本
生前の祖父は本当に本が好きだった。
祖父の家に遊びに行くと、いつもその傍らには大量の本が積んであった。読むのは好きなようだが収納にはこだわらないようで、何十冊もの分厚い本があちこちに無造作に置かれていて、幼いころの私はよく躓いて転んだものだ。そしてそんな姿を見た祖父は、一瞬心配するような素振りを見せたものの、すぐにまた手元の本に視線を戻していた。今となっては、それもまた良い想い出である。
祖父の遺品整理で書庫に来ると、祖父がいつも座っていた座布団と文机がそのままに残されていた。晩年に使っていた拡大鏡も、そのまま残されていた。懐かしさを感じながらも、とにかくこの大量の本を何とかせねばなるまい。とはいえ何しろすさまじい量だ。本棚に収めようにも本棚はとっくに埋まっている。それどころか、一部は本棚が見えないほどにまで本が積まれている。どこをどうすればここまで本を集められるのか、まったくもって謎だ。
これは一日では終わらないなと、3割程度を大量の段ボール箱に丁寧に梱包したところで今日の作業は終わることにした。さてどんな本を読んでいたのだろうと、私は一冊の本を手に取る。
ぱらぱらとめくってみると、それだけでもう難しそうだということは判った。何しろ印刷は独特な掠れのある活版印刷だし、表紙ももうだいぶ色あせているし、文字は全て旧仮名、旧字体。国語がそれほど得意ではない私にとっては、「戀」だとか書かれても何を表しているのかとんと検討がつかない。
いくつか本を手に取ってみたが、大体の本はそんな感じであった。こういう本を探すのならば、街中にある黄色やオレンジの看板の店よりも、神保町なんかにある古書店の方がよさそうだ。適当に箱詰めしてはいたが、すさまじく価値のある本も多く含まれているのではないだろうかと少し不安になった。
そうしていろいろと見ていると、一冊の本に目が行った。表紙には「Ⅰ」と書かれているだけでそれ以外には何も書かれておらず、開いてもそこにタイトルも目次もない。どうやら偉人伝か何かのようだ。見ると近くに積まれている本の中には、同じようにギリシャ数字で番号が書かれたものがいくつもある。どうやらこれらは続き物のようだ。
その人間がいつどこに生まれ、どのように過ごしてきたのか事細かに綴られている。さっと見た感じ、それは祖父とほとんど変わらない年齢の人間の生涯を綴ったものだ。適当に飛ばしながら読んでいると、私はあることに気付いた。その本の主人公の名前は祖父の名前と同じで、そしてその配偶者となった女性の名前は祖母と同じ。そして、生まれた息子の名前も、父と同じだったのである。
もしかして、と思ってさらに進めてみると、やがて孫が生まれた。そしてその孫の名前は、私と同じだったのである。間違いない。これは、祖父の一生を綴った本なのだ。
しかし、いったい誰が書いたのだろうか。祖父の知り合いに作家がいたというのは聞いたことがないし、祖父自身も本を読むのは好きだが書いたことがあるなどということは聞いたことがない。まして、祖父の一生を記録として残したところで、その需要がある程面白い人生を送っていたとも失礼ながら思えない。
私はとにかくどんどん本を読み進めていった。驚くべきことに、この部屋を埋め尽くしている本の半分くらいがこの祖父の伝記であり、そして今ここにあった最後の巻、最後の方のページに来ると、この本の主人公である祖父は死んだ。そして祖父の葬式、四十九日、そして墓への納骨、さらにはその後私がここに来たことまで書かれていた。そしてこうして、今、この本を読んでいる事も書かれている。
私は驚いて、さらにその先を見た。すると、今私が考えていることまで、リアルタイムで一文字ずつ、白紙のページに文字が浮き出てきているのだ。この本は今現在、執筆され続けているのだ。
あまりにも奇怪な出来事に、私は開いた口が塞がらなかった。そしてそういう状態になっていることまで、事細かに本に書かれていく。この本の前では、表に出す出さぬに関わらず、そこで今起きている現実が、人間ではありえない視点、いわば神の視点から書かれているのだ。
そこからのことはよく覚えていないが、結局私はそのまま、全ての巻を家に持って帰ってきた。あれ以降も、本は勝手に執筆され続けている。すっかり本の主人公は私に切り替わっていて、現在この本は私の人生を綴っていくものと化している。その特性である「現在起きている出来事を超視点で書き続ける」という事柄はどうやら病気などについても有効らしく、風邪を引けばその要因も記してあるし、無くしものをしたときはそれをいつどこにしまったか過去のページをめくれば書いてある。とても便利なパートナーだ。
ページが終わりに近づくと、いつの間にか次の巻が自然に増えていて、我が家に本の山が来てから、もう十冊くらいは増えただろうか。この調子でいくと、私の部屋はあっという間に本に支配されてしまいそうだ。
私は今日もページを開く。どうやらこの本は一日ごとにサブタイトルが付くようで、悪いことが起きそうなときは不穏なサブタイトルだし、良いことが起きそうなときはいかにも明るいサブタイトルになっている。それを見るのが、私の日課となっていた。
そして今日のサブタイトルは――。
「最期の日」
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