6-6
「立て! 走るぞ!」とアンナ。
アンナは両足で着地。エリオットは背中から落ちた。
「クソ」
痛みを堪えて立ち上がる。
アンナは落下でノビているラツァルスを担いだ。
「そんなんで走れるのか重くないのか?」
「忘れたのか? 私の力を」
そうだ。こいつは怪力だ。肉体の魔女だ。
男たちの声と足音が聞こえる。エリオットたちを追ってきている。
「ついて来い」
アンナは走り出した。「遅れるなよ」
■
二人は闇に紛れて走った。
「どこに行くんだ」
「ついて来れば分かる」
路地から路地へ。廃屋を通り抜け、今度は誰のものかもわからない納屋を突っ切る。協会の敷地を横切り、再び路地へ。
エリオットも知らないような道ばかりを進んだ。
「振り切ったか?」とエリオット。
「十分だろう」
アンナは息一つ乱さない。ずっと男一人を担いだまま走り続けていた。
「ここに入れ」
ニュルンベルクの端まで来ていた。目の前には城壁。人間が一人ギリギリ通れるかくらいの穴が、目線の高さに開いている。
「石弓兵用の穴だ。今は忘れられてる」とアンナ。縁は崩れて不恰好な穴だった。「市の外にある水車小屋に行くぞ」
「今朝もここを通れば良かったのにな」
そうすれば荷物を二人分も運ばずに済んだ。
「お前を信用してないんでな。切り札は取っておくものだ」
「堂々と言ってくれる」
「悲しいか?」
「涙が見えるだろ」
「不細工な顔だ。穴に入れ。お前が外に出たら、こいつを通す」
アンナはラツァルスの尻を叩いた。
■
ニュルンベルク近くの水車小屋に移動した。近隣の村、ヴェールトとの中間地点にそれはあった。汲んでいる水はもちろんペグニッツ川のものだ。
「入るぞ」
水車小屋の扉を乱暴に開くアンナ。エリオットも続いた。
「なんですか? こんな夜に」
水車小屋の主人だった。ここで粉挽きの仕事をしている。前歯がなく、全く肉のない身体つき。荒れた肌の貧相な男だった。
「ここを使う。しばらく外にいろ」
アンナは担いでいるラツァルスを臼の横に放り投げた。
「あいよ、旦那」
気味の悪い男だが、アンナの言うことは聞くらしい。そのままエリオットの隣を横切り、水車小屋の外へ出て行った。
「どういう関係だ?」
「昔の男だ」
「マジか」
「間抜けめ」
腹を小突かれた。「関係なんてない。あるとすれば金。あいつは金さえ払えばここを使わせくれる。それだけだ」
「どうしてわざわざここまで」
「拷問するからに決まってるだろ」
アンナはラツァルスの髪を掴むと、粉挽きの臼に頭をぶつけた。
「起きろ、駄馬。ケルンではこけにしてくれたな、あぁ?」
ラツァルスは瞼を開いた。こめかみから血が流れている。
「エリオット。暴力反対か?」
「いや、賛成だ」とエリオット。
「よし。そいつを縛れ。そこに縄がある」
角に重ねてあった縄を手に取った。
「おい、暴れるなよ」
エリオットは縄を持つ。
「やめろ! 俺に近づくな!」
だがそんなことを大人しく聞くはずもない。ラツァルスは暴れる。
「動くな」
アンナが拳をラツァルスの腹に叩き込んだ。身体がくの字に曲がり一瞬だが浮く。すぐにラツァルスは四つん這いになり胃液を吐き出した。
落ち着いたところで、両手両脚を縛った。アンナは壁に立てかけてあった棍棒を手に取る。
「どこだ」とアンナ。
まず顔を一発。ラツァルスの鼻が膨れ上がった。両方の鼻の穴から血が垂れる。血はほうれい線をなぞり口の端を抜け、顎から滴り落ちる。
「しらねぇ」
鼻は折れたらしい。呼吸は辛いのか、口で息をしていた。涙が両目から溢れていた。
「今にも根を上げそうだな」
脛に棍棒を叩きつけるアンナ。「お前がケルンで私たちを襲った。そうだろ」
「人違いだ。何もわからない」
「汚い顔だな。涙に鼻水、血と涎。もうべとべとだ。な? エリオット」
