5-4
エリオットは朝起きてから、風呂屋に行って汗を流した。アンナとは別行動だった。腹ごしらえをしてから、夕方過ぎに納屋へ戻ると、エリオットの嫌いな老人とアンナが立ち話をしていた。老人はエリオットの姿を見ると「けっ」と唾を吐き、家の中へ入ってしまった。
「お前の才能はすごいな」とアンナ。
「何がだ」
どうせ碌なことは言わない。
「人に嫌われる才能だ」
ほらみろ。反論するのも馬鹿らしい。
「で、ドミニクの親父さんの家は?」
「わかった。聖ゲレオン教会の裏。ウンター・デム・ボーゲン通りにある。扉に傷がある。それが目印だ。腰くらいの高さのところに斜めに入ってる。酔っ払い同士の喧嘩でついたものだそうだ」
「すごいな」
ならずの王は伊達じゃない。
「まだ誰かが訪ねてきた様子はないらしい」
「ドミニクはこれからか」
馬を飛ばした甲斐があった。
「今から攫いに行くぞ」
アンナはエリオットの胸を叩く。「気合入れろ」
「わかった」とエリオットは頷いた。
■
「それはなんだ?」
「あんたこそ」
アンナとエリオットはお互いの格好を見合う。
「これは私の正装だ」
アンナは黒いビロードの外套を着込んでいた。その容姿はより魔女へと近づいている。
「俺も同じだ。仕事するときはこれだ」
鉄仮面に肩当。黒い胴着の上には鎖帷子。腰に聖剣を差している。
「お互い知らないことだらけだな」
「あんたも俺も自己紹介がまだだったかもな。その格好、暑くないのか?」
「くだらないことを聞くな。お前こそ仮面は外せ。目立ってしょうがない。攫うときに被ればいい」
「ご忠告どうも。人攫いなんてしたことないんでね。ありがたいよ」
エリオットは鉄仮面を脱いだ。
「いくぞ」
霧と暗闇に包まれたケルンの街路に出た。
ランタンは持たず、並んで歩く。夜道は暗く、足元のちょっとした段差にも注意しなくてはいけない。
「誘拐犯は普通どうなる?」とアンナ。
「捕まったら打ち首だな」
「絞首刑じゃないのか?」
「だって俺たちのことだろ? お慈悲があるさ。絞首刑なんて不名誉な死に方にはならない」
「自分に甘いな」
「ちなみに居酒屋での乱闘も打ち首だろうな。良くても追放か指くらいは落とされる」
「さぞや立派な死刑執行人になれたろうに」
「刑吏の才能はあったと思うよ。豚相手の訓練でも外したことはなかった」
「今からでも遅くはない」
「もう遅い。ニュルンベルクの刑吏は他が継いだ」
今はフランク・シュミットという男が仕事に当たっている。良い噂は聞かないが、今から取って代わることは難しい。「当分、俺にお鉢は回ってこない」
「他の街があるだろう」
「そもそも俺が刑吏に戻ったら、カテリーナの結婚はご破算だよ」
「相手の家はお前の一族が刑吏だったということは知ってるのか?」
「知ってる。だが皇帝から恩赦を貰い、名誉の回復を果たしていることのほうが重要だ。恩赦の効果は絶大だよ」
「悲しくなるだろう」
「よくわかったな」
皇帝からの手紙一つでエリオットの世界は何もかもが変わった。
「人間というものは、そんなものだ」
「あんたは魔女になった。嫌というほど味わったんだろうな」
「いつか話してやるよ」
アンナの足が止まった。「ここだな」
扉。腰の高さほどに斜めに入った切り傷がある。
周りを見る。霧。窓から吊るされたランタンの灯りがぼやけている。人影はない。
「心の準備は?」
アンナはフードを被った。
「出来ている」
エリオットは鉄仮面を被る。
「不細工な顔しやがって。やることはわかってるな?」
「仮面を被ってる。不細工かはわからないだろ」
「匂いでわかるんだよ」
「乱暴はしない約束だからな」とエリオット。
「誘拐するだけ、だろ」
「そうだ。暴力は必要ない。手足を縛って連れ出せばいいんだ」
「お前は暴力反対なのか? 現実を知ることになるぞ」
