第7話 置き手紙からの1日。

朝起きるとお母さんは宣言通り既にいなかった。

『このお金で一週間暮らしなさい』と言う置き手紙を残して。


それとは別に「ケンタロウへ」と書かれた封筒が机の上に置いてある。早速僕はその封を開けて読み始めた。




ケンタロウへ


まずは色々とありがとうね。

あなたがうちに来た瞬間、

なんだか未来が開けた気がしたの。


ちょっと美沙について書いておきます。


既に知ってると思うけど、

美沙はちょっと変わった力を持つ子でね。

心が読めたり、将来が見えたり。


美沙の能力に気がついたのは5歳の頃だったかな。

なんでも心を言い当てちゃうから、

みんな気持ち悪がって避けられたり。


いつの間にか本音を隠す子になってたのね。

たぶん今もまだ心に傷があるとおもう。


でもね、そんな中ケンタロウが現れて。

美沙がこんなに明るくしてるのは久しぶりなのよ。

嬉しそうにケンタロウのこと話す美沙を見て、

私少し泣いちゃった。


これからも美沙をよろしくね。

あなたしかいないと思うの。


それとあなたの素性は美沙から聞きました。

でも心配しないで。あなたはもううちの子だから。

遠慮しないでバリバリ働いてもらうわよー。

なんてね。


この二つは、私からのお願いね。


まずは一つ目。

夏休み明けから一緒の高校に通えるように話をつけておくから通いなさい。ちなみに名前は城之内じょうのうち賢太朗けんたろうだからね。その辺は我慢してね。大人な事情をくみしてください。


それと二つ目。

アルバイトはしなさい。

家にお金は入れなくてもいいけど社会勉強としてね。働き口は自分で探して、私が帰って来るまでに決めておいてね。


あ、それとあともう一つ。

美沙の家庭教師、よろしくね。

そこらは母親に似て、中途半端なのよ。

たまに私にも教えてね。


じゃあ、一週間、留守番よろしく!


母より。

1994年7月25日





(『母より。』...... か......)



