1-5
「どうなってるんだ。あの野郎、マジにむかつく」とエリオット。
墓地から礼拝堂へと戻る。
「それよりマルコだ」
二人は内陣の主祭壇へ向かった。
「マルコ、無事か?」
アンナが駆け寄る。「しっかりしろ、マルコ。死ぬな」
アンナはマルコを抱きかかえた。エリオットはそれをアンナの肩越しに見ている。
「アンナ。お願いだ。聖母マリア像の前に私を――」
「ふざけるなよ。死ぬつもりじゃないか」
「わかってるだろう。頼むよ、アンナ」
マルコの声は消えてしまいそうなほど小さい。「爺さんの願いだよ。永きに渡る私たちの友情の証として頼む」
「アンナ。連れて行こう」
エリオットは黙っているアンナの肩を叩いた。
「わかってる。クソが」
荒れている。ドミニクが消えてから死体は動かなくなった。残されたのは、多数の負傷者とさっきまで生きていた者の死体。
「ほら、マルコ。お前の大好きな女の前だぞ」
「口を慎みなさい、アンナ。この女は聖母マリア様だぞ」
さすがにこの冗談にはアンナも笑った。
「主の御名においてアーメン。主よ、私、マルコ・ヘンディッヒはこの生涯を信仰に捧げ、全ての罪を赦し、全ての恵まれない者たちへ救いの手を差し伸べました。主よ、私は信仰に目覚めてから一日も祈りを欠かしたことはなく、一度たりとも他人のパンに手をかけたこともございません。主よ、これは私からの最後の祈りです。主よ、どうか私の友人、アンナ・ファン・デ・ブルグの罪をお赦し下さい。主よ――、主よ――、主よ――」
次の言葉が浮かんでこないのか、同じ言葉を連呼するだけだった。
それからすぐにマルコは何も言わなくなった。死んだ。
「素晴らしい人だった」
エリオットは十字を切った。
「クソが」
アンナは十字を切らない。声が震えている。後ろを向いて顔を隠した。
■
騒ぎを聞きつけた都市兵が教会にやって来たのは、それからすぐだった。負傷者は運び出され、死体は墓地へと運ばれ積み上げられていった。戦いが終わった後の教会は散々な有様だった。飛び散った血、千切られた肉、動かなくなった死体、半壊した窓、椅子、剥がれた床、そして我が物顔で闊歩する都市兵。ここがついさっきまで平和の一部だったとは思えない。
「どうする?」
内陣の中、聖母マリア像の前にエリオットは腰を下ろしていた。横にいるアンナは黙ったまま動こうとしない。
「何とか言えよ」
マルコ司祭とアンナの間に、どんな友情があったかは知らない。この雰囲気では聞くわけにもいかない。「じゃなきゃ少しは動いたり、何かしてくれよ。死体と話してるみたいだ」
「黙れ」
「それじゃあんたはずっとそこにいるのか?」
「お前には関係ない」
アンナはずっとマルコの亡骸を抱えたままだった。
「なんだよ。マルコ司祭に金でも貸してたのか? とりっぱぐれがそんなに嫌なのかよ」
「さっきから聞いてれば、お前」
エリオットは咽輪を掴まれ、床に叩きつけられた。エリオットに跨り、抑え付けるアンナの目は見開いて、こめかみと腕には血管が浮き出ている。指はエリオットの喉に鋭く食い込んでいた。呼吸がままならない。「殺すぞ」
「おい、エリオット・アングストマンとアンナ・ファン・デ・ブルグはいないか」
大声でエリオットとアンナの名前を呼ぶ声がした。見ると、入り口に大男が立っていた。逆光でシルエットが浮かぶ。顔は見えない。低く聞き取り辛い声。都市兵とは違う格好をしているが、その背格好から兵士とわかる。
「邪魔だ、どけ」
負傷し蹲っている人々を蹴りあげながら、こちらへと向かってくる。聞き覚えがある。
「エリオット・アングストマンとアンナ・ファン・デ・ブルグはどこだ」
都市兵はその男を見るなり縮みあがっている。
「おい、お前。この死に損ない共をどうにかしろ。通行の邪魔だ」
