6-7

 街道を進んだ。夜。両脇には森が広がる。雨が降り出し、葉が震えていた。月明かりだけではどうにも頼り細いが、他の術がない。暗がりを走った。

「十字路だ」

 アンナは足を止めた。

 二つの道が直角に交わっている。その先を見た。左側に不自然な石が置いてあった。景観に溶け込まず少し大きな石だ。

「境界石はあれか」

 エリオットは近づく。村と村、耕地と耕地などの領土を示すために境界石は使われている。

「何かあるか」とアンナ。

 境界石の左右を確かめた。右側の地面が不自然に盛り上がっている。近づいてみると、どうやら土の色も違った。

「この下だ」

「掘れ」

 アンナの判断は早かった。

「だと思った。爪に土が入るから嫌なんだよ」

「女みたいなこと抜かすな。一生懸命に働け」

 尻を蹴られる。

 屈み、両手で土を返した。

「これじゃまるで犬だ」

「まだ犬のほうが素直だ。口を動かさず手を動かせ、馬鹿者」

 農具の一つでもあれば効率は違ったが、エリオットの手は一度にそれほど掘り返せない。

「おい、まだか」

「向こうはきっと何か道具で掘ったんだろうな」

「お前の手が頼りだ」

「少しは手伝ったらどうだ」

「どうしてここを掘ってるか考えたか? 誰がラツァルスから情報を引き出した」

「あんたは人の十倍手柄を立ててらっしゃる」

「嫌味か?」

「そういうのはわかるんだな」

「ぶっ殺すぞ」

「あった」

 エリオットが袋を掘り当てた。中身を覗くと、確かに惑星の書が入っている。

「クソ。タイミングがいいな。寄越せ」

 アンナはそれを引っ手繰る。「次は換金だ」

「ヴァレンシュタイン卿の下へ行くのか?」

「お前何か言いたそうだな」

 アンナは笑みを零した。

「その顔。あんただってわかってるだろ。さっきラツァルスが言ってたことだよ」

「左頬に傷のある大男か」

「あれはどう考えてもハンスだ」

 ヴァレンシュタインの下で働いている男。

「奴なら我々がケルンに向かったのもわかる」

「悪くない推理だろ?」

「簡単な推理だ。子供でも解ける」

「それを持っていくのは悪党の巣に金のネックレスをつけて向かうようなもんだろ」

「首ごと盗られるな」

「どうする気だ?」

「お前はハンスが全て一人で私たちを襲わせたと思うか?」

「いや」

 それは都合が良すぎるということはエリオットもわかってた。

「ヴァレンシュタインがハンスに指示を出したんだろう、と私は考える。理由はこの際どうでもいい」

「金が惜しくなったんだろうか」

「まぁそんなとこだろうな」

「それで乗り込んでどうする? 危険じゃないのか」

「いや、むしろ行くしかない。それ以外の選択肢はあり得ない」

「金のためか?」

「それが一番だが、二番目の理由は違う。向こうは都市兵を束ねる最高司令官だ。私たちに罪を被せて指名手配することなど容易い。ケルンで私たちを襲わせたくらいだ。自分の庭であるニュルンベルクではもっと楽に私たちを好きにできる。最悪のところ私たちは今、帝国追放の危機にある。私の財産が没収される。耐え難いな。回避するには、これだ。これを使って交渉をするしかない」

「惑星の書か――」

「奴が欲しいものはこいつだ。私たちに有利な点があるとすればこの一点」

「筋書きは? 随分前からこうなるのはわかってたんだろ、どうせ」

「話さなかったことの謝罪を求めているのか?」

「いや。俺には信用がないもんな。それで、どうする?」

「ハンスだ。あいつに全ての罪を被せる。私たちはラツァルスを捕まえて、全てを吐かせた、とヴァレンシュタインに告げる。そしてこうもいう。犯人はハンスです。どうか離れてください。こいつを始末します、とね。回りくどいが奴を脅迫する、ということだ」

