6-2
■
旧市場を通り過ぎ中央広場を抜けて、街を南へ。小さな教会の裏に通る路地から二本奥へと入る。
「皮剥ぎよりも皮なめし屋のほうがいいだろう」とエリオット。
正確にいえば、皮なめし屋は刑吏の管理下にない。刑吏が管理に置いているのは娼婦及び娼館、死んだ動物の死体の処理を行う皮剥ぎ人、街にある汚物を拾う糞さらい、これらの職業であって、皮なめし屋は違った。
「臭うな」
アンナが鼻を抑えた。「何度来ても慣れない」
「そう言うな」
手前には床屋、その隣に皮なめし屋があった。床屋は人の血を抜いたりと医療行為を行う。その周りには薬や捨てられた肉片などから独特の異臭が漂っている。
だがさらに酷い臭いを放つのは皮なめし屋だ。みょうばん、塩水、皮を柔らかくするための犬、鳥、人の糞。それに加えてオークの皮やアカシアの豆果。それらが混ざり合い作業場から漏れ出た匂いは通り一体に広がっていた。
「親父の部下がここに剥いだ皮とか集めた汚物を卸してたんだ」
「それで顔見知りか?」
「たまにこの先の飲み屋で会うよ。けどほとんど話さない」
「まぁいい」
出窓を覗いた。作業場には男が二人いた。若いほうが見習いで、歳を取ったほうがここの親方だった。名前はニコラウス。背中を向けて、皮についている肉を刃で丁寧にそぎ落としていた。
「買い付けですか?」
客と間違われた。若いほうの見習いが近寄ってくる。丁度、糞で皮を揉んでいる作業中だった。しかもついさっきまでその作業をしていた手で自分の鼻を掻いていた。
「そこのニコラウス親方に用事がある」とエリオット。「エリオット・アングストマンが来たといってくればいい。わかると思う」
「親方、アングストマンさんがいらっしゃってます」
見習いが奥に声をかけた。視線は後ろだ。
作業場は基本的に往来を行く通行人からも見えるように作られている。誰に見られても恥ずかしくないものを造っています、という証明だった。
「あれ、信じられるか?」
アンナは小声でエリオットに言った。鼻を掻く仕草。見習いのことだ。
「もちろん信じられないよ」
「どんなに積まれても無理だ」
作業場にいるニコラウスの背中が動いた。振り返り、こちらへ近づいてくる。茶色い髪、同じく茶色い瞳、鼻の下には立派な髭を蓄えている職人らしい男だった。
「久しぶりだな」
「すいませんね。突然」
「そこの女は嫁か?」
ぶっきらぼうな言いぐさだ。
「いえ」
「なんだ娼婦か」とニコラウス。
アンナは涼しい顔をして受け流す。何も言わない。
「用事は?」
「これを造った男を捜してる」
「うちは皮をなめすだけだ。加工は他だぞ」
ニコラウスは頭巾を手に取った。
「頭巾です」
望みは薄そうだ。だが一応、説明はしている。「これを被って悪さをしてる奴がいて」
「お前の親父さんは良い人だった」
脈略もなくエリオットの父親の話を始めた。「お前の親父さんは今の奴とは違った。話していて知性とユーモアを感じたよ。それに何より値段が安かった。俺たち職人ってのを尊重してくれていた」
「そうですか」
「お前、刑吏は継がないのか?」
「予定はないですね」
「まぁいい。これを誰が加工したかは知らんが、これを持っていた奴は知ってる」
「ほんとですか?」
意外だ。
「居酒屋で自慢していたな。『角亭』だ。お前がサイコロ遊びに熱中していたときだよ。俺が皮なめしの親方だとわかると、これを見てくれ、と自慢してきた。これを被って追い剥ぎをするんだ、とな。酒のせいで余計なことをベラベラ喋っていた」
「住んでる場所は?」
「そこまではな。居酒屋にいけ。あの飲み方ならツケの一つもあるだろ」
「助かりました」
「親父さんに返したんだぞ」
ニコラウスは言って作業場へと戻っていった。
親父の恩か。エリオットは頭巾を取った。
「嫌な男だな」
アンナは歩き出す。
「そういうもんだ。底辺の職業の奴らはみんなあぁだろ」
「お前の父親もか?」
「どうだか」
正直、父親のことはよくわからなかった。
■
居酒屋『角亭』につく。まだ朝だ。営業をしているはずがない。扉は閉まっていた。
