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   ■


「どうだった」

 納屋に戻ると、アンナが鉄扇で顔を仰いでいた。

「逃げられた」

「のろまめ」

「そいつは? 何者だった」とエリオット。

 アンナは地面に突っ伏している男の黒い頭巾を取った。潰れた鼻と血だらけの顔が露になる。瞼は開いたままだ。瞬きをしない。

「死んでる」とアンナ。

「お前が殺したんだろう。これじゃお互い手がかりがない」

「偉そうにいうな、のろまの方が重罪だ」

「足が遅かったわけじゃない」

 エリオットも黒い頭巾を放り投げた。

「なかなかの策士だな。周りの奴らを全員殴らなかったのか?」

「あんたは狂ってるよ」

「向こうが一枚上手か」

「してやられた」

 エリオットは首筋を触る。生暖かい液体の感触。指を見ると血だ。少しだけ切られていた。

「で、惑星の書を奪われたぞ、お前がこいつに捕まったせいで。金の卵が消えた」

「ご説明ありがとう」

「のろまの上に腑抜けだ」

「死ぬよりマシだと思った」

「それでよく刑吏とか抜かす」

「俺じゃない。俺の親父までだ」

「どちらにしろ腑抜けだ」

「あぁ。俺が悪かったよ。だけどあんただって油断してたろ」

「扉の外から中に死体があるって気づけってのか?」

「クソ」

 エリオットは血の着いた指をズボンで拭いた。

「いいか、エリオット。お前は馬鹿だ」

「何がいいたいんだよ」

「私はお前のように手がかりを逃がしたりしてない。確かにこの男は不慮の事故によって命を失ったが、ここにいる。手がかりはこいつだ。これを見ろ、こいつが持っていた」

 アンナはくしゃくしゃになった紙を差し出す。エリオットは受け取り、それを広げた。

「傭兵か」

 軍人服務規程に関する誓約書だった。

「どこで発行されたものだ?」

 下部には男のサインと、募兵を受け付けた場所が記されていた。

「ニュルンベルクか」

 脇には書記官の名前があった。

「私が言ったのを覚えてるか?」

「あぁ。募兵があったって言ってた」

 教会で言われたことを思い出した。借金返済の為に戦争に出ろと強制された。

「この男は本気で戦に出ようとしていたわけじゃないだろう。傭兵になれば手付き金が手に入る。それが目当てだ。せこいチンピラだよ。もちろん金を貰ったら服務規程に沿って、閲兵場に向かう義務があるが、誤魔化したんだろう。手付き金の一部を使って身代わりを立てるとか、何でも出来る。つまり、こいつはあの日以降、ニュルンベルクで誰かに雇われたってことだ」

「誰だ」

「さぁな。そこまではわからん」

「クソ。こいつら、俺を殺す気だった」

「結構本気だったな」

「どうする?」

「決まってる」

 アンナは男の顔に足を乗せた。「こいつに聞くんだ。逆襲だ」


   ■


 ケルンの城壁の門が開かれる。

 朝から市場に向かう農民が列を成している。

「本当に邪魔だな、貧乏人ってのは」

 アンナは一言多い。二人は馬に乗っている。

「あんたは生まれたときから金持ちか?」とエリオット。

「私はせめて他人の迷惑にはならないように、と思って生まれてきた」

「馬から落ちるぞ、俺は」

「脅しか? 一向に構わん。なんなら地獄まで落としてやろうか」

「悪いが俺が行くのは天国なんでね」

「これからは地獄かもしれんぞ」

「故郷に戻るのにな」

 二人はケルンを後にした。

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