男は負傷者を掴み、脇へと放り投げる。「重症ならどうせ死ぬんだ。労わる必要なんてねぇ」
「やばいな」とエリオット。
見覚えもある男だった。やっと誰が来たのかわかった。
アンナはため息を吐いてから、「ここだ」と言った。
「私がアンナ・ファン・デ・ブルグだ」
男が近づいてくる。がさつな性格が伝わってくる足音だった
すぐにアンナの背後にはその大男が現れた。
エリオットはアンナの肩越しに見る男の顔。左の頬に傷跡。彫りが深く、狐のように鋭い青い瞳つき。金髪で四角く大きな顔をした男。
「お前は?」と振り向かずにアンナは聞く。友好的な口調ではなかった。棘のある言葉遣いだ。
「昨日は世話になったな」と男。
アンナは横目で男を見てあざ笑う。昨晩、喧嘩をして負かした男だと気づいたらしい。
「あぁ思い出した。昨日の負け犬か。私が調整してやった腕はどうだ? 調子がいいだろ」
アンナの嫌味を男は無視した。
「お前がアンナ・ファン・デ・ブルグか。じゃそこのイカサマ野郎がエリオット・アングストマンか? あぁ、俺はお前をよーく知ってるぞ」
「どうも」とエリオット。喉を掴まれたままで、まともな返事が出来ない。
出来れば関わりたくない。二度と再会したくない男だ。
「我が主、ヴァレンシュタイン様がお呼びだ」と男は言う。
この男はヴァレンシュタインの部下だったのか。
ヴァレンシュタイン――。
エリオットはその名前を知っている。
「で、お前の名前はなんだ」とアンナは強気の姿勢を崩さない。
「ハンスだ」
「どうして行かなきゃならない」
「治安維持の為だ。ヴァレンシュタイン様は悲しんでおられる」
「そのうち行くと伝えろ」
エリオットの喉からアンナの指が離れた。エリオットは深呼吸をし、空気を身体に取り込む。
「今すぐだ、とヴァレンシュタイン様は言っている。無視するなら力尽くで連れて行きたいところだが、お前らはヴァレンシュタイン様の客だ。大人しく従え」
「雑魚のくせに大口叩くな。私に追い払われた男が、この私をどこに連れて行ける。それにその間抜け面じゃ女の一人もイカせたことがないだろ」
「今の俺は素面だ。酔っ払っちゃいない」
「男は言い訳ばかりだ。それで、ヴァレンシュタインはどこにいる? どこで言ってる? お前の心に直接語りかけてるのか? 必要ならヴァレンシュタインがここに来ればいい」
「とにかく今すぐにヴァレンシュタイン様の許へ行け」
「どいつもこいつもクソだ」
アンナは立ち上がり、ハンスの横を通り過ぎていった。
「アンナ、どこへ?」とエリオット。
「どこでもいいだろ」
「おい。待てよ」
エリオットはアンナを追い、腕を掴んだ。
「放せ」
「いや、無理だ。俺たちはヴァレンシュタインのとこへ行くんだ」
ヴァレンシュタインは街の大物だった。逆らうわけにはいかない。
「お前はあの木偶の坊の仲間になったのか?」
「違う。けど行こう」
「あの男が怖いのか?」
「そんなんじゃない」
「だったら命令するな」
「そういう場合か?」
「じゃなんだ? どんな場合だ?」
「ただ俺は――」
続きが出てこない。本当のこと言うのは躊躇った。
エリオットは言葉を仕切り直す。
「これは、マルコ司祭の為だ。ドミニクを捕まえるんだよ」
エリオットは腕を強く握り返した。「一刻だって時間を無駄には出来ないはずだ」
「クソ生意気に」
鼻で笑うとアンナはエリオットの手を振り払う。「正義感に浸っていい気になって。そんなに自分が好きか」
アンナはそのまま外へ出て行ってしまった。
「おい、イカサマ野郎。ヴァレンシュタイン様が待ってる」
ハンスが言った。「行くぞ。エリオット・アングストマン」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます