1-2
「助かった」
エリオットは立ち上がった。「強かったんだな」
「私は最強だ。異常なほど強い。自覚してる」
「不遜には聞こえないから怖い」
「酷い顔だな」とアンナ。
「左腕もほら、ふらふらだ。折れてるかも」
「肩から外れただけだろ」
アンナは近づいてきて、乱暴にエリオットの左腕を掴んだ。
「痛い。止めてくれ」
「外れてる。触ればわかるんだよ。肩は外れやすくなるからな」
「あんまり弄らないでくれ。痛いんだって」
「私から金を借りているお前に文句垂れる権利はない。ほら、歯食いしばれ。入れるぞ」
「あぁ!」
エリオットの左肩に骨と骨が噛み合う感触と共に痛みが走った。
「治ったろ?」
「確かに」
左腕の感覚が戻った。肩にはまだ痛みが残っている。
「顔は酷いままだ」
「生まれつきだよ。どうしてここが?」
「カテリーナ、もういいぞ」
アンナが女の名前を呼んだ。軒先に並ぶ樽の影から金髪の女性が出てきた。
「お兄様。大丈夫でしたか?」
エリオットに女性が駆け寄る。カテリーナと呼ばれた女性だった。エリオットは抱き締められた。
二重瞼に長い睫と青い瞳。豊かなのは唇だけじゃなく身体つきもだった。柔らかな頬と胸がエリオットの身体に押し当てられる
「あぁ。痛い。やめてくれ、カテリーナ。まだ左肩が痛むんだ」
「ごめんなさい、お兄様」
「泣かせる兄妹愛だ」
その口調でアンナが冷やかしているのはわかった。
「アンナ様、先ほどはお兄様を助けていただいてありがとうございました」
「エリオット。お前の妹は礼儀を知ってるみたいだな。同じ家で育ったのか?」
「複雑な家庭だったんだ」とエリオット。
「ふてくされるな。お前の不細工な顔と、カテリーナの綺麗な顔を見れば血が繋がってない事くらいわかる」
「繋がってるよ」
「意外だな」
「事実だ。それよりも、どうして妹をこんな危険なところに」
「お前を探してたんだよ。家に行ったら、お前はどこにもいない。だからカテリーナに居所を聞いたら、鏡亭とかいう居酒屋に通っていると言ってな。案内して貰ったんだよ。知らなかったか?」
エリオットの頬がアンナの鉄扇で軽く叩かれる。
「妹はあんたみたいに強くない。危険な目には遭わせたくないんだ。あんな居酒屋には行って欲しくないし、夜道だって危ない。それに問題があるのは俺とあんたのはずだろ。妹を巻き込まないでくれ。妹は結婚を控えてるんだ」
エリオットはカテリーナの肩を抱き寄せた。
「カテリーナは強いよ。さっき護身術を教えてやった。カテリーナ」
アンナが指を鳴らす。
「はい」とカテリーナが、自分を抱き寄せたエリオットのつま先を踵で思い切り踏んだ。エリオットは不意をつかれ対応が遅れる。そのままカテリーナは拳を作って、金的を繰り出した。エリオットの身体から力が抜ける。カテリーナはエリオットの腕から脱出し、彼と向かい合った。あとは身体をくの字に曲げたエリオットの顎に蹴りをお見舞いするだけだった。
「そこまで」
アンナは鉄扇をカテリーナの肩に置く。カテリーナは構えを解いた。
「お兄様、ごめんなさい。痛かったかしら?」
「大丈夫。お前の成長が見られて嬉しいよ、カテリーナ」
声を絞り出すので精一杯だった。「ちょっとだけ、向こうに行っていて貰ってもいいかな。お兄ちゃんはアンナと話があるんだ」
「えぇ。わかりました」
カテリーナが路地から消える。
「まずはありがとう。助かった」
「次は私がお前にその言葉を言いたいな。金は出来たのか?」
アンナは路地の向こうを見ていた。カテリーナが戻ってこないか確認している。
「いや、それが」
「六百五グルテンだったな」
「五百のはずじゃ」とエリオット。
「利子って知らないのか? 結構いい制度だぞ」
アンナがエリオットの腹に軽くパンチを入れた。「私は馬鹿じゃない。だからお前から金を取り立ててから殺す」
「そんな金ない。払えない」
目を伏せた。鼻から血が落ちた。地面に黒い点が増える。
「イカサマは? サイコロか?」
「どうしてそれを」
「居酒屋で騒動になったんだ。それくらいわかる」
エリオットはアンナの言うとおりイカサマサイコロを使った勝負をしていた。一の目側に鉛を流し込んだサイコロは必ず六の目が出る。
「最初の三日間はよかった」
要所でサイコロをすり替えて、勝ち続けていた。これで使い込んだ金を取り戻せると確信した。だがその確信が勝負を急ぎすぎた。一気に稼ごうとして、要所で使うはずのサイコロを使い過ぎていた。酒もいけない。水で薄めた安いワインとビール。悪い酔い方をしていた。
「馬鹿め」とアンナ。
「好きに呼んでくれ。馬鹿でもアホでもドジでも間抜けでも」
「不貞腐れるな、みっともない。いいか? 明日の朝、私はフラウエン教会にいる。そこに金を持って来い。知ってるぞ、お前が使い込んだ金は可愛い妹の持参金だったんだってな。持参金もないのに結婚出来るか? 世の中そんなに甘くはないからな」
「ないんだ。ほんとうに。全部すった」
「見逃せってことか?」
「あんたから借りた金で持参金にお釣りがくるほど稼ぐつもりだった」
「それで? 何が釣れたか言ってみろよ、そこのペグニッツ川でも小魚の一匹くらいは釣れるだろうな」
エリオットは黙った。何かを口にする勇気がなかった。
「カテリーナには話したのか?」
「お前とは組合仲間だと言ってる」
「悪いな」
「だがそれも明日までだ。妹思いの良い兄貴も全部だ。最後の夜をせいぜい楽しめよ」
「もう無理だ」
「絶対に来いよ」
「俺に選択肢がまだ残ってるのか?」
アンナの誘いを断るなんて無理だ。
「わかってるじゃないか。私の命令は絶対だぞ。ではまた明日に」
アンナが立ち去った。
それからしばらくしてカトリーナが戻ってきた。
エリオットはカトリーナの顔が見れない。
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