8-5

 フライブルク大聖堂の正面門へ。中央に聖母子像、周りには天使と聖人たちがアーチに彫られた扉があった。エリオットとアンナはその扉を開けて、大聖堂の身廊へ。混乱した外の雰囲気から一変し、厳かで重々しい空気が漂う。常夜灯が礼拝堂の奥にある聖櫃を照らしていた。

 身廊にはガラス窓が並び内陣には見事なステンドグラスが飾られている。窓から差し込んだ僅かな明かりは、舞う埃を照らし空気中に光の帯を作った。

「もう逃げたのかもしれない」

 ゆっくりと前へ進みながらエリオットは言った。雨で濡れた身体は冷たい。

「いやここにいる。奴は私たちと決着をつけたいはずだ。ここで待ち構えている」

 アンナは立ち止まり身廊を見渡した。足音がよく響く。

「お兄様――」

 声がした。エリオットにとっては決して忘れられない声だった。

 エリオットとアンナは身廊を先へ。聖櫃がある内陣に入る。

 中二階のような高廊から、ヴァレンシュタインと女性が姿を現した。二人はヴァレンシュタインとその女性を見上げる。

「ごめんなさい――」

 腕を掴まれ、短刀を首筋に当てられている。

 カテリーナだった。

「クソ」

 エリオットは怒りで声を荒げる。アンナはヴァレンシュタインと人質になったカテリーナを黙って見つめた。

「やめたまえ。見苦しい」

 反響するヴァレンシュタインの声。

「カテリーナを離せ。関係ないだろ」

 エリオットは叫んだ。

「それは私が決める。ここでは私が王だ」

「皇帝暗殺は失敗したぞ」とアンナ。「まだ生きてる」

「だが私は屈強な死者の軍団を手に入れた。野営の男たちは差し入れの毒入りビールを飲み明かしてくれた」

「それじゃ最後に私たちを殺せば邪魔者もいなくなるな」

「残された懸念材料は、魔女の君と魔女殺しのエリオット。その二人だからな」

 ヴァレンシュタインは落ち着いていた。

「カテリーナに傷つけてみろ、絶対に殺してやるぞ」

「少し黙れ、馬鹿者」

 アンナがエリオットの胸を叩いた。「状況がわからないのか」

「だけど――」

「お前が騒げばそれだけカテリーナの死が近づく」

「アンナ君のほうが話がわかるようだな」とヴァレンシュタイン。「この娘をニュルンベルクから連れてきてよかった。抵抗して大変だったんだぞ。兄の無罪をずっと信じていた」

 カテリーナ、すまん。とエリオットは心の中で謝った。

「くだらないことを考えたもんだな」

 アンナは肩についていた煤を払った。「そこまでして力が欲しいのか?」

「お前にはわかるまい。私は病に犯されていたのだよ。レプラだ。この病は絶対に治らない」

「だから不死を願い惑星の書を手に入れたのか」

「ドミニクが予定外だったがな。あいつに頼んだのが間違いだった。まさか持ち逃げするとはな。もっとよく調べておくべきだった」

「あいつは死霊術で弟を蘇らせたぞ」

「らしいな。いい男じゃないか。少し話してやろう。あの日、私は惑星の書が保管してあるフラウエン教会に行った。司祭のマルコが保管している地下の鍵を手に入れられるのは二十年以上の友人である私くらいなものだ。奴は私を心の底から信頼していたよ」

「感心だ」

「鍵を手に入れた私は廊下ですれ違ったドミニクに渡した。それから奴は地下の惑星の書を盗み出すはずだった。あいつは娼館に出入りする欲望の塊でな。それがマルコにばれることを何よりも恐れていた。そこまでは良かったが、奴は魔力に魅せられた」

