第22話 パルプンテ。

(ん?ここは......どこだ?

あ、そうか。みんなでバーベキューしてるんだった、今―― ん?――)



天候にも恵まれた月曜日の昼下がり。

宇治川をまたぐ京滋バイパス高架下でバーベキューをしているところ、のはずなのだが――

祖父も祖母も叔父たちも見当たらない。それでも僕は皆の為にと必死になって食材を焼き続けている。煙が目に染みて顔をそむけると、母と美沙が楽しそうにキャンプ用のパイプ椅子に腰を下ろし談笑している姿が視界に入る。


何故ここに三人だけなのかと軽く疑問を抱くが、不思議と然程さほど気にならなかった。一番年下で起動力がある僕は今日の役割を必死に果たそうとしている。いや、そうじゃない。たぶん忙しさにかまけて母との接触から都合よく逃げようとしているだけだ。



「いっくん、お肉まだー?」


「もう直ぐ焼けるから取りに来てよ――」



美沙にそう言葉をやると急いでこちらに向かってくる。僕は、絶妙な焼き具合の食材に目をやり、それを紙皿に乗せて再び美沙に視線を向けると、何故か美沙の姿が見当たらない。


「美沙はどこに行ったんですか?」と視線を合わさないまま母に軽く疑問を投げると、「――美沙って誰?」と言葉が返ってきた。


一瞬、何かの冗談かと思いつつも今度は母に視線を向けると、彼女はこちらへゆっくりと近づいてくる。僕まであと3m、2m、1m。

僕は思わず食材に視線をにがすが、その母の動きに全意識が集中する。



「賢太朗、会いたかった―― もう離さない――」



突然のことで心臓が跳ね上がった。

そんな僕の心を気にする事なく、ゆっくり、優しく、そして温かく僕を両腕で包み込む。母の突然の行動に一瞬驚くも、次に気がついた時にはせきを切ったように眠っていた感情たちが一斉に溢れ出していた。

その温もりを体いっぱいで抱きしめ返し、僕は声を出して泣き続けた。



――こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。



思い比べれば、母の葬式の時よりも泣いてしまったかもしれない。あの時はまだ死というものをあまり理解できていなかった気がする。きっと。



そしてふと我に帰ると、その温もりが忽然こつぜんと消えていた。



(――誰もいない......)


「母さん、美沙?どこ?」



僕は二人を探そうと足を一歩踏み出そうとしたとき、ようやく異変に気付く。足が全く動かないのだ。地面にベッタリと強力なマグネットで張り付けられたような重さを感じる。右の足も、左の足も。

そして、動こうとすればするほど、地面に足が埋まっていく。体も沈んでいく――



(これは、どうなってるんだ――?)



すると前から一人の女性がこちらに向かって歩いてくる姿が視界に入る。一瞬、美沙――に思えた。



「美沙、どうなってるんだ!これは――」



僕は改めて彼女に意識を向ける。

似てるけど明らかに何かが違う――

そう、彼女はきっとあの嵐山の喫茶店の店員の子だ。



「これどうなってるの?美沙は?母さんは?どこに行ったか知って......ますか......」



彼女はゆっくりと悲しそうに目を伏せて首を振り、いなの意思を示す。そしておもむろに優しい笑みを浮かべて一言。



「でも大丈夫、わたしがいるよ――」

「だから――」

「安心して......おいで」



そこでプツリと音を立てて世界が途切れた。

いや、正確には僕は意識を取り戻した。


目を開けて上半身だけをゆっくりとその場で起こし、周りを見回す。隣には美沙が気持ちよさそうに眠っている。いつもの何気ない風景。

外はまだ暗く、僅かな街灯のあかりと静かに鳴く虫の声がカーテンの隙間から漏れ入る。朝まではもう少しがありそうな夜の感覚。



(夢......だったか... 僕、豪快に泣いてた...な)



この世界にきてからほとんど見ることがなかった夢。初めてかも知れない。僕はその夢の意味を探ることさえ忘れて、先程まで確かに感じていたその温もりを再び思い出していた。

僕のことを息子であると認識していた温もりを。



「いっくん、どうしたの?」



不意に左隣から飛んできたその声に顔を向けると少し気持ちが落ち着いた。



「――夢、見てたんだ...」


「そう」


「美沙――」


「ん?――ここにいるよ」


「そっか...... 起こしてごめん」



美沙は再び眠りにつきながらも僕の左手を優しく包んでくれた。その手の温もりが僕の気持ちを徐々に落ち着かせてくれる。



――そして朝を迎え、再び目が覚めた。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「あーたーらしい あーさがきた!

