第四章 月の導

第25話 都へ

 かぐやが求婚者たちに課した試練について御行みゆきが語り終えると、あおいはまず呆れ果てた顔をした。複数の男に求婚されるというのは、女であれば一度は経験してみたいものだと羨ましく思いそうなものだが、違ったらしい。


「……貴方も含めて、求婚者たちは全員大馬鹿ね。一度は断られているんだし、遠回しに拒絶されたから諦めようとは、どうして考えないのかしら。あの天狗のこと、笑えないと思うわ」

「言うな」


 飾りのない一言に、御行はつい目をそらす。自分でもわかっているが、他人に言われると胸に突き刺さるものがある。


「ほんとそうですよねー。僕たちも、そんな試練出してるってことはやんわり断ってるのと同じなんだし、神路かんじ島へ行くなんて無理だからやめましょうよって言ったんです。でも御行様、ちっとも聞いてくれなかったんですよー」

「そうそう。御行が馬鹿なのは今に始まったことじゃないけど、神路島へ行くと聞いたときほど馬鹿だと思ったことはなかったよ」

「……お前ら、俺に恨みでもあんのか?」


 うんうんと両腕を組んで頷き葵に賛同する従者と幼馴染みを、御行はじとりとねめつける。彼らの毒舌も今に始まったことではないが、もう少し手加減してもらいたいと毎度思う。


「しかも、考えついた方法が盗みだなんて……一緒に盗んだ私が言えたものじゃないけれど、そんな方法で持ってこられても、姫君は困るに決まっているわ。まったく、神路島へ向かうために神鏡を盗もうとするくらいだから、身近にいる大切な人を救いたいのかと思っていたら……」


 やっぱり貴方は馬鹿よ、と葵は締めくくる。容赦の欠片もない。反論もできず、御行は撃沈するしかない。

 これ以上の言葉の刃にはきっと耐えられない。ともかく、と話を切り上げて御行は双龍に向き直った。


「そういう事情で、俺はあんたたちの首にある宝玉が欲しい。もちろん、一つだけでいい。それでかぐやは、俺にも夫になる資格があると認めてくれるはずなんだ」


 だからどうか頼む、と御行は頭を下げる。それしかなかった。

 双龍は顔を見合わせた。


『……確かに、これまで我らが玉を欲した者たちとは毛色は異なるが……』

『しかし、手段がまったくもって間違っている。我らが君の貴子たる陽女神の依代を盗み、穢すとは……不敬も甚だしい』

『とはいえ、かの陽女神がお前たちに神罰を与えず、許したのであれば我らが口を挟むことではない。それに、そこな天女は、我らが君の貴子うずみこたる月神の民であれば、願いを聞き届けぬわけにはいかぬ』


 どうしたものか、と言わんばかりに金龍が息をつく。御行はちょっといらっとした。

 これを援護してくれたのは、葵だった。


「国生みの大神の守護龍たちよ。彼は悪い人物ではありません。貴方方の力の結晶たる宝玉を悪用せぬと誓わせれば、彼に授けても良いのではないかと存じます」

『ああ、そうであろうな。しかし…………』

「だからなんだ。はっきり言ってくれ」


 葵に同意しながら言葉を濁す銀龍に、御行は気色ばむ。穢れているからと言われると思った。

 しかし意外なことに、消極的な銀龍を口説きにかかったのは金龍だった。


『銀龍、構わぬであろう。お前が望まぬなら、我がやってもいい。この男には、あまり時間がないだろうからな』

「時間がない? どういうことだ?」


 麻也まやが眉をひそめる。金龍は銀龍から御行たちに顔を向けた。


『近頃都の様子を見ていると、陽の帝が都一と名高い美姫のもとへ通っているのを見ることがある。おそらく、お前が言う姫君であろう。帝に気に入られたとあれば、入内もありえるだろうな』

「はあっ? 陽の帝と? なんで!」


 都の近況に、目を白黒させた御行は声も裏返ってしまった。頭を何か――父親か師匠の拳骨で思いきり殴られたような衝撃があった。

 しかもそれは幻想ではなく、数拍もしない内に現実の衝撃が御行の後頭部を襲う。これは手刀を思いきり振り落とされたに違いない。御行は麻也を振り返った。


「麻也、なにすんだよ!」

「御行、落ち着きなよ。当代の陽の帝が若くて好奇心旺盛だっていうのは、聞いたことがあるだろう? かぐや姫の噂や兄皇子たちの話を聞いて、興味本位で恋文を送っていてもおかしくないよ。今は求婚者たちが都にいないし、かぐや姫は知識と風雅を好むそうじゃないか。紙の意匠がよかったとか博識だったとか、そういうので文を返すのもありえそうだろう」