アンナは扉を叩いた。エリオットは隣に立って唾を飲み込んだ。今から自分が何をするのか考える。人攫い。誘拐だ。しかもケルンで。市参事会や都市兵連中に許可なんて貰ってもいない。誰かに捕まったら、ニュルンベルクは庇ってくれるか。いや、そうはならないだろう。ここからは命懸けだ。一族の使命を果たす為に全てを捧げるしかない。
「誰だ」
壮年を迎えたらしい男の声だ。父親のヴォルフだろう。
アンナが目配せして、エリオットを見る。
「息子のドミニクのことで伝言だ。ニュルンベルクから来た」
エリオットは言った。声の調子はまぁまぁだ。上ずってもいない。役者の才能もあったかもしれない。
「こんな夜遅くにか」
「早馬を走らせてきた。緊急なんだ」
「わかった。今、開ける」
鍵の開く音。扉が開く。
「なんだ、あんたら」と開口一番にヴォルフ。
「悪いね」
エリオットはヴォルフを見た。
扉が閉められる。アンナが素早く足を挟んだ。ヴォルフは眉間に皺を寄せる。
「入るぞ」
アンナは強引に扉を開いて、問答無用でヴォルフの喉を抑えた。叫ぼうとしても声が潰れて、もう出ない。そのまま室内に押し込み、床に倒す。
エリオットも家へ入り、扉を閉めた。
「布切れを」
エリオットがアンナの手に乗せる。ボロだ。それを丸めてヴォルフの口へ突っ込んだ。ヴォルフは必死に抵抗する。身体をくねらせて、手足をばたつかせる。エリオットは鉄火面を被った。
「足を縛れ」
お互いの名前は呼ばない約束だ。エリオットは指示に従う。ヴォルフが激しく動かす足にしがみつき、縄を巻きつけようとする。
「こいつしぶといぞ」
鉄仮面を何度も蹴ってくる。
「これが現実だ。必要なら太腿を刺せ」
「そんな真似できるか。俺は名誉ある市民だ」
「目的達成だけを考えろ、馬鹿」
「この! この!」
やっぱり刺すのは無理だ。拳を作り、腿を何度も叩いた。片方の足になんとか縄を巻きつける。暴力は嫌だがやむを得ない。
「まだか」
「あともうちょい」
唸り声を上げるヴォルフ。もう片方にも縄をかけ、両方の踵をくっつけた。
「出来た」
「よし、引っ繰り返すぞ」
せーの、でヴォルフの身体を裏返した。上半身を抑えるのはアンナの担当だ。背中で両手を組み合わせ、こちらも縄で縛り付けた。
「騒いだら、殺す」
アンナは床に短刀を突き刺した。横を向いて頬を床にべったりつけているヴォルフの鼻先だった。「約束できるか? できるなら口を自由にしてやる」
ヴォルフは目を見開いて、短刀の刃を見ていた。充血している。鼻息が荒い。
「できるのか?」とアンナ。腕を締め上げる。ヴォルフの表情が痛みで歪んだ。
「おい」
そこまでする必要はない。足を抑えているエリオットが声をかける。
「黙ってろ」
アンナの押しが強い。「いいか、ヴォルフ。騒いだら、問答無用で喉を掻っ切る。静かにできるか?」
ヴォルフは顔を縦に振る。横目でアンナを見ている。瞬きが多いのは焦りと恐怖からだろう。白髪混じりの頭に、がっしりとした肩幅。何かの職人なのだろうか。もしかしたら殺されたゲルオクと同じ鍛冶職人なのかもしれない。
アンナはヴォルフの口に手を突っ込んで、布切れを取った。ヴォルフは嗚咽を漏らした。
「一体、何なんだ」とヴォルフ。
「静かにしろ。何度言わせる」
アンナがすかさず腕を締め上げる。ヴォルフは唸った。だが怯えを抑えている風でもある。
「ドミニクはもう来たか?」
「どうして、どうしてそんなことを聞く」
「質問に答えろ。ドミニクには会ったのか?」
「知らない。息子のことは絶対に答えない」
父親の顔をしていた。ドミニクの身を案じている。
「知らぬ存ぜぬか?」
「息子を――、ドミニクをどうするつもりだ」
「少し話したいことがあるんでね」
「嘘だ。お前らなんかに渡せるか」
「これでもか」
アンナは短刀を逆手に持ち替え、振り上げた。ヴォルフの目が開く。
「何するつもりだ」
エリオットは焦った。これからアンナの行おうとすることは常軌を逸している。
