第15話 じいちゃん。

「今お時間いいですか?」


「お?いいぞ。どうした?」


「今度のコンテストの作品ですが、昨日ちょっと考えてみたんです。一度ご意見いただけたらと...」



そう言って祖父に2枚のルーズリーフを手渡す。

そこには、昨日僕と美沙が考えた和菓子と珈琲のセットメニューの絵が1枚ずつえがかれていた。



「お、こりゃどっちも上手うまいな。しか急須きゅうすとは面白い。お前が描いたのか?」


「いえ。一緒に出るの子が描いてくれたんです」



今日は休日明けの木曜日。

朝6時からの仕込み作業が終わり、ようやく一息つけたところで、僕は祖父にコンテストのメニューを相談することにした。


祖父も驚いた通りで、美沙に絵の才能があることを僕も昨日初めて知った。なんとなく芸術肌な人だなと感じてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。


鉛筆が持つ柔らかくて繊細なタッチで描かれたその絵は、その絵自身が表現するモノはもちろん、見た人の心にいろんな景色を与えてくれる気がした。

懐かしさ、楽しさ、温かさ、嬉しさ、ゆったり感、ほのぼの感。表現は無限に湧いてくるようだ。

ちなみに、珈琲を急須で入れるアイデアは美沙の提案である。たまたま喫茶北風で遊んでみたら意外と美味しかったらしい。


昨日の午後。2人の休日。

僕と美沙は、京都三条にある映画館で映画を観たあと、その近くのカフェに立ち寄り、珈琲にどんなスイーツが合うか話し合った。

多少のスッタモンダはあったものの、最後に残った案が大福餅と羊羹ようかんというわけである。

そのどちらが良いかを、和菓子職人の祖父の意見で決めようということになった。



羊羹ようかんにしろ。大福餅はかん」



はや!しかも今、完全に個人的な好き嫌いだったような気がするんだけど......)

(ま、いっか。美沙も任せるって言ってたし...)



祖父のこういう一面は僕は嫌いじゃない。

思い返せば、僕がこの店で働くことが決まった面接も即決だった。

目を見ただけの一瞬の判断。

一度決めたらそれを信じて突き進む。

きっとそれが、祖父が納得できる生き方なのだろう。

今まで僕がこの世界で選べる選択肢は色々とあったが、その一つ一つの選択結果とそのあとの行動が今に繋がっていることを思うと、その場の直感を大切にする祖父の姿勢がわかる気がした。



「ありがとうございます。じゃあ、こっちの羊羹ようかんにします。あと羊羹のレシピですが......」



そう言いながら、もう少し詳しくアイデアを書いたもう一枚の紙を手渡す。黙ってしばらくそれに目を落としていた祖父は、おもむろに顔を上げた。



「よし。合格。早速昼から試作品作るぞ。この品の決め手は『こしあん』だな」



これまた豪速球並みの判断だ。

祖父は朝でも夜中でも、つまりはいつでも、アイデアが頭の中に浮かぶとすぐに動きたくなる性分しょうぶんらしい。

先日祖母が、『何を思いついたのか、家族旅行の途中で一人で現場に帰ってしまった』という昔の家庭内事件をボヤいていたのを思い出す。



(僕もその血を引いているんだな...)



ふとそんなことを思っていると、祖母が店の方からから現場にやってきた。



「賢太朗君いるー?」


「はい。ここにいますよー」


「今度の15日のお盆休みだけどね、家族みんなでバーベキューするんだけどよかったら来ない?」

「千恵子も福岡から帰ってくるの。ほら、初めて会った時に『会いたい』って言ってたわよねー」



それを聞いた瞬間。

僕の心臓がドキリと跳ねる。



(母に逢える... もう二度と逢えないはずの母に...)



いろんな妄想が僕の頭を駆け巡っていた。

この世界の母は僕をまだ知らない。

会うことで未来が変わってしまうかもしれない。


本当にあってもいいんだろうか?

母に嫌われないかな?

僕が嫌いにならないかな?

なんて声かけたらいいのかな?



「ん?どうかしたの?」と祖母が尋ねる。きっととても複雑な表情を浮かべてしまっていたのだろう。


「あ、いえ。ごめんなさい。ちょっと別の事考えてまして......」



もちろん嬉しい気持ちの方が大きい。

でも、それと同じくらい僕は怖かった。

事故で他界した後の母であれば、きっとこんな想いにはならなかっただろう。僕を既に知っている母であれば。ただただ、逢いたい気持ちのみで逢えるのだから。



以前に一度は感じた強い想い。



『たとえ僕が消え去ったとしても、あの事故を防いであげたい』



(本当にお前は、それでいいのか?)



美沙という大切な人に出会って、それでも僕はそう言い切れるのか。自問自答が僕の中で繰り返される。いろんな感情と共に。


そんな思考の渦に巻き込まれていた僕の耳に、祖父の声が届く。



「じゃあ、この絵を描いた子も連れてきなさい」


「......」


「嫌か?」


「いえ、そういうわけでは無いんですが...」



(これもきっと、何かのお導きか運命なんだ......)



既に使い物にならなくなっていた僕の思考が、自ら判断するという責任を諦めて、そう心で呟いた。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



僕たちが参加するスイーツコンテストは様々な決まり事があった。


参加者は現役高校生である事。

2名1組で参加する事。

出品する品は、スイーツ1品と飲み物1品のセットである事。

第一次選考は書類審査であり、8月10日までにそのレシピと完成品の写真を大会本部に提出する事。

その合格者のみが8月21日の本大会に参加できる事。

その他、食材原料に関するもの、本大会に関するものなど、合計で約20項目の規定が存在していた。


先ずは、書類審査を華麗に突破する!を目標にし、午後から早速試作品作りに取り掛かる。


レシピ通りに和菓子を作ることと、そのレシピ自体を作ることは、似て非なるものである。



『100の失敗が1の成功を生む』



日頃から祖父が口癖にように言っている言葉の意味が、この和菓子のレシピ作りで見えた気がした。


甘い、苦い、しょっぱい、っぱい、そしてうまいの5つの要素を『基本味』しくは『五原味』といい、これでは決まる。

そこに、口どけやめらかさや硬さ、そして温度などの食感と、更には後味あとあじの感じ方などの要素が加わり、(美味しい)とか(不味まずい)の判断に繋がる。


美味しいという一つ一つの要素を、しっかりと因数分解いんすうぶんかいしないと、レシピ開発はできないことを初めて学んだ。



(じいちゃんって、まるで魔法使いだな......)



それをいとも簡単にやってのける祖父の経験の豊富さに、ただただ脱帽である。



(普段は無口だけど、こうやって素材たちといつも会話してたんだ...)



僕は夢中になっていた。

和菓子作りをしているときのに。時間も食べることも何もかも忘れて。


この日僕が家に帰ると、時刻は夜の9時を回っていた。


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