「人選ミスはお前の責任だ。病気もそうだ。お前は死ぬべきだ」

「不治の病だぞ。普通の病気と違う。身体は曲がり、顔は醜く変わる。腫瘍が出来、腕も足も獣のように変わり果てる。決して治ることない病気だ。しかも財産を奪われ、城壁の外に追い出されて、歩くたびに自分の存在を知らせる為に鈴を鳴らさなきゃいけない。服だって着るものは決まってる。普通の店ではもう何も買えず、物好き共から恵んで貰った粗末な食事で生きていかなきゃならないのだ。私には耐えられない」

「絶望したか?」

「あぁ。だから力を手に入れることにしたのだ。自分を守るためにな」

「皇帝暗殺も自分のためか」

「力を手に入れた。誰も持っていない力だ。私の嘆願を無視した皇帝は死罪を持って償わせる必要がある」

「権力が欲しいだけだろ。欲望は止まらないからな」

「ご名答」

「くだらない」

「なんだと」

「聞こえなかったか? やはり病気だ。だがもう言ってやらない」

 アンナの視線はヴァレンシュタインを真っ直ぐに捉えたままだった。

「生意気な女だな。エリオット、そいつを殺せ」

「なんだと?」

「妹が死ぬぞ。アンナを殺せ」

 エリオットはカテリーナを見る。カテリーナの瞳は揺れていた。

「金か? 欲しいならもっとやる」

 黙っているとヴァレンシュタインが続けた。

 エリオットは息を吐く。

「ほら、アンナの首を斬れ」とヴァレンシュタイン。

「俺を舐めるな」

 エリオットは言った。

「そうか。残念だ」

 ヴァレンシュタインが言うと、左右の壁が崩れた。

「なんだ!」

 エリオットは状況を確かめる。背中にあったステンドガラスが割れ、飛び散る。破片を手で避けた。亡者たちが怒号のような足音と共に雪崩れ込んできている。礼拝堂中の窓、壁、扉が破られ死者が現れた。

「お兄様、アンナ様」

 カテリーナが叫んだ。身を乗り出し前へ。

「煩い。黙ってろ」

 ヴァレンシュタインはカテリーナの身体を引っ張り戻し、その頬を叩いた。

「カテリーナ!」

 エリオットの声だけが届く。だが四方は亡者に囲まれて、身動きが取れない。自分の身を守るだけで精一杯だった。

「やばいな」

 アンナは舞う。亡者たちの首、腕、腰、足。それらを折り、制圧を続けていく。

「カテリーナを助けなきゃ」

「周りを見ろ」

「見てる」

「まずは私たちだ」

 動く死体。死者の軍団が常に襲い掛かってくる。腕、足、胴体、を掴み身動きを封じようとし、武器を持つものは容赦なく斬りかかってくる。乾いて窪んだ瞳と半開きの口にひび割れた肌。

 ヴァレンシュタインを追いかけたいが、前に進めず、自分を守ることしか出来ない。

「クソ」

 後ろから飛び掛られた。左肩を噛まれる。両手で首と左腕を掴まれた。身体を振るが、相手は落ちない。エリオットは死人の頭を掴み引き剥がそうとする。肩の肉も剥がれていく。「ふざけんな」