「もっと殴られて顔の形を変えたほうがいいな」
「これを被せろ」
アンナが出したのは皮の頭巾だ。「前後ろ逆にして視界を潰せ」
エリオットは受け取る。
「やめてくれ――」
懇願するラツァルス。本能的に視界を奪われる恐怖に負けている。
「知るか。俺はお前の相方に殺されかけたんだ」
ラツァルスの叫び声を塞ぐように頭巾を被せた。
「ほら、お前もやれ」
今度は棍棒だった。アンナが差し出した。くるっと回して、持ち手側をエリオットに向ける。
「いや、俺はこれでいい」
拳でラツァルスを殴る。
「善人ぶるな」
「善人だ」
「確かに顔は騙される側だ」
アンナが棍棒を再びくるっと回して握りなおす。それからラツァルスを小突いた。「何か伝えたくなったんじゃないか?」
「だから知らないんだ――」
頭巾を被ったので声が篭っている。
「こいつ本当に知らないんじゃないか」とエリオット。
「早速だな。お前って奴は。だからお前は騙される側なんだ。私にはわかる。これは知っている奴の反応だ。こいつがケルンで私たちを襲った」
「いや知らない。知らない。何も知らないんだ」
「もう時間を掛けないぞ」
アンナは腰に差していた短刀を抜くと、ラツァルスの太ももに突き立てた。
「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ラツァルスの叫び。
エリオットは目を逸らした。
「いいか、よく聞け。ここで私がお前の腿に突き刺した短刀をぐりぐり動かしたら、お前のこの足は一生いうことを聞かなくなるただの飾りだここからこの短刀をこのまま抜くにはどうすれいいのかよーく考えろ。お前はケルンで私たちに奇襲をかけて、惑星の書を奪った。その報いを受けているんだぞ。お前が罪を軽くする方法はわかるな? 一つだ。たった一つだけだぞ」
アンナは容赦しない。
「ぐーりぐり。ぐーりぐり」
頭巾の上から囁く。
ラツァルスの身体は痙攣を起こしていた。痛みと恐怖で股間から全てが溢れている。
「ぐーりぐり。ぐーりぐり」
「やめてくれ――」
消えてなくなりそうな声だった。
「頼み方が違うな」
アンナは太ももに突き立てた短刀の柄を指で押す。
「あぁぁぁぁ。いう。いう。いう。お願いだから助けてくれ」
「早くいえ、のろま」
「あんたらから奪った本はヴェールト村の西にある境界石の横に埋めてある。境界石は十字路の奥にあるからすぐにわかるはずだ」
ヴェールトはここから一時間ほどだ。
「奪ってどうするつもりだった」
「男に売る」
「どこのどいつだ。そのボンクラは」
「知らない。名前を名乗らない男だ」
「ここにきてまた嘘か」
短刀を深く刺し込む。
「ほんとうだぁぁぁぁぁぁぁ。知らない。俺は名前を知らないんだぁぁぁぁぁぁ」
「会っただろ。どんな奴だ」
「大男だ。左頬に傷があった」
左頬に傷――。
「ふん。面白い。それで、その男にいくらで買われた」
追求をしない。嘘を吐いていないとアンナは判断したのだろう。
「千グルテンだ」
「私より安いな。いつ受け渡す予定だった」
「今日の夜だ」
「どこで?」
「まだわからない。向こうから家に使者が来る段取りだ。それで俺は本を埋めた境界石まで案内して終わるはずだった」
「どうしてお前は娼館にいた」
「どうせ奴らは俺が来るまで家で待つ」
「極悪人だな」とアンナは笑う。
どっちかがだ。
「おい、エリオット。行くぞ」
「こいつはこのままでいいのか?」
「粉挽きが後処理もする」
後処理という響きがなんだが不気味な感じもしたが深追いは避けた。
二人は水車小屋を出て、ヴェールト村へ向かう。
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