「こいつの肩を裂く。痛みで真実を吐かせる」
「やめろ。そんな真似するな。この人には何も罪はない」
「目的だけを考えろ、エリオット。最短で欲しいものを手に入れる必要がある」
「無駄な犠牲だ。俺たちの目的はドミニクだけだ。父親は違う」
「この際、同罪だ」
アンナは肩めがけて振り下ろした。
「駄目だ」
エリオットが止める。手首を掴んだ。短刀がヴォルフの肩に突き刺さる前に止まる。
「そんな真似は許せない」とエリオットは続けた。「俺たちは街を守るんだ。人を傷つける必要なんてないだろ」
「私に歯向かうのか」
「暴力反対だって言ってんだよ」
「この期に及んで――。気が緩む戯言を」
アンナの腕から力が抜けた。それを感じ取りエリオットはアンナの手首を離す。ヴォルフは呼吸を荒くして、行く末を見守っている。
「クソ。お前の勝ちだ」
エリオットが黙っていると、アンナは言った。床に唾を吐く。
「おい、ヴォルフ。これを見ろ」
アンナは言った。そして短刀を自分の手首に突き刺した。血が溢れる。
「何やってるんだ」
エリオットにもこの行動は理解できなかった。
「ヴォルフ、これを見ろ」
アンナは短刀で手首に深い切り傷を作った。「これだ」
ヴォフクはその痛々しい傷跡を見てから、目を伏せ視線を外す。
「いいか? 見てろよ」とアンナ。
ヴァルフの顎を掴み顔を固定した。手首の傷を彼の顔の真上に持っていく。
するとアンナが短刀で切った深い傷が治癒していく。人間とは思えないほどの再生速度で傷は消えてなくなった。
「見たな」
「あぁ」とヴォルフの声は震えていた。
「お前は私を化物と思ったろ。その通りだ。私はもはや人間ではない。今見せたのがその証拠だ。そしてお前も息子もそうだ。私と同じだ。奴はもう化け物だ。悪魔と契約し、魔力を手に入れた」
「ドミニクが――。本当なのか」
「本当だ。ニュルンベルクで騒ぎを起こした。俺たちはそれを食い止めにいた」
アンナが答えないのでエリオットが代わりに言った。「あんたの息子を救えるのは俺たちだけだ」
「本当なのか?」
先ほどと同じ質問だった。ヴォルフの心が揺れているのがわかる。
「信じてくれ」
「ドミニクは悪に染まったのか? 悪魔にかどわかされたのか?」
「残念ながら」とエリオットは言った。「弟さんのゲルオクの死がそうさせたようだ」
「便りは?」
アンナが口を開く。「答えろ」
「あった。ここに戻ると」
ヴォルフは観念したようだった。
「真実だな?」
「本当だ」
「いつだ」
「明日には帰ってくる」
「絶対か?」
「わからない。けど手紙にはそう書いてあった」
「わかった。もういい。黙ってろ」
アンナがエリオットを見た。首をくいっと動かし、指示を出してくる。
「なんなんだ」
ヴォルフが混乱する。「俺は全てを話したろ。あんたらを信用したんだぞ」
「何度も言わすな。黙ってろ」
再びアンナはヴォルフの口に布を突っ込んだ。
「別によかったんじゃないか。この人はもう全てを話した」
「だがこいつは父親だ。ドミニクに私たちの存在を知らせるかもしれない。予定通り連れて行くぞ。おい、引っ張ってくれ」
エリオットはアンナの指示に従い、麻袋を広げる。
「口を開けろ」
そのままヴォルフの身体を麻袋に突っ込んだ。
「ヴォルフ、足を畳め。全部入らない」
アンナの指示にも大人しく従うようになっている。ヴォルフを麻袋に入れると、口を結んだ。相当でかいが、そのまま運ぶよりずっと良い。
「行くぞ」
二人で担ぎ外に出る。
「重いな」とエリオット。それにしても気が進まない。
「そのままだからな。少し切って落とそうか」
「そういう意味じゃない」
冗談には聞こえなかった。
「斬るのは得意だろう」
「首限定だ」
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