エクレア

 カロリーを気にし始めてから、甘いものを食べる機会がなくなった。何しろシュークリームでもプリンでも、私が好きなものは大体高カロリーだし、低糖質のものがあるとはいえどうにも美味しいとは思えない。私が好きなのはとにかくしっかりとした甘みがあり、出来ればチョコがかかっているもの。中にはカスタードクリームが入っているとなおありがたい。というわけで、私の大好物はエクレアである。

 同級生の子達より特別太っているというわけではない。ただ、それでもお腹周りが少しだけ気になるのである。無理なダイエットは体に悪いというのは弁えているつもりなので、とりあえず無駄なカロリーだけは摂取しないように心がけている。

 しかし、エクレアだけは許してほしい。毎食のごはんを抜いたとしても、エクレアだけは食べたい。そのくらいの好物なのだ。それも、別にコンビニで売っている物が食べたいのではない。同じクラスの沙苗の両親が経営しているスイーツ店の、有名メニューでもあるエクレアが大好物なのである。

 毎週1度、金曜日の学校帰りに立ち寄って、エクレアを購入し、家で紅茶を入れて食べる。これが、私が学校生活を送るうえでなくてはならないことなのだ。沙苗も沙苗の両親もそれを知っていてくれるので、週末はどれだけエクレアが売れたとしても、必ず1つは私の為にとっておいてくれるのだ。


 ある週、金曜日はちょうど祝日に当たって学校が休みだったのだが、私はいつも通りにエクレアを買いに行った。その日は沙苗も店番をしていて、何も言わずともいつものエクレアを1個出してくれた。

「はい、200円ね」

「ん、はい」

「ちょうどね。また来てねー」

 私はいつも通りにお金を払い、軽快な足取りで家に帰る。我が家は両親がほとんど家にいないし、私自身一人っ子なので、こういった時の自由はとてもありがたい。いつも通りに紅茶を淹れ、手を合わせて「いただきます」と言って、週に一度のお楽しみを頬張る。

「……?」

 何か、違和感を感じた。別に決して不味いわけでもないし、何か異物が入っていたというわけでもない。ただ何か、普段と違う何かを感じたのである。それも、普通だったらまず気付くことのないような、些細な違和感。しかし具体的に何が違うのかと問われたら答えることができない、その程度のものだ。

 恐らく、今日は普段と違って動いていないから何かが違うように感じるだけなのだろう。私はそう思い、ゆっくりとエクレアを堪能した。

 しかしその翌週、その翌週と日を重ねていくごとに、違和感はどんどん増していった。味が違うのでもない。食感が違うのでもない。ただ、何か言い表せない不安を感じるようになったのだ。それが何なのかはわからない。ただ、不安なのだ。

 それでも、私はエクレアをやめる気にはなれなかった。私にとってそれは、甘いものを食べるという以上の特別な感情があるからである。それに、味に何か不満があるわけでもない。味はいつも通りだし、食感、見た目、あらゆる面はいつも通りなのである。なのに折角の週に一度の楽しみを止めるなんて、考えられない。


 そうしてしばらく不安を感じながらも、私は毎週のようにお店に通い、いつも通りにエクレアを買い、いつも通りに食べて、嗜好の時間を過ごしていた。

 それからまたしばらくしたとき、また金曜日が祝日に当たり、その日はまた沙苗が店番をしていた。沙苗は私が入ってくるのを見て、微笑んでいつもの通りのエクレアを出した。私はお金を払い、意気揚々とエクレアを持ち帰る。紅茶を淹れ、エクレアを一口齧る。


 いつものものではない。


 それは、明らかにいつものエクレアではなかった。クリームが口の中に広がった瞬間、口の中に、そして舌に、焼け爛れるような痛みを感じる。私は慌てて口に含んだエクレアを吐き出そうとしたが、勢い余って飲み込んでしまう。明らかに普通ではないそのクリームは、私の喉を通り、焼くような痛みを与えていく。

 そしてその直後、沙苗から携帯に電話があった。

「――」

 声が出ない。

 沙苗は電話の向こうでくすくすと笑っている。

「美香、元気?」

 明らかに普段と違うトーンで私の名を呼ぶ沙苗。背筋が凍りつくような、そんな恐ろしく、冷たいトーンであった。

「……さ、…………なえ……」

「私、ゼッタイ許さないから」

 沙苗はそう小さく呟く。

「あんたが私から和樹君を奪ったこと、絶対に、許さないから」

「…………かず……き……?」

 和樹とは、私がつい先日告白してオーケーを貰った、私の彼氏だ。私から、というその言葉の意味、それは沙苗もまた和樹のことが好きだったという事なのだろうか。

 しかし、私にそれを考える猶予はなかった。私は沙苗にそれ以上何も言う事ができないままに、そのまま床に倒れ伏した。手から離れたスマートフォンから、沙苗の怨みの言葉だけが、不気味に響いていた。

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