6-5
二階に上がる。廊下の右側、手前にある部屋の扉を開いた。
「子供じゃないか」
十二歳。確かに子供だった。深いため息を吐き、眉間に手を当てる。
「ため息吐かないでよ」
おまけに鼻っ柱が強いらしい。下着姿でベッドに腰掛けている。赤毛で色素が薄く荒れた肌。小さく膨らんだ胸に細い腕と浮き上がったあばら。あまり良い暮らしをしていないのがわかる。
「とりあえずこれやるから服着て黙っててくれ」
一グルテンを少女にやった。経費がかさむ。考えると頭が痛い。
「なに? しないの?」
「受け取ったら静かにする約束だろう」
少女はどこか納得のいかない様子だが、棚から服を取りそれを着る。エリオットは木製の窓を開けた。縁にハンカチを挟む。
「ここにナポリの女でアレクサンドラってのはいるか?」
「私の名前は聞かないのね」
「名前は?」
女は女だな、とエリオット。面倒だ。
「クリスティーヌ」
喋ればやはりまだ子供だ。幼い。
「それでクリスティーヌ。アレクサンドラは知ってるのか?」
クリスティーヌは手を差し出す。
「ほら」
また一グルテン。
「向かいの部屋だよ」
「ありがとう」と言ったところで、窓に何かがぶつかる音がした。
エリオットは開いて外を確かめる。アンナが下から石を投げて合図してきたらしい。開いておくと、超人的な跳躍力で窓から部屋へ入ってくる。
「え? なに? ここ二階だよ」
クリスティーヌは驚いた。
「この餓鬼がナポリの女か。こましたのか?」
開口一番。アンナは言った。
「馬鹿言え。子供は趣味じゃない。成り行きだよ」
「成り行きで犯したのか」
「やってない」
「けどこの餓鬼、金を持ってるぞ」
「情報料兼口止め料だよ」
「口止め料は貰ってないよ」
クリスティーヌが言った。
「躾がなってないな」
アンナに言われると、クリスティーヌが敵意剥き出しの視線を向け返した。
「俺の子じゃない。知るもんか。アレクサンドラは向かいの部屋だ。今は男を取ってる」
「ラツァルスか」
「可能性は高いと思う」
「乗り込むぞ」
「乗り込むってなに? 騒ぎを起こすの」とクリスティーヌ。
「いちいち煩い餓鬼だな。そうだよ。私たちは騒ぎを起こすんだよ」
「何かあったらすぐ逃げろよ」
エリオットはクリスティーヌにいう。
「保護者気取りか」
「黙ってくれ。俺は子供の味方なんだよ」
「いよいよ気持ち悪いこと言い始めたな」
「好きにどうぞ」
二人は廊下へ出た。向かいの部屋の前に立つ。
「ノックするか?」
エリオットは確認する。
「別にいいだろ」
アンナは扉を開いた。
「取り込み中、悪いね」と部屋に入ったアンナは続ける。
丁度、男が女に覆いかぶさって腰を動かしている最中だった。
■
喘ぎ声が止まった。男の腰が止まったからだ。
「私に見覚えがあるみたいだな? なぁ? ラツァルス」
アンナは腕組みをする。エリオットは後ろの扉をそっと閉じた。
「なに? こいつあんたの女房?」
女は傍らに置いていた服を引き、胸元を隠した。
「お前がアレクサンドラか」とアンナ。
「なにがおかしいのよ」
黒髪で褐色。肌は滑らかで、乳房はもう隠れているがつんと上を向いていた。細身の身体だが出るところは出ている。男好きする身体をしていた。アレクサンドラは他の娼婦と同じく気が強い。
「ラツァルス。この短刀知ってるよな?」
アンナは短刀を抜く。ラツァルスから返答はない。頭巾を脱ぐと、見所のない不細工な男の顔があった。虚を突かれたとあって、目線は泳ぎ口は開いたまま動かない。黒髪は乱れ、広い額を露にしていた。
「エリオット。お前は知ってるよな」
「思い出の一品だ」
エリオットにも見覚えがあった。ケルンで自分を脅した男が持っていた短刀だ。
「騒げよ」
アンナは挑発した。
「何かいえ、クソ野郎」
エリオットにも怒りが沸いてきた。自分を殺そうとした人間がいるという事実が彼の心に火をつけた。
「どうしてわかったんだよ」
ラツァルスは言った。
「それお前に言う必要あるか?」とアンナ。「反省会でもやってるつもりか、お前」
「何が目的なんだよ」
「わかってんだろ。惑星の書はどこだ!」
エリオットは怒鳴っていた。
「おい。止せ」
「だけど」
「話が通じる奴かもしれない。な? ラツァルス」
「惑星の書なんてしらねぇよ、人違いじゃねぇのか。人を呼ぶ、お前ら都市兵に捕まえて貰うぞ」
「頭巾被ってたから顔を見られてないって高くくってるのか。お前、誰を相手に騙しあいをやってるのかイマイチわかってないよな」
アンナは短刀を逆手に持ち替え、振り上げる。裸のラツァルスは縮こまり悲鳴を上げた。
「おい! お前ら何してる!」
振り下ろそうとしたときだった。扉が開いた。武装した男が立っている。警備の男だ。剣を抜こうと柄に手をかけていた。
「クソ、あの小娘か」とアンナ。
クリスティーヌが女将に告げ口をしたのだろう。
「エリオットどけ!」
男はエリオットのすぐ後ろだった。アンナはエリオットの肩を掴んで、強引に退かす。そのまま飛び、態勢を横にして、右の壁を勢いよく蹴った。速さの重なった蹴りが男の横っ面を叩いた。
「きゃぁぁぁぁぁ」
アレクサンドラの悲鳴。
「ナポリの女は煩くて敵わない。エリオット、逃げるぞ」
二階へ登る足音が迫ってくる。
ここは一番手前の部屋だ。時間がない。アンナは部屋の扉を閉めて、背中を預け体重を掛ける。少しでも時間を稼ぐためだ。
「エリオット。そこの窓からラツァルスと一緒に飛び降りろ」とアンナ。
「来い」
エリオットはラツァルスに言った。
「どうしてお前となんか」
「やれ、エリオット。暴力で従わせろ」
「わかってる」
エリオットは男だ。裸の男が目の前にいたら、どこを突くべきか知っている。
「俺の言うことを聞け!」
金的だ。エリオットはラツァルスの股間に足を振り込んだ。
悶絶するラツァルス。股間を押さえて呼吸を止めるように首に力を込めて痛みを抑えている。
「動けなくなってるぞ、そいつ」
アンナの背中で抑えている扉が揺れている。激しい体当たりを受けていた。
「好都合だよ」
首を掴んだ。そのまま窓に持っていき、外に放り落とす。
「次はお前だ、エリオット」とアンナ。「飛び降りろ」
エリオットは下を見る。
「結構あるな」
意外な高さに怖気づいた。
「ふざけるな! 腰抜け」
アンナが突っ込んできた。扉が破られている。
「ちょっと、心の準備が――」
「黙れ!」
そのまま二人は窓から落下した。
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