7-6

 北京人の店はすぐに見つかった。店の看板は赤く、エリオットには読めない文字が書いてあった。

「あんた、向こうの言葉はわかるのか?」と扉の前でエリオットはアンナに聞いた。「母親が向こうの人だったんだろ?」

「あぁ。少しだけな。だがもう何十年も喋ってない」

「俺のラテン語くらいか」

「比べるな。お前よりは頼りになる」

「なんて言えばいい。挨拶とかあるんだろ?」

「心配するな。向こうは我々向けの商売をしているんだ。言葉くらいわかるだろ」

 アンナは扉を開けて中へ入る。「いないのか?」

 燭台には短く太い蝋燭の灯り。それが三本、店の角に二本とカウンターに一本置かれている。小さな店だが、十分な光とは言えなかった。

「なんだ、これ」とエリオット。

 見たこともない昆虫が瓶の中で液体に浸されている。天井からは干された蛇が数本吊るされていた。つんとした匂いが漂う。香辛料とは違う薬の香りだ。

「おい、誰もいないのか?」

 アンナはカウンターを叩いた。乾いた音。「客が来たぞ」

「いないんじゃないか?」

 エリオットは言った。「もう夜だ。飯でも食いに行ってるんだよ」

「どうしてお前はそう弱気なんだ。扉は開いてたろ。蝋燭の火だって消えてない」

 アンナの言った通りだった。奥から男が現れた。白く長い髭を蓄えた男だ。黒い髪と低い背。一重の瞼に、黒目がない潰れたような白眼。目脂が酷い。

「盲目ね」と北京の男は言った。「そう驚かないで。二人だろ? 顔はしっかり見えてる。男と女。」

「それのどこが盲目だ」

 アンナは言った。

「気配だよ。佇まいが伝わってくる。あんたはとても健康だ。それで何十年も生きてるみたいだけど、不思議と若い身体をしてる」

「こいつは不老不死なんでな」

 エリオットがいうと、盲目の北京人は笑った。

「もう一人の男は、どこも悪くないけど、頭が良くないね」と続ける。

「当たってるな」とアンナ。

「それでどこが悪い? 何でもどこでも治せる薬が揃ってるよ」

 あまり上手くないが、男の言葉はエリオットにもわかった。

「目が悪いんだ。夜になると特に」

 アンナは適当なことを言った。

「それなら、これがいいね」

 男はカウンターの下から紙に包まれた粉を出してきた。緑色の粉だ。エリオットはかつてこんな色の薬を見たことがない。

「効くのか?」とアンア。

「ばっちり。すぐ見えるようになるよ」

 男の笑いはわざとらしい。

「お前は盲目だろう」

「私のは生まれつき。これは無理。治せない」

「言い訳が上手いな。じゃ貰うよ。試しに三日分欲しい。幾らだ」

「これはちょっと高い。十グルテン」

「組合に入ってないからか」

 同業者組合は価格の調整をする。全体の利益を守るためだ。

「組合に入ろうとしたよ。けど駄目だった」

 男は言った。だが恨んでいるようには見えない。

「得したな」

 アンナは金貨を十枚数えた。

「あともう一つ。相談がある」

 アンナは言った。

「何でも聞くよ」と男。上機嫌だ。

「義手の男を捜している。ニュルンベルクから丸薬を買いに来ている客だ。心当たりはないか?」

 アンナは金貨を一枚出し、カウンターを叩いた。

「その人が何をした?」と男は言った。警戒している。

「我们被攻击」

「あなた、同郷?」

 男は驚く。

「母がそうだ。父はフランク人」

「なんて言った?」とエリオットはアンナに聞く。

「私たちは攻撃されたと伝えた」

 アンナは言った。

 男は沈黙し、考えているようだった。そして意を決したのか喋り始める。

「義手かはわからない。私は目が見えないからね。けどニュルンベルクから丸薬を買いに来る男は知ってるよ。つい昨日も来た。最近は手下に使い走りをさせて、こっちまでは来ないから驚いた」

「薬は買ったのか?」

「いつもと違う薬を欲しがったんだ。だけどその薬が切れていた。だから調合して薬を作って、さっき泊まっている屋敷に持っていったよ」

「屋敷か。そこはどこだ」

「場所は思い出せるが、名前が出てこない。ちょっと待ってろ」

 男は何かをぶつぶつと呟いた。両手の人差し指を合わせて前後に揺らした。何かを思い出すときの動作らしい。

「思い出したか」

「あ、わかった。市庁舎の近くにある双子の天使館っていう屋敷だ」

「それで、お前はそこまで歩いて行ったのか?」とアンナ。

「私には娘がいるよ」

「そっちに話を聞けばよかった」

「娘は違う家にいる。ここにはいない」

「なるほどな。とにかくありがとう。恩にきる。ちなみに奴は何を買った」

 アンナは尋ねる。

「毒だよ。しかもすごく強い毒」

 盲目の男は悪びれずに答えた。

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