自立、倫理、道徳
大澤:物語類型としてはピグマリオンだっていう話をしたんですけれども、実は本家のピグマリオンのほうでも同じような話があって、本来はちょいバッドエンドなんですよね。教育者側が傲慢に無自覚で、最後には決別するっていうエンドで。でも、観客の要望とか劇場主の意向とかいろいろあって、勝手に結末をハッピーエンドに変えられちゃって、それで原作者のバーナード・ショーが「死ね!!!!!」ってなったとか。ピグマリオンを底本とするマイフェアレディも、そこのところなにも葛藤なく普通にハッピーエンドしてしまっていて、ショーがわざわざ泥臭く格闘した部分が全部ナシになって、ただの「年の差萌え~」にされちゃったっていう。
藤の:そもそも、そのピグマリオンはシェイクスピアの「じゃじゃ馬慣らし」を殴ろうと思って書かれたみたいで、「じゃじゃ馬慣らし」は題名の通りじゃじゃ馬を淑女に矯正して、最後「女は貞淑になって幸せ」みたいな演説を女にさせるんですけど、ねえ? それに対抗して「女性は自立できる」話を描いたのに「歳の差萌え~」にされちゃったら、そりゃ怒るよって言う……。
大澤:でも商業的にはそっちのほうが大ヒットしているんですよね。
藤の:せんせいのお人形では「ピグマリオン」をベースにしていると明記してるんですけど、そこ、そこね~~~? 漫画のジャンルは「恋愛」でね~~? 「恋愛物語になっただけで、果たして「自立できてない」「単なる歳の差萌え~」になってしまうのか?」というのが今の泥臭い戦いになっています。
大澤:でも、「自立できてない」「単なる年の差萌え~」であることが、本当に悪いことなのかどうかも、分からないじゃないですか? 一歩まちがえるとひとりよがりの正義マンになっちゃう。「年の差萌え~! じゃありません! あなたたちは一個の人格を持った人間でちゃんと自立できるのです! 女は男の所有物ではありません!!!」って、ゴリゴリ割って入っていくのも、また結局「教育者の傲慢」みたいなところに回収されてしまうみたいな無間地獄構造があって。
藤の:あ~、分かります。
大澤:わたしの友達にものすごい傲慢なタイプの人と結婚しちゃった子がいて、もう本当に昭和かよっていう感じなんですよ。旦那が家に帰ってくると、その子が旦那の後をついて歩いて脱ぎ散らかした服を拾って歩いて、寝る前に明日着るワイシャツとネクタイを用意してあげてみたいな。わたしは話を聞いているだけで腹が立ってきて、夫妻どちらにもお説教をしてやりたくなるんですけれど、でも本人たちはそれで幸せそうにやっているんですよね。すごくもにょっとしちゃう。割って入っていって「は~い! ミシジニー! それミソジニーですよ! 自分の着るものくらい自分で面倒みなさーい!!!!」って言うわけにもいかなくて、すごく言いたいんですけれど。
藤の:個人的な話にも繋がっちゃうんですが、実はマイフェアレディよりピグマリオンより先にハマったのが「じゃじゃ馬慣らし」の映画で、さっきも言ったように、ぜんぜん現代的な感覚ではないんですけど、わたしはめちゃくちゃプラスの意味でドキドキするんです。わたしは「自分を矯正される」というのがすごく、受け入れやすい性格で。だからその幸せそうにしているお友達のこともわかる気がするし、否定できない。すべての女性がそのような性質があるということは決してありませんが、その性質を持ってるがゆえに、そこまで割り切って正義マンになれないというのがあるのかもしれない。
大澤:そうなんですよね。教育される喜びみたいなのとか、隷属する幸福みたいなのも否定できるものではない。むしろ、商業的にそういうののほうが流行っているってことは、本質的には人間は隷属したいし矯正されたいものなのかなぁとか。わたしはわりと「自立しろ!」っていう話を書いているんですけれど、でも「その道を行けば幸せになれる!」って思っているわけじゃなくて、むしろ「終わることのない永劫の戦いに身を投じろ!」って言っているんですよね。素朴な幸せからは遠ざかっている。だから、わたしはもう戻れないんですけれど、それをあらゆる人に求めていくのは酷だという話も分かる。
藤の:ある意味、自立って「状況が選べる状態」な気がしてきました。選択肢を与えないで隷属させるのは非人道的に思えますが、それをしなくてもいい、とわかっている上で選ぶとなると話が変わってきます。そこで難しいのは、「外からではそれがどちらか見分けがつかない」所なんです。教師×生徒の恋愛もののたいていが、年齢的な問題さえクリアすれば、たとえば卒業した後とかなら「お互い好きだからオッケ~!」で終わると思うのですが、全く二人の心理が見えないところから観測すると、それが立場を利用したものかどうかっていうのがわからないですよね。
大澤:漫画の場合はほら、むくむくっと上に吹きだしが出て、台詞とは別に、そのキャラがいま思っていることを書けるっていうのが、お約束としてあるじゃないですか。あれはわりと漫画独特で、小説の場合は基本的には視点人物でないキャラが考えていることは分からない。あれをやられると、読者のほうは「ああ、この子は本当にそう思っているんだ」と、納得するしかなくなるんですけれど、現実では他者が考えていることは永久に分からないわけで、それは当事者ですら区別のつかないものだと思うんです。立場を利用したものなのか、本当の恋愛感情なのか。
藤の:倫理、道徳とは「本当のことはわからないから、より正しいと思われるものを選ぼう」というもののような気がしていて、作品にガッチリ「倫理観」を埋め込んでいくと、「本当のところは置いておいてより正しいと思われるものにするべき」になってしまって、でもそれは人の心、ドラマとはまた違う。
大澤:別に正しいものを書きたいと思っているわけではないですからね。いや、自分なりの正しさみたいなのは追求しているんですけれども。
藤の:でも、そこで今度は人の心が気持ち良いだけのものに傾くと、なんでもありになる。それこそ「はあ? なんでこんな男の言う事を素直に聞くようなキャラをヒロインにするわけ? ありえん」みたいなものにもなりかねない。
大澤:最終的にはバランス感覚ですよね。
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