迷惑な住人

 引っ越してきてから、どうにも寝不足気味だ。

 1ヶ月前に、これから都内の大学に通うということで、色々に不安はあったものの独り暮らしという選択をした。基本的に私は寂しがりで、それに加えて自炊する力も希薄なので、両親ともやんわりと私の独立を止めようとしていた。何なら両親も一緒に都内に出てくるとは言っていたが、私一人の為に気に入っている地元を捨てて東京に出てきてもらうなんていうことは、とてもじゃないができなかった。だから私は全然大丈夫であると言い張って、不安を抱えつつ都会に出てきたのである。


 そして案の定。不器用な私は日々の食事すら満足に作れず、掃除も苦手なので引っ越してきた当初は埃一つなかった部屋もだんだんとゴミが溢れるようになってきた。ある程度まとめてはいるが、しっかり分別して朝一で出すという生活に慣れず、何回もゴミの日を逃すような状況。そこに不慣れな大学での生活のストレスも加わり、日々私は憔悴していた。

 正直、日常の食事なんてコンビニに行けば買えるし、掃除が苦手とはいえゴミ屋敷というほどに汚れてもいない。寝たりテレビを見たりするスペースもしっかり確保されている。大学生活も大変ではあるが、反りの合わない人もおらず、充実している。

 ならば、私が寝不足になるのは何故か。それは、同じアパートの、ある部屋に住んでいる住人が原因であった。


 田舎に住んでいたし、一軒家だったし、隣家も相当に離れていた。だからこそ騒音というものに無縁だったが、都会に出て、アパート暮らしをすれば多少なりともそういうことはあるのだと、わかっていたつもりだった。

 確かに、隣の部屋のテレビの音が漏れ聞こえることもあるし、上の部屋で人が歩いている音が聞こえてくることもある。正直、私はその程度の騒音は何とも思わない。しかし、その部屋に住んでいる人が出す音は、そういった類のものではない。別に極端に大きな音を出しているとか、大きな声で話しているとか、そういうわけではないのだが、とにかくその部屋から聞こえる音が、私にとってすさまじくストレスとなっているのだ。

 その騒音は、ただの笑い声だ。けたけたけた、と甲高い、ただそれだけの笑い声。しかし、それは夜中ずっと響いているようなものでもないし、非常識なほど長く続くものでもない。しかし、その声は必ず「私がその部屋の目の前を通った瞬間だけ」聞こえてくるのである。

 ただの自意識過剰でしかないが、私はそれが自分自身に対する嘲笑であると思ってしまって、それがずっとストレスになっているのだ。まるで、目の前を通る私を、田舎から出てきた世間知らずだと馬鹿にしているかのような、そんな笑い声だと思ってしまっているのである。

 それが気になって気になって、私はしまいにはアパートに帰るのが嫌になってきてしまっていた。私の部屋に戻るには、その部屋の前を必ず通らなくてはならないのである。だからだんだんと、私はそこらの漫喫で夜を明かすようになっていた。たまに友達の家に泊めてもらったりしつつ、アパートを無意識に避けるようになっていたのである。


 それからしばらくしたある日、どうしてもアパートに取りに行かなくてはいけないものがあって、私は気が進まないながらもアパートに向かった。すると、何やら警察の車が止まっていて、何人もの人が集まっていたのだ。その中には、大家さんの姿もあった。

「あの……何かあったんですか?」

 恐る恐るそう問いかけると、大家さんは青ざめた顔で静かに答えた。

「あの、一番手前に住んでた人なんだけど、亡くなってたんだって」

「亡くなってた……?」

 一番手前、というのは、私が苦手としていたあの部屋であった。あの笑い声の主が、人知れず亡くなっていた、ということなのだろうか。そう思ったのだが、私はその次に続く言葉を聞いて、背筋が凍った。

「ほとんど白骨化してたらしいわよ。家賃は引き落としで支払われてたし、臭いとかも漏れてこなかったし……。あまり会うこともない人だったから気にしてなかったんだけど……」

「え……」

 私がアパートを避けるようになったのは、ほんの1、2週間くらい前のことである。にもかかわらず、白骨化するほど前に亡くなっていた、ということは、あの笑い声は、そもそも聞こえるはずがなかったのである。


 荷物を取りに来た、という事情だけ説明し、嫌だな、と思いながらも、例の部屋の前を通る。そして案の定――。


「あはははははははっ!」


 乾いた笑い声が部屋から聞こえてくる。なるほど、やはりこの声は、生身の人間から発せられたものではなかったのだと、私は何故か、逆に冷静になってしまっていた。

 ちらりと、ドアの中を見る。いろいろと見えないようにブルーシートが掛けられていて、数人の警察官がいろいろと確認をしている。その手前側、玄関を入ってすぐのところの床に、真っ黒に焼け焦げたような、何者かの千切れた頭部が転がっていて、赤く濁った瞳をこちらに向けて笑い声をあげていた。

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