診療所
友人の誘いで肝試しに行くことになった。
場所は、数カ月前に潰れて廃墟になった診療所だ。入院できるような設備があるわけでもなく、狭い二階建ての建物で、来るのは地元の老人ばかりであった。
私もかつてはここに何度も通ったものだが、潰れてしまうと変化は早い。綺麗だったはずの建物はものの数カ月で蔦がはびこり、ガラスは割れ、地元の子供たちの間では「おばけ診療所」と呼ばれるような有様だ。事実、私の通う大学でもここは本当に幽霊が出るのだという噂が飛び交っている。
確かに、普通ではないとは私も思う。たった数カ月で、まるで数十年放置していたかのような劣化を見せるこの建物が、普通だとはだれも思わない。別にここで死者が多く出ていたとかいうこともないし、近くに心霊スポットがあるわけでもない。なのにそれほどの噂が飛び交う状態になるというのは、不思議なことだった。
私たちが診療所を訪れたのは、土曜日の深夜、草木も眠る丑三つ時だ。
懐中電灯を片手に、壊された入り口のドアをゆっくりと開けて中に入る。どうやら私たちよりも前にも多数の人間が来ているようで、壁には何やらスプレーで描かれたような落書きがある。
中はそれこそ、廃墟そのものという感じであった。人がいなくなっただけでこうも変わってしまうのかと、心の底から驚く有様だ。懐中電灯であたりを照らすと、この建物の異常性はよくわかる。劣化度合いが、数カ月ではありえないレベルなのだ。
「何かあったのかね、そういうガスとか」
友人がそう首を傾げる。
「そんなものがあったら、とっくにニュースになっているだろう」
「まあ、そうだよなぁ。それにしては、劣化しすぎてる」
壁は今にも崩れそうだし、床も変なところを踏んだら抜けてしまいそうだ。一歩一歩慎重に、私達は歩を進める。
幽霊が出るというのは、二階にある角部屋だった。私たちはそこを目指し、懐中電灯の明かりだけを頼りに階段を上る。この間に崩れてはしまわないかとハラハラしながら慎重に進んでいったが、無事目的の部屋に着いた。
部屋の中には何もなかった。ここがなんの部屋であったかは、何度も通っている私でもわからなかった。それというのも、ここは確かもともと患者の立ち入りできるスペースではなく、関係者以外立ち入り禁止のプレートが表示されていた記憶がある。ゆえに、この中がいつからこの状態だったのかは、誰も知らないのである。
「何もないな」
私が声を掛けると、友人はドアの外を見ていた。
「どうした?」
「いや、何かが今通った気がして」
その言葉を聞いて私も廊下に懐中電灯を向ける。しかし、外に何かがいる様子はない。
「……」
と、その時、友人が突然走り出した。
「お、おい!?」
私はあわてて友人の後を追う。友人は廊下に飛び出し、階段を勢いよく上がっていった。崩れてしまう不安に駆られながらも、私はあわてて後を追う。どうして彼が走り出したのか、いったい何があったのか、それを聞きたいところではあったが、とにかくまず、彼の暴走を止めるのが先決であった。
階段を上り切ったところで左右を見ると、友人の姿は見当たらない。廊下の奥からもなんの音もしない。ただ、私が息を切らしている音だけが、不気味な暗闇に反響しているだけである。
――と、その時、携帯の着信音が鳴った。
心臓が飛び出しそうなほどに驚いてあわてて画面を見ると、画面には友人の名前が表示されていた。
「もしもし!?」
私は苛立ちを感じながら電話に出る。
『ああ、ごめん! 今どこだ?』
「今どこだって? お前を追いかけて階段上がってすぐのところだよ!」
『は?』
「は、じゃねぇよ。なんなんだよ突然走り出して」
『お、おいおいちょっと待てよ。俺、今起きたばっかりで、待ち合わせ時間過ぎちゃったから、謝ろうと……』
「……は?」
『とにかく、もう診療所ついてるんだよな? ちょっと外で待っててくれ、すぐ行く!』
「あ、おい!!」
それっきり、電話は切れた。
それが一体どういうことを意味しているのか私には理解できなかった。何しろ、友人と入り口の前で合流して、二人で一緒に建物に入ってきたではないか。いつも通りの友人の姿を外の街灯で確認しているのだし、万が一にも人違いということはない。ならば、友人がどこかに隠れて驚かせようとしているのだろうか。そう考えてもみたが、それをしているなら、生の声がどこかから聞こえてくるはずである。しかし今この空間には、私の呼吸音以外に音が鳴るものはひとつもない。
そうして、私はふと気づいた。
二階の角部屋の中を見ていた時、友人は突然部屋を飛び出して、階段を上っていった。そして私はそれを追いかけてここまできた。しかし、それはどう考えてもおかしい事なのだ。
この建物、そもそも二階建てだったではないか。
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