お説教くささはアウトソーシング


大澤:あ、そうそう。少女小説って、やっぱり基本的には想定している読者層が中高生くらいじゃないですか? わたしもそのへんの層を読者に想定していて、でも、あんまり狙ってる層に届いてはいないみたいなんですけど(爆笑)


秋永:「おにぎりスタッバー」も「6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。」も現役の高校生に読んでほしいと、私も思います。「こういうのが読みたかった、こういうことを書いてほしかった」というひとが絶対にたくさんいますよ。


大澤:まあ、それはいいとして。やっぱり、この歳になって、さあ中高生向けの小説を書くぞ~~! って思うと、もう言いたいことや伝えておきたいことがたくさんありすぎて、お説教くささが前のめりになって良くないですよね。


秋永:そこはね……難しい。でも、純粋な娯楽なら、小説じゃないほうがいいわけです。小説読むの、めんどくさいもん。だから、なんだかんだで読み手のほうも小説に「それ以上のこと」を求めているのだと思います。そこにまだ、小説の権威、小説の居場所があるというのかな。ただ、わざわざ能動的に、一生懸命読んでいるのに、説教されたくはないというのもある。


大澤:だから、言っちゃうとダメなんですね。読み取ってもらわないと。言われちゃうと飽くまで人の言葉だけど、自分で読み取ったものは自分のものじゃないですか。あとは、すぐに真似できるハックてきな話をすると、説教くささのアウトソーシング。秋永さんの「眠り王子」でも、お説教くさい台詞はおばあちゃんにアウトソーシングされてますよね。あれ、主人公の台詞として出てくるとたぶんしんどいんですけれど、おばあちゃんが言うのなら別にいいんです。おばあちゃんはおばあちゃんなので。お説教くさいものなので。


秋永:主人公のマーヤに、立派な見識はないわけです。そんなお利口さんは読者から遠い。飽くまでも「おばあちゃんの言葉」をなぞっているだけ。なぞっているうちに、その意味が沁みこんでくる。ゲームの「クエスト」みたいなものですね。


大澤:少女小説のルールその2だ。「主人公は普通の女の子でなければならない」


秋永:「賢人としてのお年寄り」に行動規範を託そうという目論見はありました。ただ……かなり直截的に挿入されるので、やっぱり「お説教くさくてしんどい」という感想はありますね。物語の都合で、主人公が愚かになったり賢くなったり、人格がブレるのは回避したかったので、それは叶ったのかとは思っています。


大澤:お説教くささのアウトソーシングはわたしもやっていて「おにぎりスタッバー」だとアズちゃんのお母さんがわりとお説教くさいことを言う人なんですけど、でも、本人はものすごくいい加減な人なんですね。


秋永:「いい加減な大人」……「主人公より天然で社会不適合な親」というのも、好まれるキャラクタです。


大澤:だから、言われているほうのアズちゃんは「あ~はいはい」って、聞き流してる。お説教てきなものが入ってきても、それに主人公が感銘を受けたりせずに、サラッと適当に受け流してしまうとカドがとれる気がします。


秋永: 読者は名言として記憶するかもしれないけど、劇中の主人公はあんまり聞いていないという。作者の言いたいことが何もない小説も味気ないけど、言いたいことを作中の人間がもれなく肯定する必要はないわけです。


大澤:自分の書いたキャラに 言いたいこと言ってもらって、自分で書いたキャラに言いたいことを肯定されているだけじゃ、本当にひとり人形劇になっちゃいますからね……。 言いたいことを言うだけなら小説じゃなくてツイでバトルでもしてればいいんですよ(暴言)


秋永:ツイッター言論バトルはよくない……。あれは果てしのない揚げ足取りです。断言を避けて言質を取られないことを完遂できる粘り強さだけが勝負を決める。なんというのかな……小説を書くことをあんまり「小説以外の目的」で利用してほしくないという、青くさい気持ちはあります。そこは私は、大澤さんより狭量で暑苦しいかもしれない。


大澤:まあ、完全にイデオロギーから解き放たれるのは原理的に難しいですけどね。どうしても、少なからずイデオロギーは孕むものなので。わたしはあまり「小説かくあるべし」みたいなことを言うのは好きじゃないんですけれど、創作は真に自由であるべきなので、でも、小説というのは、物語というのは、主張するものではなく、問うものだとは思います。


秋永:主張するものではなく、問うもの。


大澤:これこそが正しいんだ~って、隙のないように武装していくよりも、わたしは自分なりに一生懸命ここまで考えてみたよ。あなたはどう思う? と、ポイと投げかけてしまえばいいんじゃないかなって。読んだうえで「それは違うよ」って思ってもらえるのならば、それはそれで別にいいんです。わたしが正しい主張をする必要なんてないので。


 たんに、人にイタズラを仕掛けるのが大好きなんですよね。だから実のところ、イタズラがうまくいくなら小説である必要すらなくて、ただの手段っていうか。文字だけでいいから一番お手軽じゃないですか。なので、どこかの為三が言っていた「悪ふざけ」とか「砂場遊び」というのが正鵠を射ている気がします。


秋永:そうおっしゃるひとの小説が、とっても「小説」なんだよな……。

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