6-1
それから四日をかけて二人はニュルンベルクへ戻った。
「少しかかったな」とアンナ。
手綱を引いて、馬を止める。ニュルンベルクの城壁前だった。昨夜の雨が二人の行程を遅らせた。
「もうこいつもヘトヘトだ」
エリオットは馬の首を撫でた。雨は止み、朝日が昇っていた。
「潰れたら殺せ」
朝から物騒な話だ。
「俺のウルスラをか」
「ウルスラ? シュトールだろ」
「初恋の子だ」
「そいつは雄だ。お前が同性愛者だったとはな。罪深い」
「知るか。名前くらい俺の勝手にさせろ」
「私のことを馬鹿にしていたのに」
「気にしてるのか。あんた、やっぱ可愛いな」
「二度というな」
「わかった。悪いよ、俺が悪い」
「馬を下りろ。行商に紛れて中へ入る」
アンナは鞍から降りる。
「ここは故郷だ」
「私たちの帰りを待っている奴がいるかもしれない。警戒を怠るな」
「だけど紛れるってのもな」
「問題ない。あれがいいな」
身なりも顔立ちも貧しそうな行商が立ち止まっていた。背中と足元には一人で抱えきれないほどの荷物を持っている。それを持って歩き出すが、すぐに休憩。また歩き出すが、また休憩。繰り返しだ。
「すいません」
アンナが行商に近づいていった。「もしよろしければお手伝いしましょうか」
いつもと全く違う声色だ。態度も無駄に偉そうではない。行商は突然の申し出に驚いている。それにアンナの容姿にもだ。アンナは間違っても美女の類だ。そんな女が荷物を持とうかなんて言ってきたら、言葉を無くす。
「こんなに荷物を持っていては、幾ら一人で持ち運びが出来るからといって、無税では入れません。きっと役人に捕まって税をとられますよ」
なるほど。エリオットにもアンナの考えが読めた。市内に荷物を持ち込む場合、量が多すぎては税金をかけられる。基本的には一人で持つことが出来れば無税だが、度が過ぎれば徴税官は黙っていない。
「私と夫が二人でお手伝いします。三人で持てば、相応の量なので役人の目も誤魔化せるでしょう。ね? 悪い話じゃありませんよね」
「あ。はぁ」と行商は気のない返事だ。「だけど、それじゃ俺ばっかりが得してる」
「いいんですよ。私たちは市内に入りたいだけですから」
「あんたたちは、あれかい。訳ありなのかい」
「聞きますか?」
「い、いや。いい。だけど荷物は持ってくれ」と行商。
「エリオット。お前が二人分だ。役人の前に来たら私に渡せ」
いつものアンナに戻った。
「どうして俺だけ」
エリオットがぼやくと、アンナが「私は企画立案者だ。頭脳労働をしている」と言った。
「いつもこうだ」
「ほら、布を頭に被れ。顔を伏せろよ」
言われた通りにした。
「ほんとにあんたら何者だ」
歩き出すと行商が再び聞いてきた。今度はエリオットだ。
「もうわからない」
エリオットは二人分の荷物を運びながら答えた。
■
「まずは上手くいった」とアンナ。
見慣れた故郷の街だった。ペグニッツ川にかかるマックス橋の中ほど。行商に扮してニュルンベルク市内に入り込んだアンナとエリオットは、市場に向かう列に紛れて移動を続けている。対面には川の中洲。柳が垂れていた。
「このまま商売でも始めるのか」
「市に出すのはお前の肉だ。家畜用になら売れる」
「生憎、人肉は販売禁止だ」
「なんだお前、人を喰ったことがないのか」
アンナはほくそ笑んだ。本気とも冗談とも取れる。
「これだから魔女は」
どちらにしても後味が悪い台詞だ。「で、どうする? あんたが頭脳労働担当なんだろ。ヴァレンシュタイン卿のところに行ったほうがいいかと思うんだが」
「お前手ぶらで戻るつもりか?」
「緊急事態だろ」
「いや、まずは私たちで何としても惑星の書を取り戻す」
アンナは何かを思案している顔だった。「今のところヴァレンシュタイン卿は最後だ」
「わかった。具体的な案は?」
「二言目にはそれだな。これだから怠け者は適わん。私のような善良な市民ばかりがいつも損をする」
「考えはないってことか」
「馬鹿にするな。止まれ」
二人は列を出た。橋の手すりに背中をかける。
「この頭巾だ」
アンナが取り出したのはケルンで襲った男が被っていたものだった。
「これがどうした」
「皮で出来てる」
「確かに。珍しいな」
頭巾は布で作るものだ。
「どうしてだと思う?」
「頭巾が好きなんだろ」
「遠からずってところだな。たぶん奴らは頭巾を一つのシンボルにしてたんだろ。皮にするくらいだ。頭巾強盗ってとこだ。常習犯だ。つまり犯人は常習的に犯罪に手を染めるようなクソ共だ」
「騎士の兜のつもりか。それが皮の頭巾じゃ情けない」
「それでもわざわざ皮で作らせたってことは、それなりの稼ぎがあったわけだし、職業としてのこだわりみたいなもんがあったんだろう」
「皮剥ぎ人を探すのか」
エリオットは皮の頭巾を受け取る。
「刑吏の仲間だろ。この街で頭巾の為に皮を何度か仕入れる奴がいるはずだ」
皮剥ぎ人は街の刑吏が管理している職人たちだった。「そんな奴が何十人もいると思うか?」
「そんなに居そうもないな」
「昔の伝手で何か知り合いはいないか」
「心当たりくらいならある」
皮剥ぎ人に皮なめし屋。疎遠になったが知り合いはまだ街にいるはずだ。
エリオットは舌打ちをする。出来れば会いたくない。
「渋るな。行くぞ」
「わかってる」
自分ではどうにも出来ない大きな流れの中にいることはわかっていた。
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