「ここからはあんたの出番だろ」
エリオットは鍵の掛かった扉の前でアンナに言った。
「私に泥棒しろとでもいうのか?」
「いや、なんか良い知恵とかないかな、と思って」
「要するにお前は閉まった居酒屋からどうやって常連の情報を入手するかわからないわけだ」
「いちいち説明しなくてもいいだろ」
「困ったときは全部私だな」
アンナは扉を思い切りノックした。
「アンナ・ファン・デ・ブルグだ。開けろ、この豚野郎」
叫ぶ。
「おい、何してる」
「店の主を呼んでいる。とっと開けろ、この大法螺吹き。私が来ているんだぞ、おい聞こえているのか」
扉を破壊しかねない勢いでノックを続けた。「窓を割って火をつけるぞ」
「だから、どうしてそんなことを――」
自分がいけないのか、とエリオットは思う。
すぐに屋内から階段を下りてくる足音。慌てた足取りだとわかる。
「開けろ、開けろ、開けろ」
「はい。はい。今開けます」
扉が開いた。気弱そうな店主が突っ立って、手で胡麻をすっている。エリオットも何度か見たことがある顔だ。
「調子はどうだ?」とアンナ。
「――――。それが、まだあれでして」
店主が間を空けてから、目を伏せて話し出す。待っていても言葉は先に続かない。
「上がらせて貰う」
アンナは店主をどけて中へ入った。「おい、お前も来い。私の愚かな助手よ」
エリオットは自分が呼ばれた気がしたので店へ。
「何か飲みますか?」と店主。
「いい。だが、この頭巾を持っている男を捜している。おい、愚かでのろまな助手。そいつをこの男に渡せ」
「さっきからそれって俺のことか?」
エリオットは言った。
「私の指示に従え」
「はい。先生」
エリオットは頭巾を店主に渡した。
「知っていることを全部話せ」とアンナは店主にいう。すると店主はビクッと肩を震わせた。
「これはシュレッツのもんです。はい。うちの常連です」
「そいつはどこに住んでる」
「ちょっと帳簿を確認してきます。この男はツケがあるんで」
ニコラウスのいうとおりだった。
店主は一旦、二階へ上がっていった。
「どういうことだ」とエリオット。
「街に友達がいるのはお前だけだと思うか? 私にだって友達はいるぞ」
「怯えてたぞ」
それが友達とは思えない。
「あいつは私に金を借りているんだよ」
「友達に金を貸したのか」
「貸したから友達だ」
「俺は奴隷とか何とか言ってなかったか」
「謝って欲しいのか?」
「すぐ喧嘩腰だ。これじゃ話にもならない」
「お前が売ってくるんだろう」
「さぞかし俺の喧嘩は良いんだろうな。それじゃなきゃこんなに買われない」
「安いんだよ、馬鹿が」
鉄扇で顎を叩かれた。
「へへ。すいません。アンナさん。待たせちゃって」
二階から店主が戻ってきた。
「で、奴の住処は?」
「シュレッツは中央広場の北に三本入った通りに女と住んでます。隣に手袋職人の家があって、今は屋根を修理してるから、すぐわかりますよ」
「シュレッツの家の屋根を修理してるのか? それともその手袋職人の家か?」
「あ、わかりにくくてすいません。手袋職人の家です」
「よし。わかった。そういえば嫁さんはどこいった?」
「逃げられましたよ。常連の男と一緒にプロイセンに。何でも租税措置があるとかで、土地を安く手に入れられるとか。自分にはわからないことを並べてました」
話を聞いていたエリオットもここの女将のことは知っている。とても肉つきのよい女だった。惚れた男がいたとは思えないが、ここは居酒屋だ。来る男は酔っ払っている。
「追わないのか?」
「店があります」
「そこは借金があるから、だろう。シュレッツの件はわかった。心に留めておく」
「へへ。どうもありがとうございます」
「それで金は?」
「いや、それなんですが、だからあの――」
「そうか。明日は火を持ってくる。頑張れよ」
アンナは店主の肩を叩いてから、外に向かって歩き出した。
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