落し物

  清掃員をやっていて長くなるが、こんな不思議なことは、この会社を担当するようになってからが初めてだ。

 週に5日、稼働日に来客などがあるエリアや廊下などの掃除をしているのだが、その際にかなり高頻度でアクセサリーの落し物がある。社内の誰かが落としているのかと思うが、事務の方にそれを落し物として渡しても落とし主が現れず、日に日に片側だけのイヤリングや指輪、千切れたネックレスなど、色々なアクセサリーが溜まっている。ここを担当するようになってから3か月ほどであるが、手のひら大くらいの小さなカゴはもはやアクセサリーで溢れかえっている。

 私の前の担当の頃はそういった落し物があったのかと問うと、なくはなかったがこれほどまでの量があったわけではないという。それは本当に落ちていなかったのか、それとも前の担当がこっそり持ち帰っていたのかは定かではないが、いずれにせよ、この落し物の量は尋常ではない。ここまで毎日貴金属が落ちていると、正直1つ、2つ持ち帰っても誰も何も言わないだろうが、それはさすがに仕事として良くないとは思っているので、ちゃんとその度に落し物入れに入れている。この会社の人が仮に落とし主でなくても持って行ってもよさそうなものだが、それが無いのが、この会社の人たちの民度の高さなのだろう。

 落ちているアクセサリーはそれこそ真鍮や洋銀で作られた安価なものから、シルバーのアクセサリー、物によってはホールマークのある金の指輪などもある。おそらくこのかごの中のアクセサリーをすべて売却したら、地金分だけでも数万円では済まないだろう。そんなものが定期的に落ちているこの会社は、不気味ではあったがいつからか宝探しのような気分になって、清掃中に余計なところまで覗き込んだりして探すようになっていた。その副作用として、普段目につかないところの掃除も丁寧にしているということになり、私の評価自体がかなり上がっているのはうれしい誤算であった。


 そんなある日、この会社で避難訓練が行われることとなった。ただ、その時私に対しては仕事の邪魔をすることは忍びないということで、避難を行わなくてよいと事前に通達があった。機密情報もあるだろうに、その状態で私一人にしてもかまわないと思ってくれるのは信頼の証であるからうれしくもあるが、少々不安に思うところでもあった。 

 そうしてその日、訓練を告げるベルが鳴り響く。私はその時1階の奥、普段使われていない倉庫の前あたりを掃除していたが、ずらずらと階段を下りて社員たちが外へと避難していくのを、いつも通り宝探ししつつの掃除をこなしながら見守っていた。こういった訓練では途中喋ったりだらだらした動きをしたりする者が一人や二人必ずいるものであるが、そういった様子が一つもないあたりが、実にこの会社の優秀さの表れであった。

 ベルが鳴り止み、しんとした空気が社内を支配する。工場ということもあって大抵は何かしらの音が聞こえているわけであるが、今日ばかりは、空調の音さえも聞こえないほどに静かであった。社員の避難場所は道を挟んだ駐車場であるので、そこで行われている訓練についての総括なども、微かに聞こえるかどうか程度であった。

 と、その時、その使われていない倉庫から、何やら音がするのを感じた。ずり、ずりという、なにかを引きずるような音である。誰か逃げ遅れた人がいるのかな、とも思ったが、そもそもここに来る人などそういないし、誰かいたとしても、掃除している間にここに続く通路を通った人は見ていない。

 この部屋については掃除を指示されていないし、そもそもこの廊下も、つながっているからという理由でやや広めに掃除しているだけのことである。勝手に普段指示されていない場所に入るのは気が引けたが、私は仕事を遂行するよりも、その音が何なのかを確かめたい衝動が勝ってしまった。もしかしたらこの音が、この会社にやたらと多い落し物の糸口を掴むことになるのではないかと、そんな根拠のない予感がしたのである。


 ゆっくりと、ドアノブに手を掛ける。

 直後、私はあわてて手を放した。それというのも、ドアノブが理解しがたいほどに冷たく、ぴたり、と手に張り付くような、あの冷凍庫の金属部に手を触れたときのような感覚を覚えたからである。

 どう考えても、これほど冷たいドアノブがあるわけがない。私は手元の付近をドアノブに巻き、ゆっくりと力を込めて回す。ギィ、という重苦しい音を開けながら扉が開くと同時に、中から痛みさえ感じるほどの冷気と、不快な臭いがしてきた。この倉庫には窓がないようで、中は完全な闇であったが、扉から差し込む光で、誰かが倒れているような、そんな足が見えた。

 これはいけないと思い、私は扉の横にある電灯をつける。この冷凍庫のような部屋の中の様子が、はっきりと映し出される。


 中には、人が倒れていた。それも、1人や2人ではない。数十とも思える大量の人間が、この極端に冷え込んだ部屋の中で、完全に冷凍された状態で寝転んでいるのである。その中には腕や足が千切られているものもあり、中には白骨化したものもある。どうやらこの人間たちはどこからか引きずり込まれたらしく、足元を見ると、床に千切れた服の破片やアクセサリーの破片が、いくつか転がっているのだ。

 そしてその奥に、得体の知れない生き物がいた。犬のような、オオカミのような、真っ白で、鋭い爪と鋭い牙を持つ、巨大なイキモノ。

 赤い瞳がじろりとこちらを見た。私はあわてて扉を閉め、外へと駆け出した。


「見てしまいましたか?」

 入口で、いつもの事務の社員がこちらを見て笑っていた。なるほどな、と合点がいった。だからこの人たちは、落ちているアクセサリーを拾わないし、落し物箱からも持っていかないんだ。すべて知っていて、誰もが忠実に黙っている、そんな真面目な会社だから。

「見てしまいましたが、大丈夫でしょうか」

 私はそう問いかけた。事務の社員は微笑みながら答えた。

「気にしなければ大丈夫ですよ」

 そう言って笑う。

「じゃあ、大丈夫ですね。すみませんでした、仕事に戻ります」

 私はそう返した。それは私が狂っているのか、それとも理性的に考えられた返答なのか、自分では分からなかった。だが、前にここで掃除をしていたスタッフが音信不通になって、その代役として私が呼ばれるに至った理由を、私はなんとなく察していた。


 時刻はもう、予定の時間を半分以上過ぎている。掃除はまだ、3割も終わっていないのだ。

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