集落
田舎に引っ越すのは、どうにも抵抗があった。生まれてからずっと、大都会とは言わないまでも都内のそれなりに人の多い地域で育ってきたので、コンビニもなければショッピングセンターもない、あるのは木々と川ばかりというような本当の山奥に住むことになったのは、本当に意外な事であった。
そもそも何故そうなったのかといえば、理由は単純に、心を病んだからである。通勤中にすれ違う人々どころか、家の近くを通る車の音にさえ恐怖を感じるほどになり、ならばいっそ、都会の喧騒から離れて何もない田舎で生活すれば良いのではないかと思い、こういうことになったのである。正直、金は十分にあったし、このご時世ある程度田舎であっても携帯の電波くらいは入る。仮に仕事をしようと思えばネット上でできるし、そうでなくても身を粉にして働いた結果としての貯金は十分すぎるほどあった。独り身が田舎で隠居しようと思えば問題なくできる程度の金を抱え、私は単身、田舎の集落に引っ越したのである。
私が引っ越してきたのは家が5軒くらいしかない、とてもさびれた集落であった。住んでいるのは老人ばかりで、四十代も半ばといった私は、かなり若い存在であった。当初、田舎こそ他人との関わりが密接で疲れるのではないかと思ってはいたが、引っ越してきた際に事情を話すと、逆にあまりお節介を焼かないようにしてくれて、皆が揃って居心地の良い環境を作り上げてくれていた。皆それぞれにのんびりとした余生を過ごすのみで、大きな変動が起こることなどそうはない。結果として私の都会でボロボロになった精神は、引っ越してきてから半年程度で完全に回復し、今はこの田舎の不便ながらも平穏な生活を満喫している。
もちろん楽な事ばかりではない。電気や水道、ガスなどのインフラは一応あるが、家電などを買うには山を一つ越えて買いに行かなくてはいけないし、何かしら支払うにしても同じことだ。食料は一応車で15分ほどの別の集落にちょっとした道の駅のようなお店はあるが、肉や魚が食べたければ同じく街中へ出るか、あるいはいっそ自分で獲るしかない。都会は車の音や人の声でうるさかったが、田舎は田舎で虫の声でそれ以上にうるさくて最初は夜寝ることもできなかったりもした。車は一応あるがガソリンスタンドがこれまた死ぬほど遠く、せっかく満タンにしてもスタンドへの往復だけで1目盛分くらいは消費するので、後先を考えなければ立ち往生することになる。しかしそれでも、私はもはや都会での生活に戻ろうとは思わなかった。近所の老人たちと時折世間話をする程度の、人と最大限関わらない生活が、私にとって理想の生活なのだと改めて知ることができた。
そんな中、車がいよいよ壊れてしまったので、仕方なく街に出て新しい車を買うことになった。そうしていろいろと見せてもらってこれ、という1台が決まり、契約書を書いていた時、ふとディーラーのスタッフがこんなことをつぶやいた。
「ここって……、この集落、まだ住んでいる人がいたなんて知りませんでした」
彼はそう言って、「あ、すみません失礼なことを」とその言葉を詫びた。しかし私はそんなことより、彼の言葉が理解できず、どういうことなのか問いかけた。すると、彼は意外なことを語り始めた。
「大きな声では言えないんですけど……この集落、10年くらい前までは人が住んでいたらしいんですけど、住人がみんな、一夜にして全員亡くなってしまったらしいんですよ。なんでも元々あの集落に一人で住んでいた男が引っ越していったらしいんですけど、そのあとで戻ってきて何かで全員メッタ刺しにして殺したとかで。恨みかなんか知りませんけどね。田舎のことなんで都会ではあまりニュースになってなかったみたいですけど、この辺ではものすごい話題になって、それ以来、誰もあそこへは近づかないんですよ。呪われた集落、とか言って誰もが」
彼は大体こんなようなことを言った。そんなことがあったとは私は知らなかったし、実際私が引っ越すときも念のため事故物件などではないか、と問うていたが不動産屋は「この家では人死にはでていませんよ」と否定していた。それに周りの老人たちも、そういうことは一切言っていなかった。だとしても、今更その真実を知ったところで何かが変わるわけでもない。住んでいる人はみな良い人であるし、私自身がそれにまつわる怪奇現象を経験したわけでもない。だから私は「今住んでいる人はみないい人だし、5軒しか家はないけれどちゃんと皆平穏に生活している」とだけ言っておいた。彼の言葉はおそらく真実なのだろうが、10年という月日で、いろいろな事が変わったのであろう。
それから私は代車で自宅へと戻った。丁度畑を耕していた隣家の老人がいたので、私は恐る恐る先ほど聞いた話題を振り、少し意見を聞いてみることにした。すると、老人はけらけらと笑いながら、一言だけ言った。
「そこで殺されたんがわしらじゃよ」
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