4-3

「もしかしたら、ここにドミニクがいるかも、とか思ったが、そんなことはないな。ここにはいない」

 アンナが指で肉を裂きながら話す。

「あぁ。たぶんな。それにしても肉はなかなか上手いじゃないか」

 エリオットの指は油だらけだ。ボウルの水で指を荒い、今度はチーズに手を伸ばす。

「最初は腐った肉でも出されるんじゃないかと思ったが、料理はそこそこだな」

そんなことを言っている割におかわりまで頼んでいる。細い身体のどこにそんな量が入るのかと不思議なくらいにアンナは喰うし、飲む。「だがワインは不味い」

「一言余計だ。それにどうしてわざわざ他人に聞こえるようにいうんだよ」

「そんなつもりはないんだが。宿命ってやつだろ」

「便所に行って来る」

「マナーってのがない。私は食事中だ」とアンナ。

「俺も食事中だからいいんだよ」

 エリオットは立ち上がり、扉に向かって歩き出す。

「うぉ」

 エリオットは転んだ。

「悪いね。へへへ」

 扉の前にいた客が足をかけてきたのだ。顔を見ればわざとだとわかる。酔っ払って鼻が赤くなってきた。垢だらけで髭も整っていない。着ている服だってシミだらけだった。格好からして、この付近に住む村人か。畑を耕して一生を終える類の男だ。だが肉体労働に精を出しているだけあって身体はでかい。

 喧嘩しても負けるのはわかっていた。

「やるかい?」と男が言う。

 エリオットは視線を外すと、無言で立ち上がった。

「なんだよ、いい女連れてると思ったら意気地がないねぇ」

 男はそれから豪快に笑った。周りも続けてエリオットを嘲笑する。

 反論しても何も出来ない。エリオットは外にある便所へ向かう。

「クソが」

 店の外に出るなり悪態が口から出てきた。やられて悔しいのは当たり前だ。そのまま便所で用を足している間も、頭の中は足をかけていた男の憎たらしい笑顔で一杯だった。

 もしも自分が武術に長けていたら、と思う。刑吏だった父は強かった。だがエリオットが子供の頃に、父は引退をしたので、稽古をつけて貰う機会は少なかった。今となってはそれを悔やむ。もう少しでも武術を嗜んでいれば、今だってこんな思いをせずに済んだだろう。しかもこれからここに泊まらなくてはいけないと考えるだけで虫唾が走る。だが他に選択肢はない。

 エリオットはせめて食事が、不味くないのは救いだ、と自分に言い聞かせて店へと戻った。

「エリオット、戻ってきたな」

 アンナが店のど真ん中に立っていた。

「これはどういうことだ?」

「見ての通り」

 喧嘩だ。「お前もやるんだよ」

 テーブルが引っ繰り返され、床には料理が散乱している。割れた皿、コップ、ワインボトルの破片が一面に広がっている。

 怒声が飛び交う。彼女の周りには男共が数名立っていた。顔が赤いのは酔っ払っているからだが、表情を見れば怒りが渦巻いていることもわかった。

 鼻息が荒く、短刀を抜いている者もいる。

「しつこいんだよ、こいつら」

 どうやらアンナは男どもに誘われて、豪快な断りを入れたらしい。

「それにしても短時間にこうもなるかね」

「私を舐めるな」

 魔女は災いの元だ。

「おめぇも仲間か!」

 突然、エリオットも殴られた。

「うぉ――」

 エリオットはふらつき、なんとか足を踏ん張る。

「ほら、お前も。言ったろ?」

 アンナが錫の壷を投げる。エリオットはそれを受け取った。

 男が迫ってくる。

「クソったれ」

 錫の壷を振り回し、相手の顎にぶち当てた。男は吹っ飛び、壁に激突。怒声が沸き、地鳴りのように響く。たった一発だけなのに息が切れた。次の男が来た。上着を脱いで上半身をさらけ出す。禿げ頭で胸毛が厚い。いかにも喧嘩慣れしていそうだ。

 アンナを見た。もしかしたら魔女の力を確認出来るかもしれない。

 だが彼女は踊るように身体を回転させて、肉弾戦で相手を蹂躙していった。まず相手の突きの軌道をなぞる様に身体を回して、大きく上げた足の甲を顔面に打ち込む。一人が倒れたら、そのまま身体を捻るように宙返りして、隣の男にかかと落とし。二人目。最後に床に片手をつけて身体を支えて、バク宙の要領で姿勢を立て直すと、正対した男に頭突きをかました。これで三人だ。

