しらうでさま
田舎の郵便局でアルバイトをすることになった。もともとは上京して大企業に務めていたのだが激務と人間関係で精神を病み、地元に戻って仕事をすることにしたのである。
人数も少なく、それほど多くの郵便物が届くわけではないのだが、逆にカバーする範囲が極めて広いためそれなりに大変な仕事ではあったが、上司や先輩にも恵まれ、充実した日々を過ごしていた。
そんなある日、配達に行こうとすると先輩の局員から何かを手渡された。
「これは?」
それは一通の封筒であった。
「えーっと、……しらうで、さま?」
宛名はひらがなで「しらうでさま」と書かれていて、住所はあまり馴染みのない地名や番地が羅列されている。どうやら私達が住む集落とはまた別のエリアのようだ。それにしても、しらうで、という名字は聞いたことがない。一体どのような字を書くのだろうか。
「そいつも届ける郵便物さ。ただ、普通に届けちゃいけない。だから別に渡しておく」
「え?」
その言葉の意味を理解することができず、私は首をかしげた。切手もしっかりと貼ってあるし、郵便番号や住所にもおかしな点はない。ごく普通の白い封筒に入れられた、ごく普通の郵便物にしか見えない。
「その住所のところに行こうとすると、国道から一本外れた獣道に入る」
「はい」
「その入り口の地面に置いてこい」
「……は?」
「絶対に普通に届けちゃいけない。獣道の入り口で必ず落として来るんだ」
「はぁ……」
普通に考えれば、意味がわからない指示であった。届けるべき郵便物を、郵便受に投函するのではなく、あろうことかその途中の獣道に、しかも地面に落としてこいなどとは。こんなことが世の中に知れたら一大事なのではないかと疑問に思いつつも、私はその封筒だけ別の袋に入れて、郵便局を出発した。
何しろ土地は広いとはいえ、人数は少ない。郵便物を届けに行けば向こうはだいたい私の顔を知っていて、私もそこに住んでいる人たちがどういう人なのかを知っている。顔を合わせれば挨拶と、適当な世間話をして次の家へ。そんなゆったりとした時間の流れ方が、私はたまらなく好きだった。
一軒、また一軒と配達を済ませ、残るは例の封筒のみとなった。住所を見ると、私達が住む集落とは少し離れた、山越えの国道の方だった。すでに天気が相当に崩れ始めており、早く帰りたいこともあって、私はできる限り早く届けて戻ろうと思い、バイクのスロットルを全開にして山道を走る。
しばらく走ったところで、先輩から聞いていた目印のある獣道へ差し掛かった。見ると、バイクで通るにしてもやや問題がありそうな、木の根や石ころが足元に露出しているひどい道だ。
さて困ったのは、先輩の指示であった。先輩はそこに封筒を落としてくるように指示してはいたのだが、何しろこの雨だ。道はぬかるみ、ここに手紙を落としたらすぐに水を吸って読めたものではなくなってしまう。かといってバイクではこの獣道を進めそうもないので、私は入り口にバイクを止め、歩いていくことにした。
雨が降っているとはいえ、その道はひどく薄暗く、そして、異様に寒い。別に私は霊感などのあるタイプではないのだが、それでも、この道が明らかに異常で、この先に行くことをこの空間が拒んでいるような、そんな雰囲気を感じ取った。しかし、私はもともとクソ真面目なタイプなので、どうしてもその途中や入り口にこの封筒を落としてくることはできなかった。おそらくあの先輩が言う「入り口に落としてこい」というのも、この道がとてもバイクで入れる道でもなく、それなりに険しくて大変だから、家の人が気を使ってそれで良いと言っているのだろうと、私はそう解釈して、やや急ぎ足で道を進んだ。
しばらく行くと、暗がりの中に小さな家が現れた。しかしどう見てもそこは人が住んでいるような様子はなく、屋根は潰れ、壁はあちこち崩れ、庭は背の高い雑草が伸び放題になっている有様だった。まさかここではあるまい、と思いながらもポストに書いてあった住所を確認すると、ここで間違いはなかった。表札はもはや擦り切れて読めなかったが、この他に家もないだろうと、私は郵便受に件の封筒を入れた。