しばらく黙ってそれに目を通した。

ちょうど読み終えたくらいで美沙の声が届く。



「ねえ、お母さんからの手紙、なんて書いてあったの?」


「ん?知りたい?」


「うん」



現在朝の9時半を少し回ったところだ。

美沙が用意した朝食を済ませて、台所のテーブルに向かい合わせに座っている。



「夏休み明けから、美沙と一緒の高校に通えってさ。手続きなどは何とかしてくれるって」


「それだけ?」


「あと、社会勉強だからアルバイトはしなさいって」


「ふーん。それと?」


「あとは美沙を任せた系の話な。それで全部 」


「ほんとそれだけ?」と美沙が疑う。


「うん、そうだよ。嘘かどうか色でわかるんだろ?僕を見てごらんよ」と微笑みで返す。


「ふーん...... まぁいいわ。じゃあ、今日は作戦会議で決まった通り動きましょ!」



昨夜、涼子りょうこの乱入事件の後、もうしばらく作戦会議を行い、今日1日はアルバイトを探す日になっていた。


ちなみに、お母さんの名前は城之内じょうのうち涼子りょうこと言う。



僕は、夏休み限定かどうかは成り行き次第として、働くならここしかないと決めているところがあった。まずはそこで働く選択肢のみを持って、今日に挑むつもりである。



「いっくん、まずはどこに電話するの?」とアルバイト雑誌をペラペラとめくりながら美沙が言葉を発した。


「僕はその雑誌に載ってないところにまずはお願いしてみようかと思ってるんだ」


「ふーん。どこ?」


「うまくいったら教えてあげるよ」と微笑みを向けて続ける。


「美沙は?」


「私はオシャレなカフェかなー。交通費出るところか徒歩で通える圏内限定だけどねー。何個かピックアップ済みね 」


「苦手な人付き合い、大丈夫なのか?」


「うん。いっくんがいるから大丈夫!」と笑顔をくれた。



その言葉に何の意味が隠れているのか今はまだ見えないが嫌な気はしなかった。いや、本当はかなり嬉しい気分になる。

近くにいる人から頼られる気分を初めて味わう。



もう暫く雑談は続く。

美沙は、開店時間過ぎて電話してから行くとのことで、僕が先に家を後にすることになった。



「じゃあ、また夕方ね。頑張って!」

と玄関で美沙がお見送り。


「うん。美沙も頑張れよ!」


「あ、お母さんから合鍵作っておくように言われたからこっちで作っておくわ」


「ありがとう」



働く夫を見送る妻といったシチュエーション。



(まるでいつか見た父さんと母さんみたいだな...)



そう心で微笑むと、既にムンとする空気感をまとう外の世界に足を踏み入れ、別行動の一日が始まった。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「こんにちは。お母さん」


「あら、昨日のお兄ちゃんじゃないの。また来てくれたんだ」


今日は月曜日。

学生たちは朝から呑気のんきに夏休みを満喫中であろうが、社会はそれに連動することなく回っている。平日の午前中ともあって、平等院表参道は人もまばらである。



「お店開けるの早いんですね」


「うちは朝9時から開けてるわよー」と昨日と同じ笑顔。やはり落ち着く自分に気づく。


「ところで今日はどうしたの?何か買いにきた感じ... じゃない気がするんだけど 」


「えっ?どうしてわかるんですか?」と驚いてしまう。


「なんとなくの直感だけどね」と優しい笑顔が僕を包み込む。


「実は、今日はお手伝いに来ました。もしアルバイトの募集をしていれば、ここで夏休みの間だけでもと思ったんですが......」



昨晩寝る前に布団の中で出した結論。

『母の実家で働く』

もし母との接触で僕の存在が消えてしまうのであればそれはそれでいいとさえ思った。

運良く一人っ子だし、父親もおそらく別の女性と幸せに暮らすだろうと。


それよりも、母が亡くなるあの事故を防ぐことの方が僕にとっては重要だった。

そのために必要なこと。

それはやはり母との接触だった。



まだお客さんがいない店内で祖母とやりとりしていると、奥の現場から祖父が作りたての商品たちを持って店にやってくる。



「あ、お父さん。いまこの子が夏休みの間うちで働きたいって言ってきてるの」


「こんにちは。城之内賢太朗と言います」と深々と頭を下げる。


「ん?そっか......」と祖父は一言向けた後、しばらく黙り込んで僕の目を見る。

そして一言だけ告げた。



「わかった。ちょっと来なさい」


「あの...... 面接だけでもいいので受けさせていただけませんか?」


「面接?今終わったぞ。合格だ」


「え?まだ何も話ししていませんが......」


状況が飲み込めない僕に、「いいのいいの。早くお父さんについていきなさい」と祖母が笑顔で背中を押してくれる。



僕は混乱しつつも、祖母の指示に従い祖父の後を追い、店の奥に入る。



「じゃあ、今からここが君の現場だ。水曜日が定休日だからそれ以外はなるべく毎日来なさい。今日一日で概ね覚えて帰りなさい。明日から実践な。」



急な展開ではあったが描いていた予想通りに進んでいることにずは安堵あんどした。


和菓子屋の現場は思った以上に過酷だった。

商品切り替え時の洗浄や仕上がった商品を店内に陳列すること以外にも、普段は表に見えてこない細かい雑務ざつむ其処彼処そこかしこに点在していた。もちろん素人の僕に職人技が必要な部分は触らせてもらえるはずもなく。


僕は時間も忘れ、貪欲に出来ることを探してはこなし、そして記憶した。当然、認められないと明日からの保証はないという危機感もあったが、単純に祖父の仕事場が楽しかったのだ。


