わうことができた瞬間だった。

ちなみに涼子さんは、『たまには広ーいお風呂にゆっくりかりたいからね!』とウインク付きのセリフを残し、先程近くの銭湯に出かけていった。きっと今まさに目の前で繰り広げらているこの場面をおもんぱかってくれた一連なのだろう。



「明日、本番だな。準備はできた?」


「ん?準備?そんなのしてないわよ」


「え?本番で生豆きまめから全部やるの?」


「だって、準備しちゃったら明日の楽しみがなくなっちゃうじゃん!」


「それに――」


「飲む人の好みとか全然わかんないから、作れないの!」



既に明日のことを思い描いて若干緊張気味の僕の思考を笑い飛ばすかのように、答えが返ってくる。


――全くもってその通りだ。


審査員は、どっかのお偉いスイーツ研究家サンと一般公募のスイーツ好きサンと、主催者から1名サンの合計3名と予め聞かされてはいたのだけど。確かに好みや特徴まではマニュアルに記載されてはいない。喜んでもらうためには勿論その人が美味しいと評価することが必要で、そのためにはその人自身をよく知ることが重要で。



「でも、どうやって知ればいいんだ?」


「ん?その場で聞いたらいいじゃん」



本日2回目の(全くもってその通りだ)である。

コンテストという言葉のイメージで、自分で勝手に審査する人とされる人という垣根を作ってしまい、しかも話しかけてはいけないなんて思い込んでしまい。この短時間に二度も(その通り!)を言わせる程の説得力ある美沙の考え方により、所謂いわゆる常識に侵されてしまっている僕の世界観は、あえなく崩壊した。



(まぁ、美沙ならこうなるわな)



という事で、「じゃあ、僕も!」と美沙の考え方をアッサリと取り入れることにする。

そんな僕に「よくできました!」とでもいうような上から目線、いや、でニコッと笑顔が飛んでくる。



(一番じゃなく、無二を目指せ、かぁ)



そんな美沙をみていると、ふと今日祖父に言われた最後のアドバイスを思い出す。この5組の中で一番良かったよ!という評価よりも、私はこの味が好きなの!なんて評価の方が嬉しいに決まってるし、きっと納得できる。

目の前でいまだネックレスとたわむれている美沙を眺めながら、肩の力がスーッと抜けていくのがわかった。



(今日の家庭教師は、美沙が先生だな――)



いつも美沙に教えているのことを何気なく考えてみる。毎日学校に行き前後左右一律に教えられていたことを、あえて今の思考で疑ってみると。


まるで――


『君たちはどうせまだ将来の展望が決まってないんだから、それが見つかるまではどうにでも転べるように、これでもやっておきなさい。どうせ暇でしょ?』


なんてあんに言われている気分になる。

今日、美沙から勝手に盗み取ったその考え方は、きっと今後の僕の未来を大きく変えることになるだろう。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



遂にコンテスト当日がやっていた。

今日は13時までに会場入りすればよいとのことなので、急遽、会場からほど近い京都市内の植物園に行くことになった。今朝ほど、誰かさんが突如として(植物園に行きたい!)と言い出したことに端を発するのではあるが。

僕からすれば、まるで入試直前に映画を観に行くような感覚である。本番が余りにも直前すぎて気分転換にすらならない行為だとは思ったものの、昨晩すっかり美沙の考え方に感化されていた思考が(まぁいっか、面白そうだし)なんて主張してしまったり。


僕たちは京都駅で市内を南北に走る市営地下鉄 烏丸線からすませんに乗り換え、そこから北に15分程度の北山駅に向かう。夏休み期間中の日曜日ということもあり、車内は子供達の声でガヤガヤと賑やかに揺れていた。

生まれてこのかた一度も植物園に行くチャンスに恵まれなかった僕は、この日初めて植物園に足を踏み入れる。ある意味歴史的瞬間と言えよう。

高校生一人150円。二人分のチケットを握りしめて入り口に向かうと、先程車内で見かけた子供たちが一足先に入場しようとしている。手には各々スケッチブックを持って。きっと今日1日かけて絵の宿題もしくは自由研究でもするつもりなのだろう。夏休み後期にならないとやる気が出なかった自分の小学生時代を思い出し、ツイツイ頬も緩んだ。

僕たちは北山通沿いの北山門から園内に入る。チケットと共に入手していたパンフレットにジッと目を落としていた美沙に向けて、今朝からずっと抱いていた疑問をそっとぶつけてみた。



「どうして今日、植物園に来たいと思ったの?」



美沙は「ん?――」と顔を上げて少し照れながら言葉を紡いだ。



「小さかった頃にね、お母さんがここに連れてきてくれたの急に思い出しちゃって」


「これ、見てるとね――」



彼女は、オレンジ色の小さな木星がついた胸元のネックレスを、指で軽く持ち上げて嬉しそうに揺らせてみせる。そして、その照れた空気感を取り払うかのように、直ぐにまたパンフレットに視線を戻した。



(あ、僕が原因だったんだな...... 感謝の波の一つなら、まぁ仕方ないか)



僕は何だかやけに嬉しくなってしまい、昼からのコンテストのことを暫くそっと胸に仕舞い込むことに決めた。



「ねえ、こっち!」



そう言って徐に顔を上げた美沙が、突然僕の手を引っ張りながら歩き始める。

僕は「なになに?どこ行くの」と驚きつつも、その小さくて柔らかい手に引かれるままに身を任せた。北山門から西の方に続く曲がりくねった細い道を肩を並べてゆっくりと進む。まだ午前中という事もあり、然程さほど暑さを感じなかった。『アスファルトに塗り固められた日常』から隔離された人工的な自然ではあるが、通り抜ける風は涼しさをはらんでいる。剥き出しの土の匂いがツンと鼻先をくすぐるのがやけに心地よかった。


そして暫くすると森に囲まれた小さな池が視界に現れる。美沙が目指す目的の場所は、その池に浮かぶ小さな島の中にあった。



「ここね」


連理れんりの枝……」



掲げられた札をみて僕は小さく呟いた。

目の前には、種類の異なる二つの大きな木が高さ5メートル程の所で複雑に交わりながら一つに重なり合う姿がある。枝とは書かれているがその太さからすると、もうみきと言った方がいいであろう。



「まるで私といっくん、でしょ?」



同じくゆったりと見上げている美沙の声が届く。


「うん」


僕もまさにそうだと思った。

別々の時代に生を受けた二人が、時を超えてその人生を絡ませ合う姿そのものに見えた。



「あ、そうだ!今日のコンテストの作品名、これにしようよ」と美沙の提案。


「連理の枝、に?」


「うん!」



僕はその絡み合って一つに重なり合った接点を見つめたまま静かに賛成の意を伝え、暫くこの1994年の世界で出会った人たちに想いを馳せた。



「ずっと… このまま――」



そう小さく呟きながら隣に視線を落とすと、そこには、一筋の涙が頬をつたう美沙の姿。



(……涙?)



僕は、その木漏れ日に照らされた一筋の光の美しさに見惚みとれながらも、その涙の理由わけを必死に探っていた。


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