第5話 居候から始まる僕の1994。
とは言え、美沙も高校生の身。
少し冷静になり、『本当にいいの?ご両親の許可とかー』と言おうとした時、美沙に先手を打たれる。
「うちね、お母さんだけなの。いわゆる母子家庭ね。お父さんの記憶はないんだ。お母さんなら絶対に大丈夫よ。その代わりいっぱいこき使われるから頑張ってね!」
僕は感謝と驚きと、それでも疑い混じりの微妙な微笑みを向ける。もちろん感謝の割合が一番多いのだが。
「じゃあ、さっそく!ついて来て!」
僕の手を取り
「コンビニで何も買わなくても良かったの?」
「あ、忘れてた!アルバイト雑誌買いに来たんだった」と店内に慌てて戻っていく。
この時代のアルバイト雑誌が有料であることに少し驚いた。2020年ではコンビニや駅の棚に『ご自由にお持ち帰りください』と無料配布が当たり前だ。下手すれば先程見ていたアルバイト雑誌をそのまま持ち帰ってしまっていたかもしれないパラレルワールドを妄想して苦笑った。
しばらくして、跳ねるようにコンビニから出て来た美沙は、今度こそ家まで案内してくれた。
「ただいまー」と元気な声を、明かりが漏れる奥の部屋に向ける。
「お邪魔します」と僕が続く。
玄関に面する台所の部屋を抜けると、そこにはベッドに横たわる彼女の母らしき女性がいた。
「おかえり。あらお客さん?」
と少し弱々しい声。
「うん。さっき話してた『いっくん』ね。アルバイト雑誌買おうとしたら彼が先に読んでたの。思わず
「そう、それは良かったわね 」と微笑む。
僕はベッドから上半身だけを起こした彼女にまずは一礼して言葉を向けた。
「お母さん初めまして。突然で本当にごめんなさい。イトウ ケンタロウと言います。えっと、僕はーー」と続けようとした時、発言権を奪われた。
「何も言わなくてもいいのよ。もうだいたいわかるから 」
僕は一瞬黙り込んでしまったが、再びの一礼と共に『今日からよろしくお願いします』とだけ返しておく。
(どういうことだろう... 『もうだいたいわかる』って...)
と心で呟いた瞬間、美沙の母から声が届く。
「いっくん、綺麗でいい色してるわねー 」
「えっ?色ですか?」と自分の腕をみる。特別日焼けが濃いわけではない。かといって色白なわけでもない。そう、便利な言葉を使うと普通だ。
「違う違う!見た目の色じゃなくて、心の色よ 」
「心の色... ですか... 」
「美沙の彼氏にならない?ふふっ」
正直僕は、彼女が何を伝えたがっているのか
「お母さん、そんなこと言わないの。いっくん、混乱してるじゃない!」
「わかったわかった。そんなに向きにならなくても」と呆れ顔。
美沙のアパートは玄関に
当面、僕の居場所はリビングになる。
「お母さん、今ご病気でも?」と直接尋ねてみる。
「実は夏風邪ひいちゃってるの。いつもは元気よ。
僕は安心した。
勝手に上がりこんでおいて早々とても失礼ではあるが、母一人子一人の生活、病気がちで働けない母親、生活を助けるため
状況だけ見ると、そう思うのも仕方ないのだが。
台所の真ん中に陣取るテーブルについた僕は、夕飯の支度中の美沙の背中に言葉をかける。
「これから僕は何を担当したらいいかな?働かざる者食うべからずって言うしね!」
「じゃあ、ご飯食べたら作戦会議しよ 」
「作戦会議?」
「うん。いっくんがこっちの世界でしたいことをするの。一緒に」
「じゃあ早速。晩御飯作るの手伝いたい」
「いっくん、料理できるの?」と振り返って僕を見つめる。
「母さんが事故で死んでから、僕がずっと当番だったからね。そこらの高校生男子よりは、はるかに使える奴だと思うぞ 」
「それは頼もしいわね。じゃあ早速お願いしちゃおっかな。お風呂掃除!」
「ん?僕の話聞いてた?」
「もちろん!」と美沙は少女のような無邪気を向ける。
どうやってこの世界で生きていこうか、とつい先程まで思い詰めていた状況が嘘のようだ。夢でも見ているのではないかと
しばらく彼女の後ろ姿を眺めながら、僕は感謝の気持ちで胸が熱くなった。
「お風呂掃除!」
「あ、はい!」
彼女は案外スパルタかもしれない。
それでも、一人じゃない心強さを含んだワクワク感が僕の心を温かく包み込んでいた。
※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※
現在時刻は午後8時を回ったところだ。
美沙の手料理はびっくりするくらい美味しかった。準備も後片付けも手際よくこなされ、普段からやり慣れていることがよくわかった。後片付けくらいはと申し出るがやはり断られた。
居候の身でお客様扱いは
こちらから願い出ると
僕は彼女に断りなくポットでお湯を沸かしお茶を淹れる。そしてお盆に乗せて和室のリビングにある低いテーブルについた。
「どうぞ」
「あ!ありがとう。いっくん気が効くねー。でも熱いお茶飲めないの、私」
(...しくじった。やっぱり聞けばよかった...)
「じゃあ冷めるまでおいとこう」と僕。
それでもテレビをなんとなく眺めている彼女。
目線はそのままで尋ねてくる。
「ねえ。いっくんって、どうしてこの世界に来ようと思ったの?」
「ん?僕の意思じゃなくて飛ばされてきたんだ。嵐山の喫茶店で。ほんと謎だらけだ 」
「ふーん。それ、違うと思うんだけどなー」
「違うって?」
美沙はニコッと笑ってそれ以上答えてくれなかった。まるで『自分で答えを探しなさい』とでも言うように。
「じゃあ逆に美沙に質問!」
「なぁに?」
「僕がここに来るのって、もしかしてわかってた?」
美沙は再びニコッと笑って『教えなーい!』と一言。
先程のお母さんの『色発言』といい、美沙の謎めいた言葉といい疑問符だらけだ。もちろん自分がなぜこの世界にいるのかと言うことも。
そんな思考を一旦横に置き言葉を続ける。
「さ、勉強しよう。約束の専属家庭教師登場!」
「えー、嫌だー。今そんな気分じゃなーい!」
「コラコラ受験生!夏が勝負なんだぞ。気合が足りん!」
先程のお返しと言わんばかりにスパルタを演じてみる。が、もちろん効果はない。
「そうだ!」と美沙が
「なに?どうしたんだい?」
「カルピスソーダ!」
「...... 」
(あかん。ペースに巻き込まれる...)
「じゃあ先に作戦会議でもするかー」
「スルスルー!」
「その作戦会議した後は勉強するからな。約束だぞ!」
「はーい」
なんとも不思議な感覚だ。
ここが1994年の世界であることを忘れてしまいそうになる。この旅にはきっと何か意味があるはず。
(まぁ、しばらくはこの運命に流されてみようっかな...)
キラキラした目をしながら僕の言葉を待つ美沙を眺め、僕は少しだけ優しい気持ちになった。
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