昼食は久々の祖母の手作り料理。

とても懐かしい味がした。


そして、初日の現場が終わる。

平日だから今日は比較的暇だったと祖母が言うが、初めてのことで覚えることが山積みだった僕は、それ以上に感じた。


それでも、疲労感を上回る達成感が心地いい。

仕事のあとの一杯のビールがたまらなく美味いと言っていた父の言葉を思い出す。



(こういうこと... な... まだ飲めないけど)



帰りがけに僕は、祖母に一つの疑問を尋ねる。



「面接もなしでいきなり採用してもらって。僕としてはとても有り難いのですが、よかったんでしょうか......」


その言葉を受けた祖母は、優しい笑顔を向けてくれる。


「いいのいいの。お父さん、直感で動く人だから。目をジッと見られたでしょ?それでわかるらしいのよ。本人曰く、だけどね」

「まぁ、なんとなくだけど、今回は私も賛成かなー。かく、明日からも頑張んなさい!神様は見てるんだから」



(そんなもの...... なのかな......)と未だ信じられない出来事にモヤモヤしながらも、前に進める事に感謝する。



(明日からも頑張ろう。折角せっかくいただいたチャンスなんだし)



帰り際に、その場で書いた履歴書を渡した。

「あら、住まいは嵐山じゃないのねー」という祖母の疑問に、「今はここに住んでます」と嘘ではない答えを伝えておいた。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



仕事を終えて、家に帰ると18時を回っていた。

美沙は夕飯の準備中である。

換気扇から漏れてきた食欲をそそる焼き魚の匂いが、家に入るとさらに強くなる。



「いっくん、どうだった?」


「うん、無事決まったよ。で、さっそく今日から働いてきちゃった」と満足げな笑顔で。


「どこに決まったの?」


「平等院表参道の入り口の宇治ことぶき屋ね。明日から水曜日以外、朝6時出勤だって 」


「そう、よかったねー」


「美沙の方はどう?」


「こっちは結果待ちね。明日に連絡くれるって。宇治橋商店街の井上藤二郎いのうえとうじろう堂本店っていういい感じのカフェなの。宇治駅からもすぐだし。うまくいけばいいなー」


「そう。決まればいいね」



美沙はまだ知らない。

母親の実家で働くことになったことを。

心配かけたくないという僕の想いが、美沙に事実を告げることをこばんでいた。



「時給は?」と美沙から生々しい質問。


(あ、そういえば...... そこで働きたい一心で、肝心なこと聞くの忘れてた...)


「まぁ適当にいただけると思うよ」とだけ答えておく。



台所のテーブルにつく僕。

背中を向けて支度中の美沙。


しばらく、今日一日のお互いの出来事を共有する時間を過ごした。



「じゃあ、今日の作戦、概ね順調ってところね」


「うん。お風呂掃除してくる」


「お!さすがいっくん。言わずもがなー」


「美沙、もういっくんじゃないぞ。あえて言うなら、昨日からじょうくんだぞ 」


「えー。あだ名だし『いっくん』でいいじゃん」と駄々をねた後、思いついたように続ける。


「じゃあ、城之内一太郎に改名しようよ!そしたら『いっくん』って呼べるし」


「いっくんで...... よろしくお願いします......」



いつも美沙のペース。

こうなった美沙は反抗するだけ無駄なことを昨日一日で察した僕は、即座にそう選択した。



「昨日できなかったから、今日から宿題&受験勉強スタートな!」と美沙の背中に笑顔を向ける。



なんだか不思議な気分だ。

一つ屋根の下で同い年同士の同棲生活。

別段の恋心はないにしても、僕にとっては大切な人には変わりない。


彼女は僕に対してどう思ってるんだろうか。

運命として受け入れてるだけかな。

それとも......


僕は美沙の心をもう少し知りたい衝動に駆られたまま、しばらくその少し華奢きゃしゃな背中に視線を向け続けていた。



「いっくん!お風呂掃除!」


「あ、はい!」



やっぱり美沙はスパルタらしい。

僕は美沙の背中に敬礼ポーズを返し、昨日自ら見つけた『仕事場』に向かった。

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