きぼーのあーさーだ! よろこーびに胸をひーらけ

あおぞーら あーおーげー」



遠くから聞こえてくる美沙のご機嫌な歌声。

聞き覚えがない歌だったが、それはきっと僕に向けられたものだろう。夏を感じる歌詞が結構な音量で迫ってくる。


不思議な夢だった。

この寝起きのおぼろげな思考の中でも、その記憶がハッキリと主張してくる。夢が描いた軌跡を再び辿たどり定着させようとしていた。

僕はまだ重い頭をゆらゆらと上げながら食卓に着くと、いつもより控えめな朝食が既に用意されていた。きっと今日のバーベキューのことを考えての配分だろう。



「今日はね、新作用意したの」


「新作?」


「うん!珈琲の新作ね」



そう言って美沙は素っ気ないいつもの陶器カップを差し出した。珈琲を飲まない城之内家ではこうして珈琲が出ることはまずあり得ないのだが、美沙曰く、今度のスイーツコンテスト用の改良試作をしているので試しに飲んで欲しいとのことだ。

もちろん焙煎粗挽きまでの工程は既にほどこされてあるので、家でドリップを行えばいいだけの状態にされている。



美沙の珈琲といえば――



あの日、喫茶北風で初めて飲んだとき、意識が体から飛び出してとても幸せな気分を味わったことを思い出す。また今回もあの時のような不思議な体験をすることになるのだろうか。それとも何も起こらないのか、はたまた、もっとトンデモナイ事件が起こるのか――

僕は鼻先まで近づけていたカップを目の前にしてゴクリと生唾を飲んだ。いや、決して美沙を疑っているわけではない。何が起こるかわからないことが怖いだけなのだ。と、やはり疑ってしまっている。



「早く飲んでよ!冷めちゃうじゃない!」



美沙の視線がプレッシャーとなって襲ってくる。

僕はその前にあえて質問を一つ投げた。



「ところで美沙はもう飲んだの?」


「もちろん!飲んでないわよ」


「......」



笑顔でさらりと。もう興味津々な視線しか感じない中、僕は意を決してその試作品らしきものを一口毒味する。


「んっ――」


芳醇な香りが口に広がり、味蕾みらいを優しく撫でる。カドがなくまろやかな感覚の後に、遅れて甘さを含む深いコクがまったりと喉を落ちていく。目を瞑るとなんだか懐かしい昔の風景を思い出すようだった。



「ん?普通に美味しいじゃん、コレ」


「ほんと!?」


「あんまり苦味がないから、これは美沙でも飲めるんじゃない?」



僕の言葉に反応した美沙は、まだ一口だけしか飲んでいない僕のカップを奪い取る。自分が淹れた珈琲を恐る恐る飲むその姿を目にすると、先程の僕の勇気を自画自賛したくなった。



「あ、ほんとだ!これなら私も飲めそうね」


「なぁ美沙」


「ん?――」


「この珈琲って飲むと何が起こる予定なの?」


「それは、ひ・み・つ!」とウィンクと共に。



今回は、前回のようなトンデモ体験はすぐには起きなかった。怖いもの見たさというべきか、それでも何かが起こることを期待していた僕は、少し残念に思っていることに気付く。



「あとからの、お・た・の・し・み・ね!」



その少女のような屈託くったくのない笑顔を見つめながら、ふと頭をよぎる固有名詞。



(時限爆弾......)



この様子からすると、おそらく美沙自身にも何が起きるのか、何を起こすのか、全くわかってない気がする。いや、そもそもどうなるかなんて全く考えていないのが正解か。



あえて名前をつけるとしたら――

『パルプンテ珈琲』かな。


あ、もし砕け散ってしまったらどうしよう......


今回は[しかし何も起こらなかった!]でおんの字ってことにしておくか......。



かくして、これから訪れる現実への不安を、ほんの僅かな期待で誤魔化すことから、今日という1日が始まった――



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