「……」


 そうかもしれないと、御行は納得した。かぐやは色恋沙汰に疎く、自分の興味に忠実な少女だ。文の意匠が特別凝っていたからというだけで、求婚者たちと無邪気に文のやりとりをしていたくらいなのだから、陽の帝にもそのようにしていても不思議ではない。


「というかー今それ考えてもしょうがないと思いますけど。ここからじゃ何もできないですし」

「陽の帝がいなくても、彰人あきと殿という強力な恋敵がいるわけだしね。彼のことだから、もうかぐや姫と三日餅食べているかもしれないよ。で、君は遅れて登場と」

「麻也、てめえ嫌なこと言うんじゃねえ!」


 春日かすがの生温い視線に続き、麻也が嫌な未来を口にするものだから御行は吠えるしかない。この二人、やはり御行に恨みでもあるのだろうか。

 話の本筋から外れて、御行たちはやいのやいのと言いあう。馬鹿じゃないのこの人たち、という冷たい視線が突き刺さっている気がするのだが、御行にとっては切実な問題だ。


 かしましい人間たちを見下ろしていた双龍は、おい、と御行たちに呼びかけた。


『ともかく、宝玉が欲しいならば我が授けてやろう。銀龍は、天女に加護を授けてやるがいい。それでよいか』

『……ああ、構わぬ』


 金龍の提案に銀龍が渋々といった様子で頷くと、その喉元にある銀の宝玉がきらりと光を放った。それと呼応するように、葵の魂を半透明の球体が一瞬包み、消える。


 一見すると、何か変化が起こったようには見えない。しかし御行の肌は、葵から銀龍と同じ力の気配が放たれているのを敏感に感じ取っていた。銀龍の力が葵の魂を守っているのだ。強力な守護を得て、葵はほう、と安堵の息をついた。


 次に、金龍が御行の頭上まで首を伸ばすと、宝玉を金色に煌めかせ、大きく首を振るった。ただでさえ大きな頭なのにそれを思いきり振るうものだから、生まれた風が草木を揺らす。陽光を返す金が御行の目に眩しい。

 熟した果実のように、不意に宝玉が頭上から落ちてきたので、御行は慌ててそれを両手で受けとめた。金龍の太い首に見合う大きさであったはずなのに、宝玉はいつの間にか、御行の両手に収まる大きさに縮んでいる。


 一片も濃淡の違いが見られない、山吹色の美しい宝玉だ。銀龍が葵に授けた守護とは比べものにならない強大な力が、触れる御行を拒む。手のひら全体から苦痛が伝わってきて、御行は顔をゆがめた。


「俺が持っておくよ。君じゃ、持つだけでもつらいだろう」

「ああ、頼む」


 麻也の言葉に甘え、御行は宝玉を彼に預ける。熱いものを触った後のように、手をぶらぶらさせた。それから、双龍に向かって両手と片膝をつく。


「……無理を言ってすまなかった。宝玉を授けてくれたこと、心から感謝する」


 そう、御行は謝意を表す。思ったよりもはるかに簡単に宝玉を得られたのは、葵の口添えと彼らの恩情に他ならない。

 これで、かぐやを娶ることができる。少なくてもその資格を得ることができると、御行は浮かれた。後は誰よりも早く、都へ帰るだけだ。


 しかし、そこに冷静な麻也の声がかかる。


「……御行。本来の目的は果たせたからって浮かれるのはいいけど、先に神鏡の穢れを払って立浪たつなみ神社へ戻さないと。それに俺たちは、舟もないんだよ?」

「あ」


 麻也に指摘され、御行はかぱりと口を開いた。そういえば、神鏡を清めて元に戻せと陽女神に命じられているのだ。しかも、ここへは漂着している。まず舟を造らないことには、島から出られないのだ。


 大丈夫、と葵は頷いた。


「私が術を使って貴方たちを運んで、神鏡も清めるわ。どうせ本州に戻って、自分の身体に戻らないといけないし」

「なら、俺も君の身体を捜すのを手伝うよ。人手は多いほうがいいだろう?」

「僕も行きますー」

「……で、君はどうする? 先に帰るかい?」


 春日と共に葵への協力を申し出た後、笑い含みの意地の悪い声で麻也は御行に尋ねる。わかってるくせに聞くのかよ、と御行は内心で毒づいた。


「行くに決まってんだろ。一番悪いのは俺なんだからな!」


 髪をかき上げ、御行は噛みつくように言う。麻也に満足そうな顔をされるのが、甚だしく不満だった。

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