7-1
土の匂い。目を開いた。辺りはまだ暗い。岸辺だ。身体は濡れ、節々が痛む。鼻が詰まっているので、思い切りかむ。茶色い鼻水が出た。口の中に土の感触があって気持ちが悪い。川の水で漱いだ。雨は止んでいる。
「アンナ」
思ったよりも声が出なくてエリオットは驚いた。疲れている。歩くと立ち眩み。
「アンナ、いないのか」
ここはどこだ。
辺りを見回すが土地に見覚えはない。ポケットを探った。イカサマ用のサイコロ二つ以外はなくなっている。無一文だ。
「クソ」
再び周りをよく観察した。
目を覚ましたところから、十歩ほど離れた場所に聖剣が落ちていた。回収できたのは良かったが、これを失っていたことを考えるとぞっとした。腰に差し歩き出す。
周辺は靄が濃い。川から離れて森に向かうべきか。川を辿ればニュルンベルクに着くのは確実だ。だが今、戻って何になる。自分は市外追放寸前のお尋ね者になっているかもしれない。それにアンナがいない。
エリオットは川べりを歩き、アンナの姿を探し歩く。
「アンナ」
名を呼ぶ。返事はない。
さらに川に沿って先へ進んだ。
「おい、あんた」
男に背後から声を掛けられた。
エリオットは自分が置かれている状況に気づいた。ここは都市でもないし村でもない。盗賊がはびこっていてもおかしくない、どこにも属さない場所なのだ。
降り返って確認する。
男が二人だ。一人は剣、もう一人は長槍を持っている。汚れた衣類と赤い顔。髪の毛はぼさぼさで歯は欠けている。二人とも同じような見てくれだが、その格好が意味するところは両者ともに盗賊に違いない、という点だ。
「やぁ」
アンナ、アンナ、と言いすぎた。自分の位置を教えているようなものだ。
エリオットは後悔しながら挨拶をしてみた。
「どっから来た」
左にいる男がエリオットに尋ねる。穴の開いたリンゴを持っていた。もう一人は長槍を担いだまま、エリオットを睨んでいる。
「ニュルンベルクだ」
「俺たちもだ」
「あぁ、そう」
「アンナって誰だ」
男はリンゴを噛む。
「家畜の豚だよ」
「へぇ。そうか。珍しいな。食い物に名前つけるなんて」
口を動かしリンゴを食べながら、男は言った。「ん?」
それから何かに気づいたのか、男は指を口に突っ込んだ。
「虫だ」
口からくしゃくしゃになった幼虫を摘み出し、地面に捨てた。「なんだよ、ついてねぇな。腐ってやがった」
男はリンゴを川へ投げ捨てる。
「じゃ、俺はここで」とエリオットは立ち去ろうとした。
「おい、待て」
今まで黙っていた長槍を持っている男が言った。低く重い声だった。
「はい?」
「裸になれ。全部置いてけ」
「いや、それは」
聖剣を置いてはいけない。これは帝国宝物だ。もちろん裸にもなれない。
「じゃ殺して奪う」
リンゴを食べていた男が剣を構えた。続けて低い声の男も長槍を構える。
「クソ――」
二対一。
盗賊二人がエリオットに突っ込んできた。
エリオットは背中を向けて走り出す。
「家畜の豚って私か?」
女の声。エリオットは足を止め、後ろを確認した。
「質問に答えろ、馬鹿者」
アンナだった。足元には盗賊二人が倒れている。
「誤解だ」
「だとしてもどうして豚を選んだ? 何故、優雅な鷹と言わない」
「元気そうで何より」
「私を離したな」
間合いを詰められ、みぞうちに一発喰らった。「私は死なない。だからずっと苦しかった。死なないということがどういうことか想像できるか? 可能なら永遠に溺れることが出来るんだぞ」
「悪い。謝る」
「ふん」
アンナの格好もエリオットと同じく酷いものだった。泥で汚れ、所々が千切れている。
「とにかく助かった」
「どうするのかと見ていたら背中を晒して走り出したから笑える」
「最善の一手だ」
「情けない」
アンナは盗賊二人に近寄り、身体を探る。「ほれ」
何かを放り投げてきた。エリオットは受け取る。財布だ。金が入っている。
「こっちの男の分もだ」とアンナはズボンから財布を抜き取った。
「これじゃ俺たちが盗賊だ」
「正義の味方になり損ねたな」
「悪人から奪った金だから無罪」
「そうやって一生自分に言い訳してろ」
アンナは歩き出す。
「おい、どこに行く気だ」
「フライブルクだ」
「近いのか?」
「近くに思えるか?」
「遠い。ここはフライグルクから遠いんだろ。わかったよ」
「この近くに宿屋がある。そこで馬を手に入れるぞ」
「ってことは、ここがどこかわかってるのか?」
「大体な」
「何でも知ってるんだな」
「長生きはするもんだぞ」
疲れからか、それから言葉を発することはなかった。エリオットは、ただただアンナの背中を追った。
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