7-9

 再びバルコニーに出た。

「最初からこっちに降りておけばよかった」

「いいから早く来い。たった一回、クジをミスっただけだろ」

 エリオットは隣のバルコニーに飛び移る。既にアンナがいた。

「脅しにもすっかり慣れた」

 さらにエリオットのぼやきは続いた。「忍び込むのも同じだ」

「黙れ」

 アンナがエリオットの顎を掴んだ。大人しく口を閉じる。バルコニーの扉を開いた。様子を窺いながら中へ入る。

 人の気配はない。エリオットとアンナは顔を見合わせる。ベッドと燭台、装飾の施されたテーブルと椅子。テーブルの上には装身具と宝石の類、それに加えてチェス盤があった。

「本当にここか?」

 エリオットは小声でアンナに聞いた。

 アンナは呆れながら壁を指差す。壁にはニュルンベルクの紋章が描かれた盾が飾られていた。間違いなくヴァレンシュタインの部屋に違いない。

 寝室と広間、二つの部屋を見たが、誰もいなかった。

「何を探す」

「証拠だ。私たちを嵌めたという証拠を探す。手紙でも帳簿でも何でもいい。殺人を命じた証拠があれば、奴を脅せる。記録だ、記録を探せ」

「毒の件は?」

「まぁそっちも弱みには違いない。探し出せ。とにかく交渉の材料を集めろ」

 エリオットとアンナは手分けをして、部屋を探した。エリオットは広間、アンナは寝室だった。

 広間にはワイン、チーズが持ち込まれていた。まだここに着いたばかりなのか、そのほかの荷物も多少は積んである。

 エリオットは手当たり次第に棚を開け、荷物を解き、中身を確認した。本の類は必ず逆さまにしてページを捲り、その間に何かが挟まれていないかを調べる。

「何かあったか?」

 アンナが近づいてきた。手には赤い背表紙の本がある。

「いや、何も。それは」

「帳簿だ。他にもあって見比べたが、この赤いやつはどうやらヴァレンシュタイン家の裏帳簿らしい。元傭兵だが結構細かくつけてる。奴はどうやら結構な借金を抱えているらしい」

「他には?」

「刺客に払った金、毒の購入も記入済みだ」

「よし」とエリオット。

 十分な交渉材料だ。「これでニュルンベルクに戻れる」

 そう言ってエリオットが肩の緊張を解いたときだった。背後の扉が開いた。

「よう」

 大男が立っていた。ハンスだった。エリオットは首に腕を回せれ、引き込まれる。太い腕だった。短刀の刃が首筋に当たる。硬く冷たい。

「どうしてこうなるんだろうな」

 アンナは眉間に皺を寄せた。

「お前ら次は泥棒か」とハンス。汚れた格好を見る限り、フライブルクに到着したばかりなのだろう。「そいつを寄越せ。この男を殺すぞ」

「何かわかってるのか?」

 アンナはハンスに言った。

 エリオットは行く末を見守るだけしか出来ない。ケルンのときと全く同じ状況だ。

「ご主人様の帳簿だ」

「わかってるじゃないか。なら渡せないな」

 アンナは背を向け、バルコニーから飛び去った。アンナは部屋から消えた。

「え?」と取り残されたエリオット。

「見捨てられたな」

 ハンスはエリオットの襟を掴んだまま前に出し殴った。床に突っ伏すエリオット。鼻から血が垂れているのがわかる。抑えようとすると、顔面に蹴りが飛んできた。顔が破裂しそうな衝撃。意識が遠のく。仰向けになった。天井が霞む。全ての輪郭が曖昧になる。無理やり起こされて、怒声を浴びた。何を言われているのかはわからない。また殴られたのはわかった。首が枝のように軽くなった。顔が左右にぐらぐらと揺れる。吐き気がしたのは腹に重い一発を喰らったからだ。このままだと死ぬ、と思った。だが反撃する余裕なんてなかった。また床に崩れる。生暖かい。自分の吐瀉物だった。もう何も見えなかった。心の糸が切れる。

「助けて――」

 エリオットは気を失った。

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