9-1

 ニュルンベルク。四十日間の断食が続く四旬節の最中。復活祭まで三十日が残っている二月だった。厳しい寒さの中、エリオットは居酒屋、鏡亭で食事をしていた。世間は断食中なので、肉やチーズ、獣脂を使った野菜の炒め物は出てこない。許されているのは水、パン、少量の酒と魚類。

 エリオットはパンとマスタードで味付けした燻製ニシンをビールで流し込んでいた。

 フライブルクの事件から半年が経とうとしていた。

「相変わらず貧乏臭いものを食ってるな」

 エリオットの隣に腰掛けてきたのはアンナだった。

「あんたか」とエリオット。

「久しぶりに会ったってのにそれか」

「あんたと居酒屋にいるときは必ず騒動になるんでな」

「無事に帰れるといいな」

 それからアンナは主人を呼びつけ、ワイン、ミートボール、チーズを頼む。

「すいません。今は出せないんです」と主人。

 荒野で断食したキリストに倣っての四旬節だ。肉料理を出したら罪になる。

「私は異教徒だ。構わず持って来い」

 アンナは相変わらず強引だった。

 しばらくするとテーブルにワイン、ミートボール、チーズがやってきた。

「どうしたんだ、急に」とエリオット。

 全く連絡を取っていなかった。フライブルクの事件が終わり、皇帝からエリオットとアンナには功労金が支払われ、ニュルンベルクの追放も解除、名誉の回復が取り計らわれた。アンナへの借金はそれで返済し、もう縁が切れたはずだった。

「お前、今は何してる」

「食事だよ」

 燻製ニシンを口へ運んだ。

 アンナはそれを見ながら、人差し指でテーブルを叩いている。エリオットは燻製ニシンを飲み込んでから喋り始めた。

「仕事は手広くやってるよ」とエリオットは言った。

 禁止されている肉料理がテーブルの上にある為、エリオットたちは他の客の視線を集めた。エリオットとしては居心地が悪い。

「具体的に言え」

「傭兵に採用されると、支給される長槍代の一.五グルテンが初任給の四グルテンから差し引かれる。新兵にとっては大きな出費だ。だから俺は募兵の列に並んでいる新兵に声を掛けて、長槍を一.二グルテンで売ってる。支給品は断って俺から買った方が安い」

「仕入れは幾らだ」

「一グルテン。二割の上がりだ」

「お前らしい」

「それだけじゃない。夜警の義務を免れたい市民は大勢いる。そんな奴らの為に一回当たり八十ペニィヒで代わりの人間を探してる」

「小銭だな」

「数をこなせば馬鹿に出来ない。男が一人で暮らすには十分だ。どうせ夜は暇なんでね」

 カテリーナは無事、ミュンヘンへ嫁いだ。持参金も皇帝からの功労金のおかげで無事に出すことが出来た。

「あんたのほうは、どうなんだ。取立ては上手くいってるのか」

「大きな仕事が入った」とアンナ。

「目が金貨になってる」

「フィレンツェの銀行関係だ。リューベックの支店長が本店に隠れて、借金を重ねていたしくてな。その債権の一部が回ってきた。取立てに行く」

「フレンツェかリューベックか」

「フィレンツェだ」

「随分遠いな」

「向こうは会計の本場だ。これはでかい仕事になる」

「それでどうしてその話を俺に」

「お前も来るかと思ってな」

 アンナはワインに口をつけた。「お前、貧乏だろ? 馬は用意してる」

「あんたも素直に言えばいい。俺に来て欲しいんだろ」

「願っているのはそっちだ。お前の目も金貨になってるぞ。来ないか?」

「悪い。もう博打は止めたんだ」

 エリオットは言った。

「そうか」

 アンナは立ち上がった。「感動したよ」

「達者でな」

「ごちゃごちゃ言わず食ってろ。その肉は奢ってやる」

「ありがた迷惑だ。今は四旬節だぞ。断食中だ」

 テーブルの上のミートボールとチーズを見た。

「戯言を。じゃあな」

 アンナは店を出た。

 一人になったエリオットは他の客の視線を集めていた。

「なんだよ」と呟く。

 食事をしている気分じゃなくなった。

「みんなで食ってくれ」とエリオットは周りに言う。「みんな、肉が食いたいだろ?」

 エリオットはテーブルに硬貨を置いて、立ち上がった。

 外に出る。夜の街だった。冷たい夜風が首筋をなぞった。反射的に身体を震わす。

「どうかしたか?」とアンナ。

 息が白い。

「見送りだよ」

 エリオットは答えた。

「律儀な奴だ」

 歩き出す。

「今度の馬の名前は?」

 エリオットは尋ねる。

「くだらないことを聞くな」

「もう二度と喋らないよ」

 それから二人は無言で別れた。


<了>

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極悪 水園トッ去 @suisonotokyo

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