さあ帰ろうと思ったとき、玄関の扉がゆっくりと開いた。せっかくなので挨拶をしていこうとも思ったのだが、私はそれ以上動けなくなった。
真っ白な腕が、玄関のドアの隙間から伸びてきた。
それにしたって、普通の腕ではない。色白の人間の腕でないことは明白であった。なぜなら、その腕は郵便受に伸びて蓋を開け、先程私が投函した封筒を手に取ったからである。
普通に聞けばおかしな話には聞こえないだろう。しかし郵便受は庭の入り口にあり、玄関からは少なくとも十メートルは離れている。それなのに、手はまっすぐに玄関から伸び、封筒を手にしたのである。
私はあまりの恐怖で硬直していたが、ここにいてはいけないと、手が引っ込み次第速やかに逃げてしまおうとそう考えていた。しかし、それよりも先に私の足は、落ちていた枝を踏みつけて、ぱき、という小さな音を立てた。
直後、腕の動きは止まり、あと一メートルで中に戻ろうとしていた腕は、封筒をその場に落とし、私の方に伸びてきたのである。
私は声にならない叫びを上げながら山道を駆け下りた。どうしてこれほどの速度で走れるのか、自分でも不思議なほどであったが、木の根や石ころ、あらゆる障害をものともせず、凄まじい勢いで転がるように獣道を走る。背後には、あの腕がどんどん伸びてくるのが振り返らずともわかる。捕まったら終わりだ、そう本能が告げる。
永遠とも思えるほどの長い獣道を下り終えて、私はバイクにまたがってすぐにエンジンを吹かし、国道を走り去る。ミラーにはもう、あの手は写っていなかった。
***
「だから駄目だと言っただろう!」
私が局に戻って事情を説明すると、先程の先輩から凄まじい剣幕で怒鳴りつけられた。
聞くところによれば、この土地には「白腕様」という都市伝説のような化物がいるという。そしてその白腕様に殺してほしい人の名前と住所を書いて送ると、その白腕様が腕を伸ばし、恨みの対象を殺してくれるのだという。しかしその姿を見てしまうと今度は自分が呪われることになるため、決して自分自身で届けてはいけない、というのもあるらしい。故にあの家には、年に数回その手の封筒が届くのだそうだ。
私と同じように郵便物を直接届けてしまい、白腕様に出会った局員がいたらしく、それ以来この郵便局では、直接ではなく道の入り口に郵便物を置いていくようになったのだという。すると速やかに、あの白く不気味な蛇のような手が道の奥から伸びてきて、郵便物を回収していくのだそうだ。しかし郵便局員として人を殺してほしいなどという、そんなものを届けて良いのかという疑問もあるところだが、妙な呪いを受けるのも嫌だという事で、やむなくあのような形をとっているらしい。
都市伝説なんていうものは、所詮インターネットか何かの作り話だと思っていた。しかし現にこうして、人ならざるものを目の当たりにしてしまった以上、今更疑うことはできない。現に私はあの白腕様に捕まりそうになったわけだし、それが決して夢でないことは、泥だらけになった制服が物語っている。
しかし、実際郵便物を回収していく白い腕を見た局員がたくさんいるのに、実際は誰も被害を受けていないということは、どうやら姿を見てしまうと、というのは嘘らしい。現に先輩も何度も郵便物を回収していく腕を見ているそうだし、他の上司や先輩たちも、多くは語らないまでもあの腕を見てきたようだ。しかし誰も祟りのようなものを受けていないということは、姿を見ると呪われる、というのは嘘で間違いないのだ。
正しくは、「白腕様に認識されてしまうと呪われる」と言ったところだろう。
現に認識されてしまった私の部屋の窓を、今、あの真っ白い腕が開けようとしているのだから。
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