目薬
瑞樹が亡くなったと聞いたのは、学校から帰ってすぐのことだった。
瑞樹は私が生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた親友で、家も隣同士、クラスも一緒、おまけに他人ながら苗字も一緒で背丈も一緒、どんな順番で並べられたとしても必ず私たちは二人一緒だった。苦しい時も、悲しい時も、うれしい時も楽しい時も、いつも瑞樹は私のすぐ隣にいた。そんな親友の訃報に、私は零れる涙を抑え込めなかった。
私はその日、学校で委員会の仕事があって帰宅がかなり遅くなってしまっていた。普段はよほどのことがない限り一緒に帰るのだが、その日に限って、瑞樹は急ぎの用事があるとかで一人で帰ったのだ。そしてその帰り道、人通りの少ない裏道で車に轢かれたらしい。発見されたのが遅れたらしく、通行人が気付いた時にはすでに心肺停止状態で、病院で死亡が確認されたのだという。
私はそれから翌日にあった葬儀の時も、その会場から帰って家に戻ってからも、寝る時でさえも、ずっと泣き止むことが出来なかった。親友を喪うことがこうまでも悲しい事だったとは考えもしなかった。そもそも、私が瑞樹と離れ離れになることは絶対ないと、そんな根拠のないことを心の底で思っていたのだから。
それからようやく涙も涸れて、ふと鏡を見ると目は真っ赤に充血していて、瞼は腫れてもはや原形をとどめないほどになっていた。こんな顔では、亡くなった瑞樹に怒られてしまうだろうなとふと思い、私はポケットの中をまさぐる。中には、1本の目薬が入っていた。つい先日、疲れ目がひどいと言っていたら、瑞樹が貸してくれた目薬だ。
「……結局、返せなかったな」
そう呟きながら、私は目薬を両目に差す。あまりに泣きすぎたせいか、若干痛みが走ったが、少しだけ気分が楽になる。私はもう一度鏡に目をやる。
「……?」
鏡に映った自分の姿。そしてその背後に、瑞樹の姿があった。
「――瑞樹ッ!?」
あわてて振り返ると、そこには瑞樹が寂しそうな顔をしながら立っていた。瑞樹は私のほうにちらりと目をやると、なんだか申し訳なさそうに、にっこりと微笑んだ。瑞樹は何も言わず、ゆっくりと歩き始めると、手招きをした。
「……こいってこと?」
瑞樹はこくりと頷く。私は瑞樹に導かれるままに部屋から出て、瑞樹と共に階段を下りる。母が呼ぶ声がしたような気がしたが、私はそんなことなど気にも留めず、とにかく瑞樹の後をついていく。
外はいつの間にか真っ暗だった。田舎ゆえに、街灯もまばらだし、人通りも少ない。瑞樹は時折私の方を振り返りながら、ゆっくりと道を歩いていく。そしてしばらく歩いたところで、瑞樹はふと立ち止まった。
そこには、花束が置いてあった。
「ここは……」
私の言葉に、瑞樹は小さく頷いた。ここは、瑞樹が車に撥ねられて亡くなった場所だった。痕跡こそ残っていないが、親友の最期の場所だと認識した途端、また涙があふれてきた。
ふと見ると、瑞樹の姿が薄れていた。先ほどまではくっきりと見えていたのだが、今はそれこそ幽霊のように、半分くらい透けていた。もしかして、と思ってもう一度瑞樹から貰った目薬を差すと、瑞樹の姿はくっきりとその目に映った。この目薬は、瑞樹からの最期のメッセージを伝えてくれるための懸け橋になってくれているのだろう。そう思って私はぐっと涙をこらえ、蓋を開けたままの目薬を右手に持った。もし目薬が完全に乾いたり流れたりしてしまったら、もう瑞樹からの声を聴くことが出来ない気がしたからだ。
瑞樹は何かを言おうとしている。しかし、その声は私には届かない。この目薬を耳に流し込んだなら聞こえるかとも思ったが、そんなことはないだろう。せめてその唇の動きから、何を言おうとしているのかを汲み取りたい。私はじっとその唇が動くのを見据えた。
「……ず……と……ずっと?」
瑞樹は頷く。
「……い……お……? い……いっしょ……だ、よ?」
また、瑞樹は頷く。ずっと一緒だよ、瑞樹はそう言おうとしていたのだ。瑞樹は続けて3つ、何かを言った。そしてその言葉を聞いて、私は全てを理解した。
私達は、生まれた時から瑞樹が亡くなるそのすぐ前まで、ずっと一緒だった。いつまでも、いつまでもその関係が続くと思っていた。しかし、それは間違いだったのだ。死が二人を分かつまで、という言葉があるが、その通り、瑞樹の死によってその通りになろうとしていたのだ。
生まれてきてから別れることのなかった二人。こんな形で別れが訪れてしまうのは、とても悲しいことで、到底受け入れられることではなかった。
「……わかった、そうだね。ごめん、瑞樹」
私はそう言って、ちょうど走ってきた車の目の前に飛び出した。瑞樹の最期の3文字、「おいで」という言葉に応えるように。
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