第3話 亡き母を訪ねて。
JR宇治駅で美沙と別れた僕は、母の実家目指して歩き出した。思えばこうやって母の実家を訪れるのもいつぶりだろうか。母が生きていた頃は最低でも盆正月の2回は顔を見せていた気がする。
2020年、まだ祖父も祖母も健在である。親よりも早く亡くなってしまった母の親不孝さをふと思う。
宇治橋商店街を東にしばらく歩くと大きな川に突き当たる。そこが宇治川だ。今も昔もその流れは変わらないように思えた。
母の実家はその目と鼻の先、平等院表参道の入り口付近にある。『宇治ことぶき屋』という古びた看板と大きな鳥居が目印なのでわかりやすい。
僕の胸はかなり高鳴っていた。
(なにせもうすぐ母に逢える! もう二度と逢えないと思っていた母の姿をもう一度目にすることができる!)
そう思うと、自然と足の運びも軽やかになる。
このまま諦めるわけにもいかないし、ここを離れても行く当てもない。とにかく母の実家と接点を持ちたい気持ちに促され、店内に足を踏み入れた。
茶団子をはじめとする宇治らしい和菓子の数々。
何度か食べたことがあるものから新作までが綺麗に並べられている。
(『やらずして悩むくらいなら、やってから悩め』って、じいちゃんによく言われたっけな……)
そんな懐かしさを噛み締めながら祖父の作品を眺めていると、不意に声が飛び込んでくる。
「お兄ちゃんも、お一ついかがですか?」
その
もちろん、僕がケンタロウである認識はない。
僕は「ありがとうございます」とお礼を言いつつ、それを一つ口にする。昔懐かしい味が
「やっぱ、美味しいや……」
その呟きに気がついた祖母は嬉しそうに微笑んだ。
「お兄ちゃん、食べたことがあるのかい?茶の香餅」
「あ、はい。えっと、昔知り合いから頂きまして」
「そう、今日はどこからこられたの?」
「嵐山です 」
「あらそう。御苦労さんね 」
祖母の職場。
定休日以外はこうやって毎日お客さん相手に一生懸命働いている姿。この頑張りがあるからこそ、今の自分がいる。僕の命に繋がっている。
そう考えると、少しだけ目頭に熱いものを感じた。
僕は無意識に祖母を見つめたままだった。
「お兄ちゃん、どうかしたの?」
「あ、いえ。最近少し悩んでいたもので……
お母さんの一生懸命な姿を見てると、僕も頑張らないとって思ってしまいました」
「まぁ、お兄ちゃん若いし、人生まだまだこれからよ!もひとつ食べて行きなさい。いまお茶も淹れてあげるから」
そう言って店内の角にある小さな椅子に
(やっぱりあったかい人だなぁ)
母が亡くなって以来、足が遠のいてしまっていたことを少し恥じた。
店内からみる平等院表参道。
今日7月24日は日曜日ということもあり多くの人通りで賑わっている。ふと壁にかかる時計を見ると午後3時を回ったところだった。
「はいどうぞ」という祖母がお茶を差し出す姿に軽く会釈を返し、僕は言葉を向けた。
「あの店員さんは、お母さんの娘さんですか?」
「ん?あー、いやいや。あの子はパートタイムでお手伝いしてくれてる子よ」と言いつつさらに続ける。
「うちの娘のチエコは、いま福岡で働いてるの。ついこの前までお兄ちゃんくらいだったのにね。もうすぐ25歳かしら」
「そうなんですね。福岡で何されてるんですか?」
「さー、何をしているのかしらねぇ。 仕事が忙しいのかどうかわかんないけど、なかなかこっちにも帰ってこないのよね」
初めて聞く若かりし頃の母の姿。
もちろん今の自分の中の像とは全く異なる。
もっと自由で、自分らしさを大切にしているように思えた。
「お母さんの娘さんにも会ってお話ししてみたくなりました。きっとお母さんのように楽しそうに生きてるんだと思いますよ。なんとなくですが 」
「そうね、またご縁があればそういう日が来るでしょうね」
ふと気がつくと、店のレジカウンターに人だかりができている。女性の店員さんが一人でテンヤワンヤ状態だった。
「あ、お母さん。お構いなく。今お忙しい時なのにお時間頂いてありがとうございました。お話聞いてもらって元気が出ました!」
祖母も僕の視線でそれに気づいたのか、苦笑いの謝りを残して仕事に戻っていく。
(やっぱりどこか母さんに似てるな……)
僕は先程いただいた茶の香餅の一番小さいサイズを一つ買って店を後にする。これからいくあてもないが、母のことに触れることができたことで少し安堵した。
平等院表参道をさらに奥に進むと、宇治川沿いの道に出る。その道沿いに設置されているベンチに腰をかけ、先ほど買った茶の香餅をさっそくいただくことにした。
宇治川の流れは穏やかだ。
キラキラと陽を浴びて輝く
(穏やかであればいいな……)
ここは僕がまだ存在していない世界。
もし突然、見ず知らずの高校生から「僕はあなたの息子です」と声をかけられたらどう思うだろう。
言われる側に身を置くと全くと言っていいほど信用に値しないのは明らかだ。
母が結婚したのは1999年。今から約5年後。
父と結婚するまではイトウではなく『オカ』の苗字を名乗る。今はオカチエコのはずだ。
(交通事故で亡くなるまであと20年か... もし事故で死んでなかったら... きっと祖母のように2020年になっても楽しく働いているんだろうな。事故がもし起きなかったら?)
未来がわかっている自分にはそれができる可能性があることをずっと考えていた。
とは言え、まだ先の未来よりもどうにかしないといけない今を優先する。
(今日はこれからどうしよっかなぁ。帰る場所も行くあてもないし……)
「はぁー、どーしよー」
そう呟いた僕の波は、流れる川の音に、いとも簡単にかき消されていった。
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