5-5

 納屋に戻り、ヴォルフを柱に縛り付けた。麻袋から出すと、さすがに憔悴しきっていた。連れてくる前より十も二十も歳を取ったようだった。

「ドミニクは何をしたんだ。教えてくれ」

 この男はこれから息子をもう一人失うことになる。

「人を殺した。少なくない」

「嘘だ。人殺しはお前らのほうだろう」

 ヴォルフの声には張りがない。口から言葉を落とすように喋っている。

「私は復讐だ」とアンナ。

「俺は宿命」

 エリオットは続けた。

「復讐の為の私闘は禁止になったろう」

「アウグスブルクの件か?」

 意外だ。帝国議会の内容に関心があったとは。

「そうだ」とヴォルフ。「帝国議会で決まった。だから俺はゲルオクの復讐を諦めた」

 なるほど。そういうことか。

「俺は殺されるのか?」

「通常、ならず者に誘拐された人間は死ぬな」

「そうか」

 ヴォルフは諦めきっている。

「これじゃ脅しにもならない」

 アンナがぼやいた。「張り合いってもんがない」

「そういうもんじゃないだろ」とエリオット。「少しは同情したらどうだ」

「同情してるのか?」

「あぁ」

「これからこいつの息子を殺すのにか?」

「それがどうしたんだよ」

「お前は覚悟が足りない。同情や慈悲がこれからの仕事に何の意味がある」

「意味とかそういうんじゃないだろ」

「私が考えてるのは金だ。金のことだけ考えろ」

「俺は街を守ることだけを考えてる。それで十分だろ」

「正義の英雄になったつもりか。夢の中で戦ってるわけじゃない。これは現実の戦いなんだよ。命の奪い合いだ。名誉を捨ててでもドミニクを殺す必要がある。同情、慈悲、哀れみなんて捨てろ」

「何でも知ったつもりかよ」

「事実だ。私はお前より賢く強い」

 悔しいが確かにそうだった。

「ドミニクを罠に嵌める。ヴォルフの糞尿の世話はお前がやれ」

「ふざけんなよ」

「私は女だ」

「ヴォルフ、明日の夜までだ。全部我慢してくれ」

 エリオットは言ったが、返事はなかった。ただ意味もわからず力なく頷くだけだった。

「おい、表に出ろ。話がある」とアンナ。

 二人は納屋の外へ。

「なんだよ」

 アンナの背中を見る。

「お前、状況がわかってるのか?」

 振り返るアンナ。エリオットと目が合う。

「わかってるよ」

 エリオットは目を逸らした。足元の小石を蹴った。

「いやなにもだ。なにもわかってない。なんでヴォルフにお前がものを頼む必要がある。なにが全部我慢してくれ、だ。そんな言葉要らないんだよ。わからないのか?」

「俺はあんたとは違う」

「自分は優しい。そう思ってるのか。いいか。お前は素人だ。私たちはこれから人の命を救うんじゃない。私たちはこれから人の命を奪う。殺しをするんだ」

「わかってるよ」

「覚悟がない。感じない。私たちは、これからドミニクを待ち伏せする。そしてあいつに父親を人質に取ったことを告げる。ドミニクはどうなる? 奴は父親が人質に取られて反撃できない。ここまでお前は具体的に想像できているのか?」

 エリオットは黙った。

「反撃してきたとしても私が反撃できないまでに奴を潰す。反撃を封じられたドミニクを見て、お前はなにをする? お前は奴の首を斬り落とす。迫り来る脅威のなくなった惨めな男の首を斬るんだぞ。優しさが必要か? 礼儀正しさが必要か?」

