第36話 半分、雰囲気。

「岡さん、ちょっとお話しよろしいですか?」


「なんだ、賢太朗」


「9月から学校が始まるので、30日でバイトを辞めさせてほしいのですが」


「そうか」

「……土日だけでもどうだ?」


「そうですね…… いや、やっぱり受験勉強に専念したいので、土日も難しいです」

「ごめんなさい」


祖父は暫しの沈黙の後、「わかった」と静かに短く一言放ち、この会話はここで終わった。



『土日だけでもどうだ』



一瞬の判断を大切に生きる祖父の、短い言葉にひそむ想い。辞めるという僕を引き留めてくれたと思われたその言葉に、寂しさと嬉しさと申し訳なさと感謝たちが混在する複雑な感情が込み上げた。それでも僕の心は、ねぎらい含みのその一言で、今までの全苦労がむくわれた気がした。



美沙から最終日を告げられた日の翌日、つまりは今日から、僕は未来へ旅立つ準備を始めた。


――未来へ帰る


本当のことを祖父たちに伝えられないことに割り切れない想いを抱きつつも、僕の左脳がなんとかこれを押さえ込み前に進んでいく。かく進むしかないのだ、と。



『僕は和菓子職人の道に進みます』



昨日喫茶北野で宣言した僕の将来像。

祖父に出会って和菓子作りの面白さと奥深さを教えてもらえたからこそ、今の僕がある。恩人でもあり師匠でもある祖父との別れを前にいろんな感謝が僕の心を駆け巡っていた。

きっと未来に帰っても僕はその目標は捨てない。

この旅の意味を無碍むげにしたくない自分がそれを許さないだろう。たとえそれがまたいちからの道になろうとも。


――ありがとう、ございました


僕は深々と頭を下げて、祖父が知るよしも無い感謝を、何度も心の中で繰り返した。



「そうだ賢太朗」


「はい」


「最後に一つ、新作を作ってみないか?」



現場に戻ろうとした僕の背中に届いた突然の声。

どんな商品にするか、企画、レシピ、そして製造工程までの全てを、残りの時間を使って作ってみないか、というものだった。


「宇治ことぶき屋の次の看板商品だ。よろしく頼む」


(看板商品……)


もちろん僕はその言葉の意味を知っている。

老舗和菓子屋の看板商品といえば、時代の流れと共に多少のアレンジはあるにせよ創業当時から続く歴史ある重要なものが多い。その店の存在意義と言っても過言ではない立ち位置の商品である。それらは長い年月をかけて客から愛され続け、オーラを纏い、長い旅路の末、ようやく看板商品へと成長していくのだ。



「はい、是非やらせてください!」



その出発点を僕に託した祖父の期待に応えたい。

以前の僕ならきっと『僕でいいのでしょうか?』などと聞き返していたに違いないだろう。

でも今は違う。コンテスト用で生み出した抹茶羊羹の経験も僕の背中を精一杯 後押あとおししていた。

僕は祖父に向けた感謝と共に、喜んでそれを引き受けた。


「8月30日の夕方までに仕上げろ。それまでは自由に動け。どこに行っても構わん。こんなちっぽけな店にいてはアイデアは出てこんだろ。それとこれ、自由に使っていいぞ」


そう言って手渡された封筒には一万円札が3枚入っていた。他の店の味を知って何かに気づけ、という祖父の意志が言葉なく伝わってきた。

常に即戦力を求めるられる2020年とは違い、人を育てることを大切にしてくれるこの世界。しかも、もうすぐ店を去る僕に対する親心さえ見え隠れする。それらを感じることができない僕は、もうここにはいなかった。



「ありがとうございます。

明日からさっそく取り掛かり――」


「今からやれ。現場はみんなでなんとか回す」


『――ます』を言わせない、いつもの即断がとても心地よかった。


(やっぱ、じいちゃんだな。カッコいいや)



そこにアイデンティティを感じて尊敬したことを改めて思い返すと、自然と頬が緩んだ。

1994年の旅の終盤に突如として始まった一つの旅。おそらくこれが最後の旅になるのだろう。


それでも僕はワクワクしていた。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「なぁ美沙、和菓子土産の良さってなんだろうな」


「うーん、半分味で半分雰囲気!」

美沙が凛と答えた。



僕は買い込んだ老舗の京菓子をキッチンテーブルに並べて眺めていた。椅子に座ったままで同じく眺めていた美沙は「早く食べたいよー」と、まるで食後のおやつをお預けされた子犬のようにそれらの封が切られるのを待っているようだった。

時刻は夜の20時を回ったあたりだ。

僕が用意した晩御飯を食べて早々、今日祖父からもらった最後の旅の馴れ初めを、先程美沙に説明したところだった。


ある程度の老舗銘菓が一斉に手に入るだろうと、あれから僕は京都駅に出向き、思いつく限りの菓子土産を買い込んできた、と言うわけである。



「ところでいっくん、このお菓子たち、説明してみてよ」



まるで美沙からの挑戦状のような微笑みが、祖父の元で鍛えられた意地とプライドを纏う和菓子心に火をつける。

僕はおもむろに封を開けて、一つずつ順番に食しながら美沙に向けて味や食感などの蘊蓄うんちくを伝えている最中さなかのことだった。



「そんなんじゃない! そうじゃなくて――」


「ん?どうした、急に」


「――やっぱ、もーいい」



美沙はそれ以上何も言わずに和室に行ってしまう。


(ん?いま何か変なことでも言っちゃったのかな?食レポが下手すぎて怒っちゃった、とか……)


再度和室から出てきた美沙は「ちょっと散歩に行ってくる」と言い残し、部屋を飛び出す。



「お、おい。こんな時間から出たら――」


「いーの!大丈夫!気分転換!」


「危ないから一緒に――」


「一人でいい!!」



玄関のドアが閉まる強気な音がキッチンに響く。

一人アパートに残された僕は、テーブルに乱雑に広がる和菓子たちに視線を落とした。


(なんだよ、いきなり。訳わかんねーし)


その和菓子の一つを手に取り、封を開けて一気に頬張ほおばった。


屯所餅とんしょもち……」


幕末期、新撰組の屯所でもあった壬生みぶの八木家が販売している看板商品である。

少し歯ごたえのある食感が、口の中でゴロンと存在感を主張してきた。



「美味しいけど…… 何だか今は美味しくねーや」



(半分味で、半分雰囲気……)



先ほどの美沙の言葉が、行く宛も出口もなく僕の頭の中をグルグルと歩き続けていた――

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