私の寝不足が解消されないのは、別に夏の夜の暑さが原因というわけではない。

 確かに昨今は蒸し暑いし、我が家は田舎の今にも崩れそうな古い家であるから、精々扇風機程度しか涼を取る為の道具はない。しかし田舎であるがゆえに、窓を開けているだけでも十分に涼しい風は入ってくるし、真夏の熱帯夜でも、さほど寝苦しく感じるわけではない。

 それでは夜更かししすぎなのでは、と問われたら答えはまた否である。もともと趣味も大してないつまらない人間であるから、夜の間することがないのでさっさと床についてしまう。九時から十時頃には眠ってしまうし、朝も七時起きであり、決して睡眠時間が不足しているわけではない。

 ならばなぜ寝不足なのかというと、騒音だ。とはいっても別に往来の車が騒がしい訳でもないし、繁華街が近い訳でもない。外から聞こえる虫や蛙の声は確かに騒がしいのだが、しかしそれは安眠を妨害するわけではなく、むしろ心地よい自然の音楽にさえ聞こえて、より安眠を助けてくれるものだ。平屋建てのぼろぼろの一軒家であるし、隣の家は歩いて五分はかかる距離なので、隣人が原因でもないし、上の階には人間はいない。

 騒音の主は、鼠である。それもただの子鼠が駆け回っているわけではない。私がちらりと見た感じでは、握り拳を二つ並べた様な、やたらと大きな鼠だ。そいつが天井裏を毎夜毎晩駆け巡っているから、ドタドタドタ、と騒がしいのである。建物の構造で反響しているのかは定かではないが、その音はとにかく大きく、熟睡していても飛び起きるほどだ。

 そんな大鼠は、昼間のうちは姿を見せず、夜になると天井裏をドタバタと走りまわっている。その音を無視して眠ろうとすると、今度は布団の傍まで降りてきて畳の上をドタバタと走りまわる。こいつの所為で、私はここのところずっと寝不足なのだ。

 ボロ家であるから鼠の一匹二匹出てもおかしくはないし、私は基本的に自然と共生したいタイプではあるので、鼠自体が嫌いなわけでもない。しかし、さすがにここまで安眠を妨害されては黙ってはおけない。生け捕りにするにしても、あの大鼠のことだ、何の菌を持っているかも分からないし、捕まえた所で上手く逃げられて終わりだろう。しかも仮に生け捕りにしたとして、飼えるわけでもなければそれを必要とする者もおらず、どうすることも出来はしない。

 そのことを隣人に話してみると、ならばこいつを使うといい、と言って隣人は鼠を捕まえるための罠を貸してくれた。板に何やら物々しいバネがついている、昔ながらの物だ。さっそくバネを起して仕掛けを用意し、チーズをその上に乗せて天井裏に仕込んだ。

 その夜、普段の通り眠っていると、いつものように例の大鼠が動き回る。ドタドタドタ、ドタドタドタと時に休みながら、実に大きな音で天井裏をあちらこちらに駆け巡っている。と、その時。


――バン――!


 仕掛けが発動した音が聞こえた。その後ぴったりと足音が止んだので、これはやったかと思い、脚立を持ってきて天井の板をはずし、天井裏を覗き込む。あまりにも暗いのでよく見えず、手探りで罠を探すと、先ほど仕掛けた場所から少し離れた所に罠があった。ぐい、と軽く引っ張ってみると、明らかに重い。この重さはあの迷惑千万な大鼠に間違いはなかった。

 私は仕掛けをがっちりと右手でつかむ。鼠らしき感触があったのが気持ち悪かったが、これも最後と思い切って天井裏から明かりの下に仕掛けを出す。

 そこには、例の大鼠の死骸が挟まっていた。握り拳二つはあろうかという巨大な体、それと同じくらい長く太い尻尾。罠に体を潰され、裂けた皮膚からは内臓が飛び出している。私はあまりの不気味さに、その鼠を仕掛けごと外に投げ捨ててしまった。その理由は、鼠の巨大さでも、飛び出した内臓のグロテスクさにショックを受けたからでもない。その鼠の顔が、苦痛に歪んだ私の顔そのものであったからである。

 以前全体像を見かけたときは、確かにその鼠は、鼠でしかなかった。しかしその死骸の首元より先は、明らかに私と瓜二つだったのだ。私はガタガタと震えながら、天井を見つめる。先ほど鼠が死んでいたあたりが、じわり、じわりと赤く染まってゆく。明らかに鼠一匹の血の量ではない。あの鼠は何かの神だったのだろうか。それを殺めた罰なのだろうか。

 私は居ても立っても居られず、外に飛び出し、先ほど鼠の死骸が落ちたであろうあたりを調べる。ほどなくして、先ほどの罠を見つけることは出来た。しかし、そこには鼠の姿はない。血の跡は残っているが、肝心の死体がないのである。

 私は罠を掴んだままとぼとぼと家に戻り、布団にごろりと横になる。天井を眺めると、やはり先ほどの血の跡はどんどん広がっていて、もはや天井一面が赤く染まっている。

 あの鼠はもはやただの動物ではなかったのだろうと、私はそう確信した。そしてそれは既に、取り返しのつかない事態に発展していることを知った。やはり、あの鼠は神か妖怪か、何か人知を外れたものであって、私が殺してしまったことは間違いだったのだと、私は今更ながらそう気づいた。

 私の真上に、大きなバネがある。あの鼠を殺した罠そのままに、私はその罠に寝転んでいる。私は最早逃げ出すこともできずに、じっとその、先ほど鼠の身体を打ち抜いた金属の太い棒をじっと見る。

 微かに足を動かした瞬間に、そのバネをロックしていた何かが外れ――。

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