万年筆

 叔父が死んでからしばらくして、遺品を整理していたときに、一本の万年筆を見つけた。

 長い事使われていないようで、インクは固まっていた。紙の上を滑らせてみても一本も線が引けない状態ではあったが、物自体はとても良いものらしく、他の人は万年筆を使わず、私は普段から万年筆を愛用していたということもあり、形見分けで貰う事となった。

 家に帰っていろいろ見てみると、コンバータ式の万年筆で、インクは乾燥したということもあってほぼ空。何度かぬるま湯の出し入れを行なって手入れを行い、普通にインクを補充してみたところ、問題なく書けた。ペン先の変形もなく、大切に使っていこうと、あえて万年筆は持ち歩かず、部屋においておく事に決めた。


 家で物を書くことはそれほどない。精々、進行させているゲームの必要アイテムをメモしたり、電話の内容をメモしたり、あるいはたまに趣味で懸賞はがきを書いたりはするが、積極的にペンを使う事はない。大体物を書くタイミングは仕事中で、家に帰ってまで、わざわざ筆記具を取り出してああだこうだと物を書く事はない。

 しかしせっかく形見分けで頂いたのだし、使わなければまたインクは固まってしまう。かといってインクを補充せずに置いておいたのでは、万年筆としての本分をないがしろにすることになる。それではどうしようかと考えた末、日記をつけたら良いのでは、と妻から勧められた。

 私はあまりパソコンが得意ではないので、甥からブログなどというものを勧められてやってみた事はあるが、結局タイピングが面倒で長続きしなかった。しかし一方で、別に記録をつける事が嫌いなわけではないし、仕事ではシステム手帳に色々と予定を手書で書き込んでいる程度にはマメだ。まあおそらくずっと続けられるだろうと、少し値段の張る日記帳を買い、日々の出来事を、ただ適当にまとめるだけの簡単な日記をつける事にした。

 ○月○日、晴れ。

 そんな昔ながらの書き出しで真新しい日記帳の一ページ目に今日の日記を綴る。叔父の万年筆の書き味は抜群で、色々と高級万年筆を買って試してきた私からしても、感動するほど良いものであった。メーカー自体は何も記載されていないのだが、物に対するこだわりの強い叔父のことだ、おそらくは国内の職人が作った上等のものなのだろう。

 初日は、この日記を綴る意味、そして出来るだけ長く続けていきたいという目標を綴り、それだけで終わった。文章力があるわけではないが、こうしてただ箇条書きで日々の出来事を綴るだけでも、後から見返したときにこのときはこのような事があったと思い返す事が出来るし、縁起でもない話ではあるが、仮に私が死んだときも、妻や息子、そして私の友人達がこれを見て私の生前を懐かしむ事が出来るだろう。

 それから、私は毎日日記をつけた。別に特別な事があるわけではない。仕事のストレス、日常の買い物、食べたもの、買ったもの、嬉しかった事、悲しかった事、とにかく思いつくものは何でも書くようにした。一ページ一日分の日記帳はどんどん進んでいき、最初の頃はページの半分くらいまでしか書かれていなかったものが、一ヶ月が経つ頃には、ページの下までびっしりと埋まるようになってきていた。


 そんなある日、日記を書こうとページをめくった時に、私はふと違和感に気づく。

 日記帳は完全な新品を買ってきているし、今日書く分のページよりも先を見る事はまずないし、見る意味もない。しかし、昨日書いたその次のページの余白に、なにやら謎のメモが書いてあったのだ。

 そこには、『妻の様子に注意しろ』という、あまり快くないメモが書いてあった。筆跡からしても明らかに私のものではないし、そもそも私の日記帳は、鍵は掛かっていないとはいえ自分の部屋の引き出しの中にある。部外者が悪戯書きをするような事はありえないし、妻がそんな事を書く事はありえない。ただ、その雰囲気からして、おそらくは万年筆によって書かれた文字なのであろう事は察する事が出来た。

 不気味に思いつつも、私はいつも通りに日記をつける。そのメモ自体に関してさして気にする必要はないだろうと思ってはいたのだが、これも何かのお告げかも知れないと、その忠告自体に関しては心に留めておく事にした。

 そしてその翌日、その忠告の意味を知る事となった。土曜日の朝、妻がなにやら体調が悪そうにしていたので、病院に行くかと問いかけてみるとなにやら様子がおかしい。そのまま病院に連れて行ってみると、インフルエンザだという。もうそれなりの歳だし、念のためにと予防接種だけははしていたのだが、備えをしていてもかかってしまうときはかかってしまうのが、この病気の嫌なところである。

 昨日書いてあったメモは、本当に役に立った。もし私が妻の様子を見ていなければ、我慢強い妻の事だ、そのまま放置していただろうし、土曜日の昼間であるから、病院は午前中まで。そういった意味で、あのメモには本当に助けられた。

 おそらくは、叔父が私の事を心配して見守ってくれているのだろう。そう思った私は、その日の午後、叔父の墓参りに行き、新しい花を備え、墓を磨いた。そしてその時に、もしまた何かがあれば、アドバイスをして欲しいと、そうお願いをした。

 それから先、何度か同じように、翌日のページに謎のメモが書かれている事があった。『車に注意しろ』と書いてあった日、いつも以上に周りに気を配って運転していたら目の前で事故があり、判断が遅れていたら私も追突してしまうところだった。『買い物は午後にしろ』というメモがあったと思ったら、普段行くスーパーで午前中に刃物を持った男が暴れる事件があった。とにかく、その謎のメモは、私を事あるごとに助けてくれた。


 そうして日記をつけ続け、メモの忠告を守り続けてきたある冬の日、日記を書こうとしたら万年筆のインクが切れていた。すぐにインクを補充しようとも思ったが、瓶のインクが、もはやどうやっても吸い上げられない量まで減ってしまい、あろうことか、予備のインクも買い忘れていた。万年筆を紙の上で何度滑らせても、かすれた線さえも引けない状態になってしまった。

 普通なら別に一日二日なくても困るものではないのだが、例のお告げがおそらくこの万年筆で書かれたものなのだから、インクを切らせてはおそらく良い事はない。既に時間が遅かったので、その日の日記はとりあえず普通のボールペンで書いて、翌朝、店が開く時間にすぐに買いに行く事にした。

 その日、外は雪が降っていた。路面にうっすらと雪が積もり、ゆっくりと歩かないと簡単に転んでしまいそうな状態だ。文房具屋までは徒歩で五分ほど。五十代も半ばとなった身には五分の雪道は辛いものがあるが、あのお告げが受けられないのは怖い。何しろあれ以来何度となく書いてあったお告げ、おそらくは叔父の言葉なのかもしれないが、それによって私は何度も助けられている。事によっては命を落としていたかも知れない、そんな大きな出来事もあったほどなのだから、たとえ数日といえど、あの万年筆のインクを切らせるのは怖かったのである。

 普段なら五分の道のりであったが、ゆっくりと歩いていた為、普段の倍の時間が掛かったが、幸いにしてなんら問題なく文房具屋に辿り着けた。お目当てのインクを買い、文房具屋の主人に許可を得て、その場でインクを補充させてもらう。インクを吸い上げて部品を元に組みなおしたとき、私と文房具屋の主人の前で、その万年筆は私の手から離れてひとりでに宙に浮き、机の上にあった試し書き用の紙の上にその先端をおろし、なにやら文字を書き始める。


『入り口を見ろ』


 書かれた文字を見て、私達は店の入り口に視線を移す。ガラスの扉越しに、雪でスリップした車が、猛スピードで突っ込んでくるのが見えた。

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