限界集落オブ・ザ・デッド ロッキン神経痛
(文中※は、大澤による注釈)
大澤:はじめまして。本日はよろしくお願いします。
isako:はじめまして。こちらこそよろしくお願いします。
大澤:えっと、なんだっけな? わたしもこの対談をするのが久しぶり過ぎて段取りをよく覚えてないんですけど……そうですね。まずはisakoさんの紹介からになるんですけれど。っていってもisakoさんは……えっとこれ、発声はisakoでいいんでしょうか?
isako:isakoです。書いた小説をインターネットに掲載して、その感想を漁るなどして生活しています。
大澤:なるほど。で、今回はisako VS 大澤めぐみ! ってことでやっていくんですけど、isakoさんはわたしにとってもわりと謎の人物で、実はよく知らないんですよね。わたしはisakoさんの作品めっちゃ好きで、カクヨムで読めるものはぜんぶ読んでるのでisakoさんの作風とか作家性みたいなのは、もうわたしがインターネット上の誰よりもよく把握してるんじゃないかくらいに自負してるんですけど、ツイではね、いちおう相互フォローなんだけど、isakoさんはあんまり呟かないし自分からリプライを飛ばすような運用もしておられないので、ほとんど絡んだこともなくて。だから以前から興味はあったんですけど、isakoさんの人となりとかは完全に謎のまま対談という運びになりまして、今日はわりと緊張してます。
isako:おれも緊張しています。まさか大澤先生とお話できるとは思ってなかったので……。
大澤:わたしの視点からでいうと、関わりとしては2018年に……だからもう4年前くらいになるのか。わ、今びっくりしちゃった。あっという間ですね、4年。なにしてたんでしょう?
isako:4年……振りかえるとあっと言う間ですね。「4年越しに初めまして」というのは、なかなかネットならではの人間関係というのを実感させられます。
大澤:新一年生だった本山のらのちゃんが大学を卒業するくらいですからね。えっと、2018年に、わたしと秋永先生と、あと、つい先日Vを引退した本山らのちゃんとでやった『第八回 本山川小説大賞』に、isakoさんが『「文化」とは私たち生活であり、営為であり、存在である。』という作品で、フラッとやってこられたのが最初……であってますよね?
※『「文化」とは私たちの生活であり、営為であり、存在である。』 - 共産主義でも資本主義でもない、人類の『文化』こそを至高の価値と見做す社会体制が支配する世界を描く、硬質なディストピアSF。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886731890
isako:おれもそのように記憶してます。あのときツイッターで本山川小説大賞の存在を知ったんです。小説家の方が書いたものを読んでくれるってすげぇなと思い投稿した流れでした。以来、大澤先生はおれの小説に反応を下さるので、とてもありがたく思っています。
大澤:わたしも無愛想なのでコメントとかあまりしないんですが、isakoさんのはアップされる端からぜんぶ読んでますよ。『「文化」とは~』も、よく覚えてます。あのときは三人とも「この手つきは素人じゃないだろ」みたいな感じで、でも新規アカウントだし、プロフィールとかもなにも情報がなくて、え? 何者だよ? みたいな感じでざわっとしてて。
isako:講評を読ませてもらったときは、本当に嬉しかったです。おれ、小説いけるやん! と本気で喜びました。いける、というのがなにかは書くひとであれば何となくわかってもらえると思います。
大澤:小説って自分ひとりで書くものだから、自分がどのくらいいけてるのかって、ほんと分かりませんからね。わたしも今でもよく分かりません。本物川小説大賞は短編小説賞なので、短編小説としてバチッとスキッと終わってるっていうのをわりと評価したくて、その尺度でいうと『「文化」とは私たち生活であり、営為であり、存在である。』と、もう一作の『人間のあなたはいつか、人間の私を食べる』も、ちょっと賞レースには絡んでこない感じだったんですけど、なんですかね? こう、盤面から立ち昇る玄人オーラみたいなのがしっかりあって、もう書き手としてはある種完成しているなと。本物川小説大賞は、拙くても粗削りでもなんでもいいからお前の情熱(Passion!!)をぶつけてこいよ! ってスタンスなんですけど、そういう意味ではもうまったく、本物川小説大賞っぽくはなかったですね。
※『人間のあなたはいつか、人間の私を食べる』 - 半人半獣の醜い容姿をもつ、かつて人間の女であったフラノと、美しく奔放な少女ミーアが、お互いに愛とは言い切れない複雑な感情を抱えながら共に旅をする重厚なファンタジー。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886809000
isako:本物川大賞では、身に余る評価をいただいたもののとくに何かを冠することはなかったんですよね。当時は悔しくてたまらんかったですが、その後4年間は同じような状況が続くばかりで、結局のところ実力不足なんだろうなと落ち着き始めています。今でも小説をアップするたびにこれはバズるという確信を以てやってますが、まぁそんなことないですね。ままならんです。
大澤:ポップさ、ほしいですよね。わたしは『Y田A子に世界は難しい』は全力ポップにして、わりと本気で天下取りにいったんですけど、まったく売れませんでした(わっはっは)。もうなんもわからん。
isako:つらい。
大澤:本を出したけど売れなかったというステータスは完全新人よりも不利なので……。
isako:先生も大変ですね……。
大澤:まあ、それはさておき。isakoさんは、小説はどこかでなにか教育を受けたとか、トレーニングをつんだとかあるんでしょうか?
