共食い

 十年ほど前に父の友人から貰った腕時計が、今朝、壊れてしまった。

 少し前までは一日に一分程度遅れていたのだが、今朝見ると完全に動かなくなってしまっていた。機構は自動巻きだが、どれほど振っても僅かに秒針が動くばかりで時を刻む様子が無い。恐らくはゼンマイが切れてしまったのだろう。

 修理しようかとも考えたが、どうにもそういう気にならなかった。その父の友人というのは数年前に亡くなってしまっているし、それほど恩義があるわけでもない。時計自体はそれほど高いものではない。有名メーカーのものではあるが、ネットで少し調べてみたところ、新品を買い直しても2万円前後で買えるものだ。だとしたら、わざわざ高い金を出して修理するよりも、せっかくなのでこれを機に新しいものを買った方がよい。私はそう思って、不燃ごみの日に時計を袋に放り込んで、ゴミ捨て場に置いて仕事へと向かった。

 しかし、帰宅すると時計はいつも置いてあった窓際の机の上に、いつも通りに置かれていた。ひどく不気味に感じたが、それはもしかしたらたまたま母か誰かが見つけて、間違えて捨てたと勘違いして戻してくれたのかもしれない。確かに、この時計はぱっと見て私のものだと判る程度には特徴的だし、もしもゴミ捨て場にそれが置いてあったとしたら私が間違えたのだと思うのも無理はないだろう。私は買ってきたばかりの新しい時計をその時計の横に置き、仕方が無いのでまた来週、不燃ごみの日に改めて捨てることにした。


 異変があったのはその翌日だった。昨日買ったばかりの時計を着けようかと見てみると、時計は完全に停止していた。今回購入したのも以前着けていたのと同じメーカー、同じタイプで色だけが違うモデルだが、どれだけ振っても動く気配がない。昨日はしっかり腕に着けていたし、巻き上げが足りないとも思えない。初期不良だろうか、そう思ってふと横のもう一本の時計を見る。

 ――動いている。

 昨日、どれだけ振ってもまったく動く気配がなかったあの時計が、順調に時を刻んでいる。それどころか、合わせてもいないのに時間が合っている。

 私は少し不気味に感じたが、恐らくは何かの勘違いで、たまたま止まっていただけなのだろうと思い、仕方ないので新しく購入した方は仕事帰りに購入店に持っていくことにして、貰ったほうの時計を着けていくことにした。

 そして、異変はそれだけにとどまらなかった。購入店に持って行ったその時計をお店の人に見てもらったのだが、そこで言われたのは、「ゼンマイを収める歯車ごと欠損している」という事だった。

 それは、どう考えてもおかしな話だった。昨日、私が買ってきて家に帰るまでの間は間違いなく順調に時間を刻んでいたし、別に何の異変もなかった。当然、家に帰って分解して何かしたわけでもない。どう考えても、そんなことはあり得ないのだ。

 部品が存在していない以上、初期不良とできるはずもなく、店員も私も首を傾げつつも、仕方なく私はもう時計として機能しなくなった新しい方の時計を持って帰った。ふと手元の時計をスマートフォンの時計と見比べてみると、時間はぴったり合っている。それもまた不気味だった。先日まで、私の時計は朝から夜までの間に1分は遅れていたのだ。

 ふと、恐ろしい仮説を思いついた私は、家に帰ってそれを試してみることにした。部品が欠損して動かなくなった時計と、なぜか再び時を刻み始めた貰い物の時計を並べ、そして、貰い物の時計の方のガラスを、ハンマーで叩いたのだ。

 ガラスは無残にひびが入ったが、時計自体はまだ動いている。私の仮説がもし正しければ――、恐怖と不安を胸に抱きつつ、私は時計をそのままにして、ベッドに入った。

 そして翌朝、私の予想は当たった。

 砕いた方のガラスは、すっかり新品になっていた。そしてもう一本、部品が欠損した時計のほうは、ガラスそのものがなくなっていたのである。


 私はそれ以降、この時計を手放すことは考えなくなった。共食いをしてまで生き残ろうとするこの時計を、手放して良いことなどあるわけがないと考えたからだ。もしこれを再起不能なまでに叩き潰して捨てたとしたら、次は一体、何が食われてしまうか分かったものではないのだから。

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