第43話 今までも、これからも。〈前編〉

(んー、たぶんこの公園、だな――)


「美沙、いま何時?」



僕の問いかけに、彼女は少し不機嫌そうな表情を浮かべたまま左手にめたお気に入りのスウォッチに視線を落とした。


ここは福岡市内の中心街に位置する天神てんじん

地下鉄天神駅を上がってすぐの大きな公園で、仕事終わりの母と待ち合わせていた。その時間まではあと15分。少し早目に到着した僕たちは、空いたベンチに腰を下ろす。



「うーん、やっぱりスッキリしないよぉ」

と足をバタつかせる。


「んー? まだ言ってるのか?さっき見ただろ。あれだけ歴史的資料がそろってたら、もう文句のつけようがないじゃん」


「だってさー。同じものが二つもあるんだよ。おかしいよっ、絶対にー」


「まぁいいじゃん、総本宮そうほんぐうとやらが二つあったとしてもさ。できたのはずっと昔なんだし、それぞれ意味合いも違うんだし。成り立ちみても、やっぱこっちはこっちでホンモンだと思うぞー」


「それはそうなんだけど……」


(ここまでくると、なんだか菅原すがわらさんがお気の毒に思えてくるよ…… こりゃまるでラーメン屋でよくある元祖とか本家の争いみたいだな)



あの時の不条理な主張は少し落ち着いたものの。

美沙はいまだ納得がいってない様子だった。

この一連の騒動を紐解ひもとくと、京都を出発して一路福岡を目指す新幹線の中まで話はさかのぼる。



※※※※※※



「いっくんいっくんいっくん、ここ!

見て見て!太宰府だざいふ天満宮てんまんぐうのところ!」


「んー?どした?そんな興奮して」


「ほら、ここに『天満宮の総本宮』って書いてあるの!」



今朝京都駅の売店で購入した旅行雑誌を眺めていた美沙が、電光掲示板を流れるニュースを何気なく眺めていた僕にいきなり迫ってきた。

イマイチ彼女がたかぶっている原因が見えてこない僕は「それがどうかした?」と被せると、「天満宮の総本宮は北野天満宮よ!」と先程よりも更に勢いを増した主張が返ってきた。


喫茶北野で働くことを決めて以来、美沙は嵐山を中心とする歴史や知識の習得に躍起になっていた。嵐山ではないが、そこから程近い場所に位置する北野天満宮もその一つに挙げられていた。

その美沙の不動の取得済み知識に飛び込んできた新情報によって、僕は餌食になってしまったのだ。

それから暫く、美沙の文句にも近い主張が続くこととなる。



「じゃあそこまで言うならさ、美沙が言うそのニセモノ天満宮さんにのり込んで真実を明らかにしようよ。母さんとの待ち合わせは夕方なんだし。ちょうどいいじゃん。ほら、ここに載ってる宝物殿ほうもつでんとかに行けばきっとわかるんじゃない?」


「ふーん。まぁいーでしょう!その勝負、乗って差し上げますわ。余裕かましてられるのは今のうちだけよ。絶対にニセモノだって暴いてみせる!ふっふっふっ」



(なんだ、その不敵な笑みは……)



とは言え。このまま美沙のペースに飲み込まれ続けると、今回の旅の目的に支障をきたしそうなので。僕は主導権を奪還すべく話題を変えた。



「美沙、そんなことよりさ。福岡着いたらどうする?夕方に母さんと待ち合わせて今夜はマンションに泊めてもらえることになってるだろー。母さん、明日はお休み取ってくれてるんだってさ。そうばあちゃんが言ってたよ。だから明日の夕方まで時間はたっぷりと――」


「そんなことよりさぁ? そんなことってどんなこと、なのかなぁ?」


美沙のジト目が襲いかかってきた。



(うっ、ここでまさかの地雷…… ハァー)



こうして新幹線ではたいした話も出来ず。昼過ぎに博多駅に到着した僕たちは、昼食もとらず太宰府天満宮へと足を向けることとなった。



※※※※※※



現在時刻は18時30分。待ち合わせの公園のベンチに腰を掛けたまま、キョロキョロと母の姿を探りながらも隣に座る美沙に気を向けた。



「はいどーぞ、梅ヶ枝餅うめがえもち。最後の一個な。まぁこれでも食べて落ち着きなはれ。んー」


それを受けて美沙は無言で大きく口を開ける。

僕はとりあえずそれをくわえさせて言葉を続けた。


「まぁ母さんに後で聞いてみようよ。福岡に住んで長いんだしさっ。きっと美沙も納得する名回答か予想を裏切る珍回答のどっちかが貰えると思うよ」



そんな確約のない希望を鼻先に美沙をなだめていた時だった。後方のかなりの至近距離からいきなり声が飛び込んできた。



「ぅわっ!」



その声にビクッと反応して振り向く。

「いらっしゃい、お二人さん!」と笑顔を浮かべる母の姿がそこにあった。





先ほどスーパーで仕入れた夕飯の食材たちが詰まったレジ袋。それを旅行用のスーツケースの上に乗せたままゴロゴロと引き歩く。僕たちは天神から電車で15分程度の住宅街にある母のマンションを目指して歩いていた。



「なーるほどね。さすが美沙ちゃん!目の付け所がシャープだねぇ」


「でしょー!チー姉ちゃんはどー思う?」


「そうねー。まぁ色々とあったと思うんだけど。道真みちざねさん、きっと喜んでるんじゃない?京都と福岡に同時に言い寄られて。モテモテじゃん。私なら嬉しいかなー」


「あ、そっかぁ、喜んでるんだー。じゃあそれでいいや!うん、わかった。あースッキリした!ナットクナットク」


(い、一瞬で終わった…… さ、さすがだな。それにしても。ついにここまで無計画できちゃったじゃん。まぁいつものことっちゃー、いつものことなんだけどさ……)



「いっくん、何一人でブツブツ言ってんの?」


「んー? 超モーソーターイム!」

と皮肉たっぷりの大きめの声で一言だけ返しておいた。



「へんなのー」



いまだ続く二人の楽しそうな会話を適当に受け流しながら、僕は2秒未来を仲良く歩く姉妹のような後ろ姿に、歳を重ねた2020年の二人の姿を重ねていた。





「このマンションね」



「へぇー、おっしゃれー」という美沙の声の先に意識を向ける。思った以上に立派で背高い建物に、今の母の暮らしぶりがなんとなく想像できた。


夢をいだいて親元を離れ、自分のやりたい仕事に就いて充実した生活を送っている僕の知らない母。

やがて父と結婚して、京都の嵐山に住み、僕を生んで。そしてあの事故でこの世を去ってしまう、僕しか知らない母。


その二つの現実が今、僕の中でようやく一つの線で繋がった気がした。



「千恵子さん!」



気がつけば、僕はエントランスで母を呼び止めていた。その声に振り向く母に、僕の心の声が続く。



(母さん――、)



この想いは目の前の母にはきっと理解できないだろう。でも、たとえそうだとしても。

そうであったとしても。



「ん?どうしたの?急に、」


「―― イックン?」



「あ、いや、――」


「今日は、お世話になります!」



僕の精一杯の笑顔に、「いえいえ、こちらこそ」

という同じ温度のそれが返ってくる。


一瞬浮かんだ母への想い。

それを一旦心の奥にそっと仕舞しまい込み、再び前を向いた。



―― 今はやるべきことがある



僕は強く心に刻みながら、彼女たちの後に続いた。

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