第2話 初めての人。美沙。
(今何時だろうか?)
(父さんと母さんは何をしているのだろう?)
(これからどこに住もうか?)
(そう言えばトイレ行きたいな)
(お腹はまだ空いてない)
(これからの生活にかかるお金どうしよ...)
(学校いかなくてもいいのかな?)
(スマートフォンってこの時代、使えるの?)
(...etc)
浮かび上がった瞬間、
さすがにこの状況では、正しい次の一歩を見つけることは難しいだろう。なにせ初めての経験だから。
なので。
この疑問や考えの羅列の中で優先順位をつけて
今の漠然とした状況でも、しっかりと働く自分の左脳を褒めてあげたくなる。
(まずはこれからどこに行こうか?)
乱雑に書かれた文章から一つの疑問を選び、その答えを見つけることから1994年7月の世界を始めることを決めた。
(そうだ!2020年に住んでいる場所へいこう)
渡月橋から徒歩10分。
案外簡単にその答えは出る。
(まぁ、そうだよな。家を建てたの13年前だから、2007年だったしな。まだ未開の山かぁ...)
予想していた結果はやはり当たるものである。
この世界に来てから、何だか直感だけは冴えている気がする。それを踏まえて、もう少し心で動くことにした。
(とにかく知っている人に会いに行こう。もしかするとこの状況を理解してくれるかも知れない)
そう思いたったが吉日。
会いたい人リストを早速まとめてみる。
(父、母、祖父、祖母、警察、学校の先生。
まずはこんなところかな。この中で、ここから近い人は...)
(いや、やっぱり会いたい人に会いに行こう!)
そうなると答えは一つしかなかった。
もちろん、2014年に既に亡くなっていた母である。母は昔、京都の宇治の和菓子屋の看板娘だった。ここから電車とバスを乗り継げばそう遠くはない。未来から持ってきたお金も問題なく使える。
きっと母の実家に何かしら手がかりがあるはず。
僕は早速、ここ京都嵐山からバスに乗り込み、まずは京都駅に向かった。
バスの中はエアコンが効いていてとても快適だ。
この世界は、僕が生まれる8年も前だ。イメージの中ではかなり不便で少し汚れた日本を想像していたが、どうもそうでもないようだ。
太陽の高さから推測するに、きっと今は正午前後だろう。少しオーバーヒート気味だった頭がクールダウンしたところで、再び昔観た映画を思い出す。
そう言えば、ここは1994年。
本来自分がいない世界。いわゆる僕は異物だ。
もし僕がこの世界に何らかの影響を与えたとしたら、
(母親に恋されて、自分自身の存在が消えかけた映画のワンシーンのようになるのかな?)
(それとも、パラレルワールドが無数に存在して分岐していくから、僕がやって来た2020年の世界は、それでも変わらないことになるのかな?)
思いつく懸念の数だけは一丁前に増え続けるが、結局のところ、そうなってみないと本当のことはわからない。
そう。既に結論は出ているのだ。
それでも。
もしもを考えると、なるべく過度な接触は控えておきたくなる。葉っぱ一枚踏んだだけで今の自分が消えてしまうことを妄想すると、
(となると、母親と話すこと自体、これ以上にない過度すぎる接触ではないか?)
そう思考が
隣で吊り革を持つ女性が急に倒れこんだ。
バスが急ブレーキをかけたとかではない。
その女性以外は変化がみられない。
彼女だけが倒れたこんだのだ。
一瞬先ほどの『過度な接触』が頭をよぎるが、倒れた女性をそのままにしておくことの選択肢はすぐに消え去った。
「大丈夫ですか?」
久々に発した僕の声に彼女は反応しない。
たぶん意識を失っているのだろう。
僕は慌てて顔に耳を近づけて息を確認する。
(大丈夫、生きている!)
それから大きな声で運転手に状況を説明し、次の場所で彼女を背負ってバスを降りることにする。
後ろに回した両手が触れる体温を感じると、過度すぎる接触ではあったが、これは仕方がない。
と理性で言い聞かせる。
バスを降りる際には既に意識を取り戻したのか、しきりに謝ってくる彼女。それでもゆっくりと座れる場所を探し、ようやく僕の背中から解放してあげることができた。
聞けば、立ちくらみで一瞬意識を失っただけとのことのようだ。彼女にはよくおきることのようで、少しだけ安心した。
「ありがとうございました 」
今更ながら過度の接触を防ぐべく、あまり覚えられないように目線を合わさないまま、声とシルエットの雰囲気で判断するに、彼女は自分と同い年くらいに感じる。
「何より無事でよかったです。高校生の方ですか?」
「はい。」
「じゃあ、僕と一緒ですね」と下向きの笑顔で続ける。
「どこまで行こうと思ってたんですか?」
「宇治の家に帰ろうとしていたところでして...。あなたはどこまで行こうと?」と彼女の声。
「僕も、宇治の母の実家に行くところでした。一緒でしたね」と
先ほどの思考が再び浮かび、この時代の人との接触を避ける気持ちを思い出す。
「じゃあ、僕はこれで。もう一人で行けますよね?」
「はい!もちろん大丈夫です。本当にありがとうございました」
そうは言いつつも、彼女がまた倒れてしまうのではと心配になり、結局京都駅まで付き添うことにした。目的地が一緒であれば、
再びバスの旅。
そして京都駅に着く。
すっかりと元気な笑顔に安心して、今度こそ彼女と別れた。つもりだった。
なんとまたすぐに再開することになる。
「あ、一緒の電車だったんですね」と彼女からの声に驚いて顔を上げた僕は、このとき初めて彼女の顔をハッキリと視覚に捉えた。今まで自分の顔をなるべく見られないように、意識して目を合わせなかったのが原因だが。
(ん?どっかで見覚えのある顔...)