「あんたは悪巧みの天才だな」

「ヴァレンシュタインはこの事件の黒幕だが、結局は惑星の書が手に入ればいい。そこはたぶん変わらない。よってあいつは私たちがハンスを始末することを止めないだろう。そしてここからは予定調和だ。私はハンスに脅かされた命の慰謝料を、雇い主のヴァレンシュタインに吹っかけつつ、身の安全を保障して貰う」

「払うのか? 身の安全だけでいいだろ。要求しすぎだ」

「私は慰謝料と言っているが、奴にとっては口止め料だ。私たちを襲って結果は失敗。全てが露呈した今、払うより他ない。奴はむしろ払いたいくらいだ」

「あんたはこれをさらに稼ぐ機会って考えてるのか」

「お前は蜂の巣を見て何を思う?」

「刺されたら痛い、だ」

「私は蜜は甘い、だよ」

「俺はもしヴァレンシュタイン卿も悪ならば、全てを神の前に晒す必要があると思う。ヴァレンシュタイン卿に惑星の書を渡すのは危険だ」

「ここにきてまだ夢を見てるのか。金はどうする? 慰謝料を貰うなっていうのか」

「口止め料だろ。貰ったら罪を告発できない」

「お前、馬鹿か」

「金の問題じゃない。これは明らかな陰謀だ。そんな奴に街の警備を任せられるか。マルコ司祭だってきっとこんな結末は望んでない」

「マルコの仇は討った。次は蜜だ。金を手に入れる」

「金じゃない。街を守るんだよ」

「また正義感か。クソ野郎が」

「俺はずっと正義に従ってた」

「ヴァレンシュタインもハンスと同じく裁かれるべきだというのか?」

「そう思う」

「じゃこれはどうする」

 アンナは惑星の書の背表紙を叩いた。「誰に渡す。金になるのに何もしないのか?」

 エリオットに答えはなかった。黙っているとアンナがエリオットの周りをぐるぐる歩きながら喋り出す。

「私は金がもっと欲しい。お前はヴァレンシュタインに罪を償わせたい。いいか、エリオット。この二つの願いは共存できる。まず私が慰謝料を上乗せした金をヴァレンシュタインからせしめて、その後にお前が告発でも何でもすればいい。それでいいだろ?」

「確かにそうだが――」とエリオット。

「煮え切らないな」

「そうだな。正直、自分でもよくわかっていない。だけどあんたは金の話ばかりだ。本当はマルコの仇を取りたいんだろ。もしヴァレンシュタイン卿が黒幕なら仇討ちは終わってない。素直になれよ」

「私に命令か? 偉くなったもんだな。金を求めて何が悪い。いいか。よく聞け、間抜け。私が今まで楽園で暮らしてきたと思うか? 焼かれながら惑星の書を読んで命を延ばした。それからずっと祝福されたように生きてきたと思うか? マルコを愛したことは私の人生で重要な場面だ。幸福な思い出だ。だがな、それ以外ではずっと地べたを這い蹲ってきた。この地面だ。ここだ」

 アンナは土を足で叩いた。それから言葉を続ける。

「その度に私を救ったのは人でなく金だ。人は誰も私を助けなかった。それどころか私を陥れた。だが金だけは私を裏切らなかった。マルコはもういない。だから私を守るものは金しかないんだ」

「わかった――」

 気迫に押された。エリオットには反論できなかった。「だが――」

「正義が好きなら自分でやれ。優しい自分のままでいられるぞ。だが私は金を手に入れる。これ以上は時間の無駄だな。市内に戻って、ヴァレンシュタインの屋敷に行く。どのみち、通らねばいけない道だ。それはわかってるだろ?」

「そうだな」

「お前、私に借金があるのを忘れるなよ」

「わかってる」

 雨足が強まってきた。

「あんたこうなるのはわかってたんだろ? ヴァレンシュタイン卿が黒幕だって」

「お前もだろ。違うか?」

 ニュルンベルクへと戻る。

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