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   ■


 来た道を戻り、城壁の穴を通って市内へ。ペグニッツ川に出て東へ。ヴァレンシュタインの屋敷がある。並ぶ窓からはランタンが下げられていた。激しい雨で、いくつかは消えている。

 アンナは躊躇いもなく扉を叩いた。

「おい」とエリオット。「少しは警戒したらどうだ」

「こういうときは正面突破だ」

「向こうは俺たちの命を狙っているかもしれないんだ」

「殺すつもりならとっくにしてる。こっちはこれから話し合いに行くんだろ」

「じゃ生かすつもりってのか」

「煩い。黙ってろ」

 言い合っていると扉がゆっくりと開いた。

「木偶の坊か」とアンナ。

 扉を開けたのはハンスだった。早速の登場にエリオットは表情を強張らせた。

「お前、ここに住み込みか?」

 ハンスは何も答えず、二人を見下ろしている。

「何か言えよ。客が来たんぞ」

「入れ」

「少しは笑え。つまらん男だ」

 ずぶ濡れのエリオットとアンナは屋敷の中へと入った。夜に来ると、昼間に訪れたときよりも大分印象が違う。屋敷には暗く陰惨で屋根を叩く激しい雨音が響く。

 二人は先を行くハンスの背中を追った。

「これはよくない気がする」

 エリオットは呟いた。

「やっと自分の人生がクソだって気づいたか」とアンナ。

 ハンスが廊下を進み、奥の部屋へと入った。

「あそこにヴァレンシュタイン卿が?」

「躊躇う理由は一つもない」

 アンナはいつも通りの自信満々だ。それを見て気が滅入るのはエリオットだ。

「本当にか?」

「ここが踏ん張りどころなのは確かだな。蜜の味を想像しろ」

 部屋へ入った。

「悪いな」

 待ち伏せだった。影からハンスが出てきた。アンナは惑星の書を持っていた腕を掴まれた。

 状況が硬直する。緊張感が走った。

「離してもらおうか」

 アンナは動じない。

「わかった」

 ハンスは腰の剣を抜き、アンナの手首を切った。血しぶき。エリオットの頬に生温かい感触。手で拭うと赤く染まった。

「お前!」

 叫んだのはエリオットだった。アンナの手首をハンスが持っている。その先にあった惑星の書もハンスのものだ。

 すぐに待ち伏せしていた都市兵たちが奥の部屋からなだれ込んで来た。

「エリオット、逃げるぞぉぉぉ!」

 アンナは切られた手首を抑えて走る。エリオットも続いた。二人はすぐに部屋を出る。激しい足音。背中に浴びせられる怒声。

「踏ん張れてないじゃないか」

 エリオットは大声だ。

「蜂に刺されたな」

 アンナは笑っている。だがどこか硬い。

「斬られてるだろ」

「こっちだ」とアンナ。

 知らない部屋に飛び込んだ。部屋の奥に窓。「今度は一階だ。喜べ」

「喜べるか」

 振り替えると都市兵の姿だ。鎧を着てしっかりと戦闘準備をしている。殺す気だ。

「ふざけやがって」とエリオット。

 窓を開け、飛び出した。

 道へ。雨は相変わらず激しい。

「手は?」

 切断されていた。骨が見える。血が流れ出る肉は脈打っていた。

「肉体の魔女だと言ったろ、間抜けが」

 アンナは「あぁぁぁ」と切り落とされた手首を握りながら叫ぶ。すぐに新しい手が生えてきた。

「これでも地味な魔術か?」

「いや、あんたは立派な魔女だ」

 人間を越えている。

「おい、いたぞ!」

 強い雨足の中、都市兵たちが姿を現した。二人を囲むように左右の道から湧き出てくる。背後の窓からも飛び出してくる。

 目の前にはペグニッツ川。雨で水かさが増し、流れは暴力的に強くなっている。

「飛び込もう」とエリオット。「奴らは鎧を着てるから川に飛び込みはしない」

「いや――」とアンナ。

「なんだよ」

 いつものイケイケさがない。

「実は――、私は泳げない」

「は?」

「だから泳げないんだよ」

 アンナは濁流と化した川をじっと見つめている。エリオットは後ろを見た。もう都市兵がいる。自分たちを囲んで、あとは痛めつけるだけという状態だ。じりじりと距離を詰めてきている。

「大丈夫だ。きっと泳げる」

「ふざけるな。私は戦う」

「戦ってどうする? 最後の一人になるまで戦うのか? 一旦退いて態勢を立て直すんだよ。それにこいつらには罪はない。ヴァレンシュタイン卿に踊らされてるだけだ」

「クソ――」

「犬でも川に入れば泳ぐ」

「いいか? 絶対に私を離すなよ」

 アンナがエリオットに抱きついた。

「わ、わかった」

 間近にあるアンナは目を強く瞑っていた。

「いくぞ!」

 エリオットはアンナを抱えて川に身を投げた。


   ■


 服がたちまち水を吸い、鉄のように重くなる。波打つ濁流の中で、顔を出すのすらおぼつがず、ひたすらに呼吸を求めて身体を捻った。

「エリオ――」

 アンナがエリオットの名前を呼んでいる。入って早速、二人は離れた。

「アンナ、こ――、こっちだ」

 川の流れに逆らうことは出来ない。手を伸ばしても、距離は縮まらず、気まぐれな水流に身を任せるしかない。

 アンナの顔は消え、しばらくすると浮かんでくる。だがまたすぐに沈み、浮上のたびにエリオットの名前を何とか叫ぼうとし、言葉にならなず喉を擦ったような声をあげる。

 川はニュルンベルクの城壁を潜り、市の外へ。エリオットとアンナもその流れに乗って、市外へ出た。

 アンナのほうへ、と思うがエリオットも強い流れの中で体力を消耗していた。次第に彼もアンナのような状態となって、手足が動かなくなっていく。そのまま意識の糸がぷつりと切れた。

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