日常の中に潜むもの達
水智晶(みずちあきら)
蛙
海外出張帰りの友人から土産を貰った。陶器製の小さな蛙の置き物で、東南アジアのどこかの国で買ってきたらしい。
折角の土産を嬉しくないというのは些か失礼だろうが、正直私はその土産を嬉しいとは思えなかった。小さい蛙の置き物といえば普通なら可愛らしいものであるが、その置き物はどう贔屓目に見ても可愛いとは言えないもので、一目見た感想はただただ不気味としか言えないような代物であった。かといって友人からの土産を無碍に断るわけもいかないし、捨てるのも忍びない。私はその置き物をリビングのテレビ台に目立たぬよう置くことにした。
異変が起きたのは、それから数日が経った頃であった。
いつものように寝ていた私は、不意に左腕の強い痛みで目を覚ました。ごく局所的な痛みは手の甲から、手首、腕へと移動し、そしてゆっくりと引いていった。皮膚を引きはがされるような激痛ではあったが、ほんの数十秒で消えたので、恐らくは昼間の仕事の疲れが出たのだろうと、特に気にも留めず再び眠りに落ちた。
しかしそれがまずかったのか、痛みは翌日も、その翌日も襲ってきた。一か所だった痛みは複数個所に広がり、痛みが伝わってくるというよりも、皮膚の下で何かが蠢いているような、そんな不気味な痛みが、毎晩私の腕に広がっていた。
さすがに医者に行こうかとも思ったのだが、連日の残業や休日出勤でそのような時間もなく、痛みは夜、数分間だけ訪れるものだったので、その時間さえ我慢すればさして問題はないだろうと、私はそのまま日々をやり過ごしていた。そんな中でも痛みは必ず毎晩、容赦なく訪れる。一か所、また一か所と痛みの場所は増えてゆき、一か月が経過したころには、痛みはもはや局所的ではなく、左腕全体を襲うようになっていた。
そんな日々に疲れ切ったある日、私は部屋の電気をつけたままで眠ってしまった。普段は暗闇でなくては眠れないのだが、どういうわけかその日は煌々と電気が灯ったままでも眠れたのである。恐らくは毎晩夜中に起こされていたことで疲れが溜まっていたのだろう。私は仕事帰りのスーツのままベッドに倒れ込み、そのまま眠っていた。
そして、いつものような激痛が左腕を襲い、私は飛び起きた。電気がついていたことにより、私は初めて、痛みが走っている最中の左腕をこの目で見ることができたのである。そうして痛む場所を視認した私は、恐怖のあまり声を出すことさえもできなかった。
腕の皮膚の下を、何かが蠢いている。
右へ、左へ、手首へ、腕へ。
痛みと恐怖で震えながらその蠢く何かをまじまじと観察すると、それは一センチにも満たない、小さな蛙のように見えた。
ぐっと指に力を籠め、皮膚の下で蠢く影を押す。ぷち、という軽い手ごたえと同時に、皮膚の下の蛙のような影は形を失い、赤黒い染みになる。次から次へと皮膚の下の蛙を潰していくが、とても潰しきれる数ではない。まして、これを潰したところで恐らくは何も解決しないし、皮膚の下にこの蛙の死骸は残り続けるのだろう。いや、これはそもそも蛙ではない。蛙の形をしてはいるが、生きた蛙が皮膚の下を蠢くなどという事は、常識的に考えてありえない。
――とすれば。
驚くほど冷静になった私は、激痛に耐えながらリビングに走り、友人が持ってきた蛙の置き物を掴む。そしてそれを、思い切り壁に叩きつけた。
陶器製の置き物は無残に砕け、破片が床に散らばった。そしてそれと同時に、左腕の痛みはすっかり消えた。見てみると、蠢いていた蛙の影も、先ほど私が潰した数匹の蛙の残骸も、まったく残ってはいなかった。
翌日以降、私の腕に異変が起きることはなく、夜中に激痛でたたき起こされることはなくなった。寝不足と不快感で不調だった身体も数日のうちに癒え、私はいつも通りの日常を取り戻した。
数日後、別の場所に海外出張に行っていた友人が戻ってきた。私は事の顛末を話し、土産であった蛙の置き物を割ってしまったことを詫びた。しかし友人は、私の謝罪に厭な顔一つせず、むしろどこか嬉しそうに微笑んだ。
「その置き物、割ればいいんだな」
そう言って袖をまくった友人の左腕には、私の腕に現れたものよりはるかに大きい蛙がいた。
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