「楽勝」

 そういいながら背後から襲い掛かってきた男には裏拳。四人目。

「クソアマが」

 短刀を持って男が飛び掛ってきた。鉄扇で弾き、首を掴んで引っ繰り返す。合計、五人。

 アンナは魔女の能力どうこうではない。単純に強い。

「もう聞き込みどころじゃないな」

 泊まることも出来ない。

 エリオットの相手は目の前の禿げ頭だ。

 禿げ頭が唸り声を上げて拳を振り上げる。錫の壷を脇腹に当てた。効いていないようだった。拳がエリオットの脇にめり込む。内臓が口から吐き出そうなほどの衝撃。床に転がった。

「いいぞー、やっちまえ」「ぶっ殺せー」「叩き潰せー」

 ゴロツキ、傭兵、村の男は血の気が多い。市民とは根本的に考え方が違う。どんなに危険なことでも、こいつらにとっては娯楽の一部だ。誰が死のうが関係ない。

 禿げ男がエリオットの喉輪を掴んだ。血管が浮き出た太い腕が眼下に伸びる。呼吸が出来ない。苦しい。吐きたいが、それも喉を締められて叶わない。

 下品な男どもの声が耳にこだまする。鼓膜の裏が熱い。胸の鼓動と共に血液が蒸発していくような感覚。このままじゃ死ぬ。死んでしまう。こんなところで命を落としたら無駄死にだ。死にたくない。

 エリオットは床に散らばった皿の破片を掴んだ。意識が混乱して握力の加減が効かない。破片を力強く握りすぎて、エリオットの手の平からは血が滲む。

「くたばれ――」

 禿げ頭の腕に突き刺す。力いっぱいだ。

 喉を掴んでいた手が離れた。呼吸が蘇る。禿げ男が離れた。エリオットもすぐに立ち上がり、距離を保つ。男は刺された腕を抑えて、流血を確かめた。エリオットと目が合う。驚きと怒りに満ちていた。エリオットは肩を揺らして大きな呼吸を繰り返す。少しでも冷静さを取り戻したい。時間が欲しい。とにかく状況を整理する時間だ。アンナを見る。助けを求めていた。だが彼女はまた新たな四人を相手にしていて、エリオットのことなどまるで気にしていない。アンナは相手を叩き潰すことを楽しんでいる。

 叫んで命乞いをするか。そんな情けないこと出来ない。

 だけどこのままじゃ相手は自分を殺す。あの怒り狂った目は絶対だ。

「よくも貴様ぁぁぁ」

 禿げ頭が突っ込んできた。姿勢を低くして、エリオットの腰をめがけて突進してくる。

 エリオットは転がっている椅子の背を持って逆さまにして、四本足を禿げ男の後頭部に叩きつける。禿げ男はよろけた。そのままエリオットは横に回り、脇腹に拳をカチ上げるように打ち込んだ。手ごたえがあった。

 禿げ男は完全に千鳥足となり、姿勢を立て直そうと上体を起こした。緩慢な動作だ。拳を腹、脇、顎と三連打。大振りでぶち抜いた。禿げ男は大釜の中に倒れこんだ。身体が野菜スープだらけになる。

「よっしゃぁぁぁぁぁ」

 エリオットが雄叫びを上げると、それに呼応するように男たちの野太い歓声が響いた。

「やるな」

 アンナだった。見ると、彼女も仕事を終えたようだ。周りにはのびた男だらけだった。

「次はどうした?」

 アンナが挑発する。

「もう終わりか?」

「よせよ」とエリオット。「そんなこといったって損するだけだ」

「どうせ誰が来たって同じだ。お前だってせっかく調子が出てきたじゃないか」

「初めて勝った」

 スープ塗れで気を失っている禿げ頭を見た。

「男みたいな顔して。笑えるな」

 鉄扇で頬を叩かれた。

「出よう」

 エリオットはグルテンを二枚取り出して、床に放り投げた。「お代はこれで」

「ケチだな。楽しんだろ?」

「もっとか? じゃあんたが出せ」

「命令するな」

 二人は店を出た。

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