第1話 26年後から来た未来人。

ふと意識が戻ると、僕は空を飛んでいた。いや、飛んでいる感覚だけだ。なにせ肉体が見当たらない。手がない足がない、たぶん顔もない。


意識だけがフワフワと漂っているのだろう。

周りを見渡すと、光の玉がいくつも漂っていた。



(この世界はどこだろう...)



そう思いつつも、何となく予想はつく。

こんな光景は、あの世しかない。

漂う光の玉はきっと魂であって、この温かくて何とも言えない気持ち良さを感じるこの薄暗い世界は、きっとあの世に向かう道。

テレビ番組の臨死体験特集に出ていた光景。

そう言えばわかりやすいだろう。



(僕は、死んでしまったのか?もしすると、さっき毒入りの飲み物を飲まされたかもしれない)



とは言え、今のこの空を浮遊する体験があまりに気持ちがいいせいか、不思議と怒りは湧かなかった。逆に感謝すら覚えているほどだ。



流されるまま進んでいく自分。

もう抵抗する気すらない。



どのくらい流されただろう。

やがて見えてくる光の出口。これも番組で出ていた光景そのものだ。



(あの光の先が、いわゆるあの世か...

もしかしたら、昔死んだ母さんと会えるかも...

そうか!おふくろの味って、そう言うことなのかも知れない)



早々にひらめいた正解らしい答えに、『こんな簡単なものじゃなくて、もう少し考えさせてもいいんじゃないか?』と文句を言いつつも、母に会えるかも知れない嬉しさが先立つ。



(早く、早く、早く!その先に行きたい!母さん!)



スーーっと光を抜けた瞬間。

さらにまぶしい光に包まれて、僕は再び意識を失った。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「んー うっ、頭が... 痛い...」



「キミ、キミ、大丈夫かね?」と若い男性の声。


「救急車呼んだ方がいいんじゃない?」と女性が返す。



僕は、その声たちのおかげで意識を取り戻したものの、割れるような頭痛に襲われていた。今度はその痛みで意識が飛びそうだ。



「だい... じょうぶ... です...」



何とか気力を振り絞り返事をする。

少しずつ思考が蘇り、まだピントがはっきりしない視界を凝らし、周りの状況を確認する。



(ここはどこだ...?)



どこかで見覚えがある場所。

カウンターのみの店内。

背面の壁一面には単行本がぎっしりと詰まった棚がある。そしてカウンター側の壁には一冊のカレンダーがかかっている。



『1994年7月』



ん?さっき見た光景...

デジャブなのか...


いや、明らかに先ほどの光景と同一である。

そう記憶が判断した。



ようやく起き上がった僕は、ひとまず席に座った。

カウンターの中に立っているお店のマスターらしき男性が水を一杯差し出してくれた。


お礼を言いつつ、それを一気に飲み干す。

冷たい感触が口から胃の中まで一気に駆け落ちるのを感じると、不思議と先ほどのような激しい頭痛も落ち着いていた。



「キミ、本当に大丈夫か?」



心配そうな声に顔を向けて、取り敢えず声の主に先ほどのお礼を返す。そして、隣に立つ女性にも会釈をする。



まだ少し焦点が合いにくい視界。

それでも、十分に心が捉えた違和感。



雰囲気が違う。

確かにさっき『おふくろの味』の飲み物を飲んだ店であることは間違いない。とても容易い、もしくは既に答えを聞かされてしまった『間違い探し』を読み解くような速度でわかる違和感。



「あのー、今って、何年の何月何日ですか?」



きっと僕の質問は、かなり場違いなそれであろう。それか、倒れた時に頭でも打って記憶をなくしてしまったと心配させるものだったのかも知れない。



「今日は1994年の7月24日だよ。キミ、本当大丈夫か?救急車でも呼ぼうか?」



予想通りの心配をかけてしまったようだ。



「いえ、大丈夫です。僕の記憶が正しいかどうか、確認させてもらっただけなので...」



壁にかかったカレンダーを指差しながら、僕はそう言って彼らの心配事を抑え込む。



「じゃあ、気をつけてな。あ、マスター、彼のお代も一緒に払っておくよ」


「いや、彼はまだ注文してないからその必要はないよ」とマスターは答える。



僕はマスターに、騒がせてしまったことへの謝罪と一杯のお水への感謝を伝えて外に出た。


何が起こったのか、何となくは理解できたが、何故そうなったのかが理解できない。俗に言う時間旅行が自分の身に起きてしまったことになる。



僕は一旦、渡月橋とげつきょうを望む川沿いの段に腰をかけ、思考を整理することにした。目の前には白鳥型のボートがゆったりとした歩みで優雅にカップルたちを前に運んでいる。



(もし本当にタイムスリップしてしまったとすれば...)



1994年7月。僕は2020年の7月から来たわけで、つまりは26年先の未来からやって来たことになる。もちろん皆、この夏、東京でオリンピックが行われることは知るよしもないであろう。


この世界は、僕が生まれる8年も前の世界だ。

2020年で僕は18歳の高校3年生になった。


母が死んだのが2014年。当時44歳で亡くなったから、この世界では24歳を生きていることになる。そして、父は26歳を生きているだろう。



もう二人は出会ってしまったのだろうか?

そう言えば、あと約半年で阪神大震災があって、その2ヶ月後に地下鉄サリン事件が起こる。

教科書の中だけの知識だが。



昔観た映画を思い出す。



(『僕は未来からやってきた』って伝えたら、確かバカにされて信じてもらえないストーリーだったっけな...)



自分に起こった出来事を飲み込めないなりに徐々に整理していく。



で、もちろん途方にくれてしまう。



元の世界にどうやれば帰ることができるのか?

この世界への旅のきっかけである飲み物『おふくろの味』には何か意味があるのか?

当面、この世界で生きていくにはどうしたらいいのか?



ほぼヒントなしの状況。

突きつけられた現状。



『一生懸命生きてると何とかなるし、そのうちいいことがあるわよ!』という生前の母の口癖が頭をよぎったのは運が良かった。



僕は不思議と感じていた。

この状況にもきっと意味があるのだと。

そして、その意味を探して前に進まなきゃ何も始まらないことを。



たぶん、気がおかしくならずにそう思えたのは、先ほどよぎった母の教えが刻まれているからだろう。



さらに、体の腰のあたりに重さを感じて手で探る。



(ポシェットもついて来たのか...)



充電が半分残ったスマートフォンと1万5千円ほど入った財布とお守り。

ガム、小さなノート、ボールペン、絆創膏、ポケットティッシュ。中身はこんな感じだ。



(あとは、知恵と勇気と希望がここにあるだけか...)



そう言って、胸のあたりに手をあてる。



(確か彼女、『いってらっしゃい』って言ってたよな。『いってきます!』って言うの忘れてたな)



少し微笑みながら、今となればどうでも良さそうなことが不思議と思考をよぎる。



僕は今から旅に出る。

目的も、行き先も、何もかもがわからない旅に。

でも、少しだけワクワクしてる。



これから、たくさんの人に出会って言葉をもらって。アイデアをもらって。


この物語は、きっとそうやって進んでいくのだろう。






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