ぬいぐるみ

 幼いころからぬいぐるみは私の最高の相棒だった。楽しい時も、悲しい時も、何かあるたびにぬいぐるみに報告し、夜は必ず共に眠る、そんなかけがえのない存在だった。熊や猫、人の形をしたもの、いろいろなぬいぐるみが私の部屋にいて、帰ってくると私を出迎えてくれる。それは物心つく前から、OLになった今までずっと同じだ。

 辛い仕事を終えてアパートに帰り、寝室の扉を開けると、たくさん並んだぬいぐるみが私を出迎えてくれる。それだけで、ああ、今日も一日頑張れたんだな、と思える。この歳になって彼氏もなく友人と遊びに行くこともなく、家に帰ってぬいぐるみと戯れるだけの私は、傍から見れば相当哀れに思われるのだろうが、それでも私はそれが一番幸せだった。

 子供のようだと笑う人がいるかもしれない。しかし人が最も安心できる環境というのは、子供の環境だと私は思っている。いろいろなものから守られ、幸福だけを追求させてくれる、そんな環境が子供の環境だ。苦痛だらけの現実から逃避し、子供の頃の環境に戻りたがるのは、この世の中では至極当然の考えではないかと、私は最近ずっと思っている。


 そんな生活のなかで、長時間の残業を繰り返していた私は、その疲れからか帰り道で意識を失いかけて車に跳ね飛ばされた。目を覚ましたのはそれから数日後で、あちこち骨は折れていてひどい激痛に悩まされたが、辛うじて一命は取り留めた。母から聞いた話だと、現場の状態や加害者側の車の状態からしてみれば、生きていることが不気味で仕方がない、というほどの状態だったらしい。腕を、足を、そして頭を、あちこち強く打ったり骨を折ったりしていたが、どこもちゃんと治るレベルの怪我で済み、意識を取り戻した以上はそれほど心配しなくても良い、というのが医者の意見だった。

 しかし正直、入院生活は苦痛で仕方がなかった。激痛に悩まされるのも我慢できる。誰もいない部屋で一人なのも我慢できる。毎日若干態度の悪い看護師に嫌味を言われるのも我慢できる。しかし何よりも、いつもずっと一緒にいてくれたあのぬいぐるみ達がいないことが苦痛だった。

 ぬいぐるみなら何でもいいわけではない。ずっと苦楽を共にしてきた、ぼろぼろのあの子達でなければ安心できない。かといって、母に頼んで家からその子達を連れてきてもらうのは気が進まなかった。いくら私が気にしないとはいえさすがに周りにいろいろ言われそうだし、そもそも病院に連れてきて耐えられるほど、その子達は元気ではない。あちこちほつれ掛かっているし、見た目だって決して綺麗ではない。病院に連れてくるには、些か状態が悪すぎるのだ。

 しかし逆にそれによって、私は驚異の回復を見せた。傷口も骨も医者が驚くほどの回復を見せ、想定していたよりもずっと早く退院できた。それでもしばらくの間は実家で過ごすことにはなってしまったのだが、それから数日で一通り自分のことが出来るようになり、ようやく自分のアパートに戻ることが出来た。


 戻ってみると、部屋は流石に埃が積もっていた。早かったとはいえ、数日ではない不在の時間は長すぎたようで、机にも床にも埃が積もっているし、冷蔵庫の中身はほぼほぼ例外なく腐っていた。置いたままにしてきた花はすっかり枯れ、買ってあったフルーツはもはや虫も集らぬほどに乾ききっていた。

 しかしそんなことは心底どうでも良かった。私はとにかくみんなに挨拶がしたい一心で寝室の扉を開ける。するとそこには、いつもの皆が、変わらぬ姿で待ってくれていた。

 ただいま、と声をかけながら、一番長く一緒にいる熊のぬいぐるみを抱き上げる。と、その瞬間、右腕が取れて落ちてしまった。私は焦って慌てて拾い上げてみると、あきらかに以前はなかった傷や汚れが増えていて、半ば千切れるように落ちてしまっていたのだ。

 ふとほかの子達を見ると、みんなどこか一か所ずつ、あきらかに傷や汚れが増え、その部位が取れたり、取れかかったりしていた。そしてそこで私は気づいた。その子達が痛めていた場所は、すべて私が今回傷を負ったり骨を折ったりした場所なのだ。

 きっとこの子たちが私を守ってくれていたのだろう。そう確信して、私は泣きながらみんなを抱きしめて、そして心からお礼を言った。


 それからすぐに、ぬいぐるみをちゃんと綺麗な姿に戻してくれることで有名な業者に連絡をして、みんなを治してもらった。みんなが綺麗になって戻ってきたころには、私の怪我はすっかり治っていた。

 しかしたった一体だけ、その専門の方々でも治せない状態になってしまった子がいた。その子は手厚く供養してもらったのだが、つまりその子がいなければ、今頃私はそういう状態になってしまっていたということだろうか。

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