長い黒髪。
後ろで一つに
綺麗な白肌を
(そうだ。あの旅印の喫茶店のカウンターにいた彼女だ。間違いない!)
「君もこっちに来てたんだね。一人きりでかなり淋しかったよ。どうしたものかと思ったんだけど、やっぱり知ってる人がいると心が落ち着くよ」
きっと彼女だけが理解できるであろう言葉を、彼女だけに届くサイズで伝える。しかも、今日一番の
「ん?何のことですか?」
「あ、えっ?」
一瞬、彼女の言葉の意味がわからなかった。
そして、気がつき、焦った。
僕も一度しか会ってない彼女と、今横に座る彼女の顔にどれだけの差があるのかなんてわかったようでわかっていない。
しかも、彼女の声から嘘めいたものを全く感じなかった。たぶん他人の
(そりゃそうか。僕一人で乗り込んだ1994年なんだから。ここは)
僕は、一筋の光が消えてしまった喪失感を醸し出しながら、言い訳をする。
「あまりにも知り合いに似ていたもので...」
「そうだったんですね」と笑顔の彼女。
(全く知らない世界で、見知った人に会えることがこんなにも嬉しいものだったんだな...)
滅多に味わえない気分を味わうことはできた。初体験を一つ重ねたと思えば、これもまた貴重な体験だと納得させる。
「あのー。お名前とか 、聞いてもいいですか?」
と突然の質問が飛んできた。
一瞬どうするか迷ったが、言葉を発してしまう。
「はい、イトウ ケンタロウって言います。年齢は18歳の高校3年生です」
しかも僕は丁寧にも『とか』を
「あ、じゃあ同い年ね。1976年生まれ!」
そう言って笑顔になる彼女に、きっと微妙すぎて読み取れない笑顔を送ってしまった。
(1976年生まれとかわかんないよ...。他人の生まれ年の計算って、案外難しいもんだな...)
さらに彼女の砕けた声が耳に届く。
「イトウ君は、受験どうするの?大学?専門?」
「受験かぁ...。京都大学の法学部... 」
「京大!?イトウ君って賢いんだ!すごーい!」
(しまった...)
思わず、本音が思考から漏れ出す。
この1994年度で受験できるわけないのに。
2020年度であれば、ほぼ確実に受かるとまで言われていた。たかが模擬試験に、であるが。
「じゃあ、勉強教えてよ!私んち、あんまお金ないから塾も通えないの。もちろん、私立なんてもってのほかだし、わたし、国公立一本なの!ね、お願い!」
「そう言えば、君の名前...」と、彼女のお願いを無視した根本的な呟きが彼女に届く。
彼女の顔が『しまった!』と恥ずかしがっていた。
きっと名前も素性もわからない人に、高校3年生という共通項だけで、かなり砕けて突き進んでしまったことを恥じているのだろう。
僕も気にする性格でもないし、一応気を遣って、「大丈夫、大丈夫!」と笑顔を送っておいた。
「わたしは、
「だから、いっくんって呼んでもいい?」
(いっくん? あー、イトウだから『いっくん
』ね。それにしてもやけに積極的な子だなぁ。あんまり接触したら危険だとは思うけど、人と関わらなきゃ今の状況を打開できないし...)
「まぁいっか...」
と、頭の中だけの声が漏れてしまう。
「ありがとね、いっくん!」
そんな会話を繰り広げてるうちに、二人の共通の目的地、JR宇治駅に到着する。
「じゃあ、いっくんまたね。勉強教えてもらうの、約束したからねー」
そう言って駆け出す美沙の背中に、僕はほんの少しだけ気を許した想いを
「約束って、何もしてないし...。しかも連絡先も交換してないだろ... どうやって次会うんだよ... ほんと変なやつ...。まぁ、真っ直ぐな性格をみると、きっといい奴だろうな」
この世界にきてから初めての人との出会い。
僕はこの時、この彼女との出会いが、今後の自分に大きく関わってくることをまだ知らない。
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