 気を吐き、背後の死者を落とし、頭を踏み潰した。

「おい、大丈夫か」

「カテリーナのとこへ」

 エリオットは上半身を大きく揺らす。呼吸が浅い。

「クソが」

 またエリオットに死者たちが飛び掛ってきた。 

 アンナの裏拳。そのまま回転。飛び、宙で身体を捻り、蹴り。頭を刎ねる。着地と同時に水面蹴り。立ち上がり死者の顎を下から掴んで、そのまま地面に振りかぶり叩きつける。

「疲れたか?」

 アンナの問いにエリオットは強がりで笑うだけだ。聖剣を支えにしている。限界が来ていた。

「まだ一振りくらいは残ってるだろ」

「わかってればそれくらいはな」

 先が続くとなれば絶望だ。終わりが見えなければ尚のこと。

「嘘じゃないな」

 アンナは言いながら、死者たちを殴り倒していく。

「やるよ」

 砕けた死者の身体から体液が飛び散る。

「ヴァレンシュタインのところに連れて行ってやるから覚悟しておけ」

「ありがとう」

「感謝の言葉はあとだ」

 アンナは吼えた。腹の底を震わせて、喉を鳴らす。下品な叫びだった。首から顔に血管を浮き上がらせる。黒い血が肌を這い、黒目が広がり瞳の全てを覆う。

 その姿は魔女よりも悪魔に近く、強さも人間を遥かに超えていた。

 宙を舞うのではなく、滑り狩るように死者を殲滅していく。相手の目を抉り、口を割る。胸を貫き、腕を引っ張り千切った。

 アンナが進むと道が出来た。

 いける――。

 エリオットが思ったとき、再び崩れた壁の向こうから大量の死者たちが雪崩れ込んできた。

 アンナは再び吼える。

 死者の軍団に襲い掛かった。

「ふざけんな」

 エリオットも叫んだ。

 相手が多すぎる。前には進めるが、これでは遅い。カテリーナがその間に――。

 アンナの雄叫びが三度目。

 もはやその戦いぶりは獣だった。

 アンナは強い。一対一では最強だ。だが大量の敵を捌けない。エリオットは諦めかける。

 そのとき、炎が飛んできた。

 矢だった。矢じりが燃えている。

「行け! ここは任せろ」

 後方で甲冑を着た男たちが雄叫びを上げている。炎の矢が雨のように飛んできた。割れた壁から四方の屋根にいる弓兵の姿が見える。

「皇帝つきの兵士だ。助かった」

 アンナが言った。

「その状態でも喋れるのか」

「心まで悪魔に捧げたわけじゃない」

「あんた、かなり美人だ」

「食い殺すぞ」

 兵士たちが雪崩れ込み、死者の軍団を薙ぎ払っていく。

 アンナも叫ぶ。勢いを増した攻撃。放たれた炎と死者を狩りるアンナ。道が開く。

 勢いで突っ走った。高廊の入り口へ。扉の開いた障壁内へ駆け込んだ。

「いない」とエリオット。

 行き止まりだった。席が左右の壁に並んでいる。交唱の為だった。中央には主祭壇。人影はない。

「落ち着け。姿がないということは隠し階段とか隠し扉があるもんだ。それに障壁の中だ。教会なら必ずある。探せ」

「どこだ」

 見渡した。精巧な意匠が施された障壁、天井。床には幾何学的な模様が描かれたタイルが敷き詰められていた。

「必ずどこかにあるはずだ」

「そんなのない」

「いや、必ずある」

 アンナは障壁に組み込まれた柱をなぞる。柱頭には葉と蔦を絡ませた意匠が施されていた。

「ここだ」

 柱の腰辺りに、十字架を模して作られた不自然な意匠が掘られていた。指が入るほどの窪みもある。「これが取っ手だ」

 アンナはその十字架に指を掛けて引く。

 エリオットが近づいた。

「地下か」とアンナ。

 柱が開いた。見立てどおり扉だった。柱の内部を回転するようにして階段が続いていた。

「どこへ続いてるんだ」とエリオット。

「知るか。だが行くしかないだろ」

「確かに」

 急で狭い階段だった。

 柱の中へ。階段を降りていく。

 壁と足元は湿っている。湿度が高い。

「教会の地下ってのは地下聖堂があったりする。あとはこれくらいの街だと使われてない地下道があっても不思議じゃない」

「急がなくちゃな」

「休憩するつもりだったのか?」

「ワインでも持ってくればよかったよ。ここは狭いし空も見えないし息苦しい。最高だ」

「お兄様――」

 カテリーナの声が聞こえた。急ぎで階段を降りきる。狭い通路に出た。中腰の姿勢でいなければ頭を天井にぶつけてしまう。

「カテリーナ」

 通路の奥へエリオットは叫ぶ。「今行く」

「ほら行け。気力を振り絞れ」とアンナ。

 尻を蹴られた。

「わかってる」

 走った。

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