「逆に何がいる。何が必要なんだ」

 優しさで押し切れる、とは言えなかった。

「極悪人のほうがまだマシだって言ってるんだよ。現実を正しく認識しろ。適応しろ」

 胸を小突かれた。「ヴォルフの縄を確認しろ。終わったらヴォルフの家を監視してドミニクを待ち伏せするぞ」


   ■


 ヴォルフを誘拐した翌日。朝からウンター・デム・ボーゲン通りに張り付き、ドミニクの帰りを待った。

「どうして死霊術を手に入れたドミニクはケルンに来たのか?」

 アンナの問いにはもう答えがあった。

「弟のゲルオクの為だ。死霊術を使って死者を蘇らせる。そう思わないか?」

 昼間から朝までは、通りをそれとなく行き来し、様子を探った。夜になり人がいなくなってからは、路地に身を潜め、見張りを続けていた。

「つまりドミニクは弟の為に死霊術を手に入れた。惑星の書を読み、悪魔と契約をした」

「感動だな」

「泣ける」

「奴じゃないか?」

 通りの向こうから人影がした。ランタンも松明も持っていないので、誰かわからない。

「よく見ろ、女だ」

 アンナの言うとおりだった。「お前の目玉は二つとも何を見てる」

「腹が減って死にそうなんだ」

 一回だけパンを口にしたが、それだけだ。一日中張り付いていた。二人の前を女性が足早に通り過ぎていく。

「私も我慢してる。お前も耐えろ」

「あんたは不老不死だもんな」

「不老不死だが腹も減るし眠くもなる。泣き言はそれくらいしとけ」

 アンナは肘でエリオットを小突き、顎で通りを指した。

 祭服を着た男がやって来た。背が高く痩せている。ランタンを持っている。

「ドミニクだ」

 ついに現れた。今度は本物だった。一日中待った甲斐があった。

「ヴォルフの言ったとおりだったな」

 ドミニクは扉を叩いた。反応がないと、もう一度、今度は乱暴に叩く。

「そこには誰もいないぞ、ドミニク」

 エリオットは呟く。

「静かに見てろ。中に入るぞ」

 鍵がかかっていないことに気づいたドミニクが、ゆっくりと扉を開けて中へと入っていく。

「よし。行くぞ」

 アンナはフードを被った。エリオットは鉄化面を。昨晩と同じだ。ヴォルフの家の扉を開け、中へ入る。

「ドミニク」

 アンナは名前を呼んだ。

「いるんだろ?」

 一階に人影はない。

「二階だな」とエリオット。

 二人は階段を上がる。

「ここだよ」

 二階に上がると、すぐにドミニクは見つかった。ベッドの脇にある蝋燭に火をつけていた。相変わらずの甲高い声だ。

「私のことを憶えているか?」

「さぁ」とドミニク。

「これで思い出せ」

 アンナは指輪を放り出す。車輪のように転がり、ドミニクの足元で倒れた。

「親父の指輪――」

「観念しろ。ヴォルフの身柄は抑えた」とエリオット。「妙な考えを起こすなよ。俺たちに危害が加われば、ヴォルフは死よりも辛い目に遭う」

「例えば、郊外にある疫病患者の村に放り込んだり、もしくは、ならずの王によって男色の噂を立てられたり、罪をでっち上げて、さらし柱にかけられた挙句、耳をそぎ落とされるなんてことも――」とアンナ。「まぁ、種類は色々ある。殺されたほうがマシだと思えるようなことがヴォルフの身に起こると考えろ」

「外道なんだな」

 ドミニクの眼光は鋭く、エリオットとアンナを捉えていた

「お前が先だ。ドミニク」

 アンナの目は本気だ。怒りで満ちている。「お前が先に私から奪った」

「マルコ司祭だ。忘れたとは言わせない」とエリオット。

「弟が殺された。生き返らせる為なら何でもするさ」

「だが年貢の納め時だな。観念して、首を斬らせろ。もうお前に逃げ場はない」

「罠に嵌めたつもりなんだろ? なぁ?」

 ドミニクは笑った。

「何がおかしい」

「俺が親父を大事に思ってる。そう考えてるお前らだよ」

「どういうことだ?」

「親父は最低の人間だ。さらし柱でも何でもかけられりゃいい。俺と弟はずっと親父の奴隷だった」

 雲行きが怪しくなってきた。

「親父の愛は異常だった。殴られたその次の瞬間には抱きしめられた。だが殴られた数のほうがずっと多い。そんなことばかりだった。俺は聖職について親父から逃げた。弟を置いて。ずっと後悔してたよ。わかるか? だから俺は今、弟を救いに来たんだ。弟を生き返らせにここまで来たんだ」

 ドミニクは俺たちに背中を向けた。

「ドミニク」

「ここは俺の故郷だ。土地勘はあるんでな」

 ドミニクは二階の窓を突き破った。そのまま飛び降りる。

「クソ」

 エリオットとアンナは急いで駆け寄り、窓から顔を出す。

 この通りは聖ゲレオン教会の裏にある。

 つまり家の裏は、教会だった。

「墓地だ」

 エリオットは叫んだ。「死体が蘇るぞ」

「そんなのわかってる。お前も飛び降りろ」とアンナ。

 ドミニクが教会の中へ姿を消していく。

「怪我する」とエリオット。

「冗談だろ?」

 首根っこを掴まれて、放り出された。アンナも続いて落下してくる。

「どうして俺ばっかり」

 エリオットは起き上がる。首が痛んだ。アンナは華麗に着地をしていた。

「走れ」とアンナ。

「これから歩くと思ったか?」

「お前ならやりかねん」

「よく知ってる」

 教会の扉を突き破り、中へ。

「どこだ?」とエリオット。

「墓地に決まってるだろ。 ドミニクの弟はここの墓の中だ。どこかにいるはずだ」

「ならずの王に感謝だな。で、墓地は?」

「知るか」

「ふざけんな」

「私は右。お前は左を行け。見つけたら叫べ」

「結局、こうなるのかよ。わかった」

 回廊を抜け左へ。扉を蹴破り、外に出る。

「どうやら、あたりだ」

 墓地だった。

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