isako:特別なことはなにもありませんでした。幼い頃は一人の時間が多かったので、考えごとや夢想で自分を慰めていたことが多かったかなと思います。書くことをやる程度ですが、物語への執着にはそこがベースにあるかもしれません。
大澤:えー、じゃあ本当にネットで小説を書いてるだけの人ってことですか? それにしては小説てき体幹の筋力みたいなのが非常にしっかりしている印象です。『文化とは~』以前にも作品は書かれていたんでしょうか? 小説を書き始めたのはいつ頃から?
isako:本物川小説大賞に応募した一・二年くらい前から書き始めました。その前には一年くらい漫画を描いていたんですが、そっちは挫折しましたね。絵は難しい。小説のほうがやれてる実感があったので、転向したというか……。どちらにせよピラミッドの土台のままではあるんですけども。大澤先生こそ結構謎が多いというか、いろんな顔があるという感じですが、作話的な素養はどのように身につけられたんですか?
大澤:うーん。むかしから友達が少なかったので、生きるために本は常に必要でした。内容はわりとどうでもよくて、とにかく文字を目で追って時間を潰せるというのが重要だったので、ブックオフで100円で買えて、なるべく分厚いものを、なんでもいいから読むみたいな業の深い読書を重ねてまして、そのころの節操のない読書体験が今さらになって色々変なスパークをしてるのかなぁ、って感じですね。でも読むばっかりで書くことはぜんぜんしたことなくて、文章のてにをはに関してはツイッターで覚えたクチです。
isako:「ツイッターでてにをは」はスルーさせていただくとして……。ところで大澤先生は、覆面で作家されてるという認識なんですけども、なにかこだわりがあってのことなんでしょうか。
大澤:覆面作家っていうか、ツイッター上に存在するクソツイッタラーの大澤めぐみさんっていうのが既にわたしとは分離したひとつのキャラクターとしてあって、その大澤めぐみさんが作家としてデビューしちゃったので、今さらわたし自身が「ちわ~」って出ていくわけにもいかないみたいな感じで、こだわりというよりは流れです。インターネット大河の雄大な流れには逆らわずに乗っていく方針なので。
isako:へぇ。そういう感じなんですね。ツイッタラーと執筆者の人格は別なんだ。設定とかじゃなく、そういうのはあっても不思議じゃないと思います。現実でも自分の接する社会ごとに演じるキャラクターは変わりますしね。
大澤:場によってペルソナを使い分けるのは当然だし、とくにインターネット上では、分離したペルソナを持つことは非常に重要な基本的権利だと思います。isakoさんのほうこそ、覆面作家てきというか、公開されてるプロフィール情報がすくなくて匿名垢てきな雰囲気ですが、なにか拘りがあるんでしょうか?
isako:書き物のほうに余計な偏見を持ってもらいたくないというのがあります。おれ自身、ネットを漁るときに、発信元の人物のツイッターとかよく見るんですけど、そこで得た情報ってかなりおれのコンテンツ評価を左右するんです。書く側としてはコンテンツだけで評価してほしいと思うのは当然なんですけど、こればっかりは否定できないです。自分が発信者の情報によく引っ張られてしまうので、逆におれの小説ではそうなってほしくないな、と。
大澤:わたしも基本的に本にあとがきはつけてないんですけど、だいたい同様の理由ですね。せっかく良い作品だったなーって思っても、終わった瞬間に作者が「どうもどうも」って出てきたんじゃ興ざめですし。でもツイッターはほら、好き好んで見にきているわけだから、そりゃもう見にきたほうが悪い、みたいな感じで自由にやってます。
isako:結局は自由にやるしかないところはありますね。ツイッターは140字をさくっと投稿できてしまう分、そのときそのときの感情で文章を吐き出してしまいがちになります。おれ自身。これがなかなかくせものというか、誤解を招きやすいメディアですよね。大澤先生の「見に来たくて来たんだろ」のストロングスタイルもSNSでは一つの王道のように感じます。
大澤:でもアレですよ。名前はそれっぽいのがあったほうがいいですよ。ちゃんと実在の人間っぽいの。
isako:実在っぽい名前ですか。
大澤:本になったときにほら、表紙がかっこわるくなるし。ウチの子で(ウチの子です)ロッキン神経痛っていうのがいて、名前なんですけど、ロッキン神経痛が。その子が『限界集落オブ・ザ・デッド』って作品でカクヨムのホラー大賞をとって本を出したんですけど。表紙に「限界集落オブ・ザ・デッド ロッキン神経痛」って書いてあるものだから、え? なに? みたいな感じで? サブタイトル? みたいな。
isako:なるほど。実際の弊害がありますね。ペンネームが人名的でないことは多々ありますけども、痛みを分類する言葉がペンネームになっているとそれを一目して見抜くのは難しいかも。
大澤:あと、わたし結構ながいあいだ『異世界おじさん』を『異世界おじさん殆ど死んでいる』がタイトルだと思ってて、あんま死にかけてねーなーってなってたし。
isako:注目を集めるために変な名前にするのは面白いけど、エッヂが利かせすぎるとかえってよくないかもしれませんね。おれでいうとisakoって、まぁisakoとは読めるけど、アルファベットだしとっつきにくい感じしますね。目に留まりにくいといか、日本語圏でやるんだからマーケティング的にも、日本語文字を使ったほうがいいのかもしれない。
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